『「視点」の違いから見る日英語の表現と文化の比較(正・続)』~英日で「誰々が言った」を訳出すると不自然になる理由
物語の登場人物同士がやりとりをするとき、英語は「誰々が言った」とほぼ必ず明示されているのに対し、日本語で書き下ろされたものだと、そのあたりを明示しないことが多く、なんならセリフだけが並んでいたりします(そういう形で誰が語ったのかがわかるように書かれている。たま~に誰の言葉かわからないこともあるけど)。
そういう違いがあるので、英日翻訳で英語の「誰々が言った」を訳出するとなんか不自然に感じることが多く、私はなるべく訳出せずにすむ工夫をしますし、あまり訳出しないほうがいいみたいなこともよく言われます。
とまあ、そのくらいの理解で、この問題が頻出する書籍をやるようになってからの20年、仕事をしてきたのですが、先日、もしかするとこういうことかなぁというレベルながら、このあたりについて、一段、言語化ができるようになった気がします。
きっかけは、翻訳フォーラムシンポの「さきの×Buckeyeバトルトーク」で参考になるかもと『「視点」の違いから見る日英語の表現と文化の比較』を読んだこと。
この本は続があるのとないの、2冊あって、続はバトルトーク予習用に買った。続がないほうは2年前に買ってツンドクしていたのでそれを読んだ(^^;)
いまから読むなら「続」だけでもいいかもしれないが、一般には、元のほうから2冊とも読むことをお勧めしたい。この2冊でくり返し検討していることの基本は、元のほうに詳しく書かれているからだ。
この2冊に書かれていることを乱暴にまとめると「舞台で演じられている物語を語るとき、英語だと、登場人物が客席側にいて、そこから、自分の周りにいるお客さん(読者)に語る形が基本になる。対して日本語だと、舞台上で演じている登場人物が客席のお客さん(読者)に語る形が基本になる」あたりでしょうか。
私も、ずっとこういうふうに理解していました。というか、こういうふうにしか理解できていませんでした。でもいまなら、そのあたりについて詳しく検討した本書2冊を読んだいまなら、もしかするとのレベルではあるけれど、もう少し明確に言語化できる気がします。










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