翻訳-スキルアップ(総論)

2019年11月 1日 (金)

JTF翻訳祭2019のレポートを読んで思ったこと-その3「機械翻訳に関する提言について」

思ったことシリーズ第3弾は、別のブログを読んで思ったことになります。

2019年翻訳祭④ 翻訳祭レポート①(会場到着からセッション1まで)」千里の道を一歩ずつ~ときどきひとやすみ~

こうやっていろいろとレポートしていただくと、参加できなくても多少のことはわかるので助かりますね~。興味関心のポイントは人それぞれですから、その場に行って自分の耳で聞くのが一番ではありますけど。

今回取り上げるのは、発表をされた開発者の方が翻訳者への提言としてあげられた3点です。

  • Light Post-editorを見下してはいけない
  • 質の高い訳を目指して努力することはもちろん重要だけど、プロならば相手の要求に応じて最適な(効率的な)方法で翻訳が行えるようになるべき
  • もっと機械翻訳について学ぶべき

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2019年10月30日 (水)

JTF翻訳祭2019のレポートを読んで思ったこと-その2「MTPEと実力涵養」

JTF翻訳祭2019のレポートを読んで思ったことの第2弾です。前回に引き続き、屋根裏通信のレポートから(余談ながら、ここのイベントレポートはいつもすばらしいできです)。

翻訳祭2019(於:パシフィコ横浜)」@屋根裏通信

今回は、3時間目「NMT+PE=医学翻訳の新たな潮流」(津山逸)から。

>> 人力翻訳能力が高い翻訳者でなければよいPEはできない

これは、まあ、そうでしょうね。翻訳能力が高い翻訳者ほどPEをやりたがらないという問題がありますし、そこに理由があるというか、その理由がMTPEの欠点だったりはするのですが、「MTPEをする」を前提に考えるのであれば、上記のとおりでしょう。ほかのセッションでも、似たような話が出たようですが、まっとうに考えればそういう話になるので、当たり前だと言えます。

>> 100点を求める必要はない。「ちょうどよい」レベルでよい。

これは、MTPE推進派の方々がよく言われることですが、しごく妥当な話だと思います。基本的にコスト削減が目的なわけで、MTPEにおいては、「ちょうどよい」レベルを超える部分は過剰品質だと考えるべきでしょう。

また、レベル40のMT出力をレベル60まで引き上げるなら最低限の手直しですむかもしれないが、その先、レベル60→レベル80とか→レベル90とかは加速度的に修正量が増え、そのどこかで「訳直した方がはやい」となってしまいます。

というわけで、このあたりまでは、推進に賛成している方の意見として妥当ですねという感じなのですが……

>> ただし、常に100点のものができる実力はつけておく必要がある

はぁ?

「MTPEをする」を前提に考えたとき、その力、どうやって身につけるんでしょう。百歩譲って、その力がついてからMTPEをやれということだとしても、その場合、その力をどうやって維持するんでしょう。

何点なら「ちょうどよい」レベルなのかは案件によって異なるんでしょうけど、でもそれは、当然ながら、100点より低いわけですよね? ご本人も、「100点を求める必要はない。『ちょうどよい』レベルでよい」と言われているわけですし。毎日毎日、下手すれば1年365日、朝から晩まで、60点なのか70点なのか80点なのか、ともかく、「ちょうどよい」レベルのアウトプットを続けて、100点の力、維持できるんですか?

寝言は寝てから言ってください。

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2018年6月 7日 (木)

翻訳の方向性について

シンポジウム関連であれこれ書いていたら、タイムリーなつぶやきが、文芸系の出版翻訳をされている鴻巣友季子さんからありました。以下、鴻巣さんのツイッター(@yukikonosu)からです。

 

翻訳家志望の方へ。「こなれた訳文」ばかり目指さないでと言いたいです。「こなれた訳文」「巧みな訳文」「美しい日本語」よりまずは「的確な読みとフォーカスの合った訳文」が大事と思います。昔、生硬で読みにくい訳文が多くそれに対する批判が強かったせいか、「読みやすさ過敏症」になりがちです。

 

読みが的確で訳文のフォーカスが合っていれば、自然とめりはりもつくし、こなれるし、良い日本語になります。訳文上達には、書くスキルより先に読むスキルを上げるといいと思います。というか、書くスキル「だけ」上達させることは無理ですよね。

 

誤解なきよう追記すると、「こなれた訳文」も「読みやすい訳文」も「巧い訳文」も「美しい日本語」もそれ自体はいいんです(原文が醜悪なら訳文も醜悪でありたいですが)。問題はいきなりそこを翻訳の目的地にしてしまうこと。それより読む力が上がれば自然と訳文は良くなる、ということです。

 

ここに書かれていることは、ここしばらく、翻訳フォーラムがシンポジウムやレッスンシリーズなどで訴えてきていることと本質的に同じです。読めないものは訳せない。読めているつもりが読めていない。原文と訳文で同じ絵になるようにする、そうすれば、(原文がちゃんとしていれば)ちゃんとした日本語になる……などなど。そして「読みが的確で訳文のフォーカスが合っていれば」を実現する具体的な手法が、テンスやアスペクトであり、述語からの読みであり、今回取りあげたコヒージョンや流れであり、たぶん、今後取りあげるであろうあれやらこれやらでありなわけです。あと、「翻訳」のシンポジウムやレッスンでありながら、訳し方にはほとんど触れず、読み方中心で来たのも同じですね。

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2014年6月19日 (木)

機械翻訳の懐疑論者は大きな見落としをしているのか~見落としの見落とし~

1年ほども前のことですが、知り合いのブログに「機械翻訳の懐疑論者は大きな見落としをしていないだろうか」という記事が投稿されました。この記事に対する反論を書いてみたいと思います。

半年ほども前に書いたのにアップロードを忘れていました。

この話、特に後半は、機械翻訳を使う人たちに共通する論理で、いろいろなところで陰に陽によく言われます(前半は後述するように、このページを書かれた人のうっかりまちがいです)。このようにはっきりとウェブ上に書かれているのをほかに見た記憶がないので、ここへの反論という形で書きますが、一般論として理解すべき内容だと思います。

取りあげるポイントは2点。「スピード」と「質」です。

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2012年10月 5日 (金)

不実な美女か貞淑な醜女か

翻訳業界の関係者ならピンと来ますよね。はい、2006年に亡くなった米原万里さんの傑作エッセイの題名です。

とてもおもしろくて、私も大笑いしながら読んだ記憶があるのですが……今日は、この本を紹介しようというわけではなく、『リーダーを目指す人の心得』に関連して、アマゾンのカスタマーレビューについていろいろと書かれている件に関連して、また、ちょっと書いてみたいと思います。

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2011年6月29日 (水)

翻訳は何から学ぶべきか

プロになるまでは、翻訳学校など、勉強する場というか、教えてもらえる場がいろいろと用意されています。翻訳の仕方、こういう文はこういう風に訳すといったことが解説された本もたくさんあります。また、翻訳出版された書籍を使い、原著と訳本を見比べて勉強するという方法もあります。

いずれも有効な方法だと思います。同時に、上記の方法でゆけるのは途中までだとも。

先日来、とりあげてきた「翻訳方言」の問題があるのであれば、上記の方法で学べるのはすべて「翻訳方言」だからです。

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2010年10月31日 (日)

河野一郎さんを迎えての勉強会

昨日、翻訳者仲間の勉強会がありました。年に1回というペースだけれど、互いから学ぼうとプロが集まる会(互学会)です。今回は趣向を変え、文芸翻訳をずっとやってこられた河野一郎さんを講師に迎えて行われました。

ブログを書いているヒマもない状態なのだけれど、欠席するのはあまりにもったいなくて参加。何も書かないのもあまりにもったいないので、ざざっとメモを……

事前に出された課題はAgatha Christieの"Philomel Cottage"とJohn Braineの"The Crying Game"。時間がなくて、当日の朝、ふたつの課題をざっと全訳したほか、複数の既訳がある"Philomel Cottage"については会場に向かう電車でざざっと既訳を眺めるくらいしかできなかったのが残念。

ともかく、2時半から6時半近くまでいろいろなお話を伺いました(5時半までの予定を大きく延長)。

ポイントを何点かメモしておきます。

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2009年12月20日 (日)

翻訳と営業

先日のJTF翻訳祭パネルディスカッションのとき、「翻訳者も営業力をつけるべきだ」との意見がパネリストとして登壇された特許翻訳者の時國さんから出ました。話の流れとしては、「営業力をつけて、自分の翻訳を必要としているソースクライアントと取引をすべき」というものだったと思います。

ソースクライアントとの直接取引を翻訳者全員ができるようになるとも思いませんし、そうなるべきだとも思いません。この点については、できないよりはできたほうが選択肢が広がっていいだろうし、できる人はやればいいけど、できなければできないで生きてゆく道はあるはず、そういう道を残すべきだと思います。

このあたりについては昔『実務翻訳を仕事にする』(宝島新書)に書いたので、ここでくり返すのはやめておきましょう。

営業については、パネルディスカッションで時國さんが触れられなかったけど、けっこう大事だと思うことがあります。

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2009年11月 7日 (土)

翻訳作業時間モデル

翻訳の作業を種類ごとに分割したら、それぞれにどのくらい時間がかかるものでしょうか。もちろん、訳文を考えながら辞書引きや入力を並行処理しているわけで、明確に分けられるものではないのですが、一応の目安として考えてみます。この目安があれば、それぞの作業をどのように改良していったらいいのか、考えることができると思いますから。

翻訳ツール-人間とパソコンの役割分担」にあげた表を再掲します。

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2008年6月19日 (木)

中堅はどこへ消えた?

もう、4~5年も前(2003年とか2004年あたり)のことだが……とある翻訳会社の社長さんにお会いしたところ、いわゆる中堅クラスの翻訳者がどんどん下手になって困っているという話があった。以前はけっこうよかったのにここ何年かですっかり下手になってしまった人が多いというのだ。

この社長さんが言われる中堅クラスというのは、料金は高いし忙しくてなかなか仕事を頼めないトップクラスほど上手ではないかもしれないけど、次々と仕事を処理しては、そこそこの料金でそこそこの品質の仕事をあげてくれる人たちを指す。こういう人たちがいてくれないと翻訳会社が成り立たないのだそうだ。

また、別の翻訳会社でトライアルの採点をしている人と話をしたときにも、同じような話を聞いた。そちらの場合は既存の翻訳者がどんどん下手になってるという話ではないが、トライアル受験者の中にいわゆる中堅クラスがほとんど見あたらなくなり、全体的にレベルがかなり下がってしまったというのだ。

前者は、同一人物の力が落ちているという話。なにがしかの理由で、とにかく、アウトプットの品質が落ちた人たちが存在するということだ。

本当の意味で力が落ちているのか、アウトプットが落ちているだけ(手抜きをするようになった)なのかは、これだけでは判断できないが……人間、慣れるのは早いので、手抜きが常態化すればそのレベルのアウトプットしかできなくなるものだ。これを私の仲間内では「手が荒れる」と言う。

後者は、いわゆる「中堅クラス」がトライアルを受けなくなったか、あるいは、「中堅クラス」が少なくなったか、いずれかだろう。

ここから先は私の推測にすぎないが……このふたつの話は関係があると思う。

手を荒れさせず、力を維持あるいは向上させた中堅クラスには、おそらく、力を落とした中堅クラスが担当していた仕事までが回り、忙しくて他社のトライアルを受ける暇などなくなったのではないか。もちろん、十二分な仕事があるのだから、トライアルを受ける必要もないはずだ。

一方、手が荒れた中堅クラスは仕事量が減り、トライアルを受けることが増えると思うが、手が荒れて力を落としたということは、トライアルの評価も中堅の一段下にしかならない。

この両方が相まって「トライアル受験者の中にいわゆる中堅クラスがほとんど見あたらなく」なってしまったのではないかと思う。

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