『「編集手帳」の文章術』
これはよかった。一読をお勧めします。
文章術というと、どういう材料をどう料理するかが中心のことが多く、「そのあたり、翻訳ではさわれないんだよなぁ」と思ってしまいます。この本もそういう部分がけっこうありますが、文の書き方や単語の選び方などに割いている紙面も多く、翻訳の仕事にもかなり役立ちそうです。
以下、役立ちそうだと感じた部分で私が思ったことです。詳しくは、本のほうを読んでみてくださいませ。
これはよかった。一読をお勧めします。
文章術というと、どういう材料をどう料理するかが中心のことが多く、「そのあたり、翻訳ではさわれないんだよなぁ」と思ってしまいます。この本もそういう部分がけっこうありますが、文の書き方や単語の選び方などに割いている紙面も多く、翻訳の仕事にもかなり役立ちそうです。
以下、役立ちそうだと感じた部分で私が思ったことです。詳しくは、本のほうを読んでみてくださいませ。
翻訳フォーラムシンポジウム2021の直前、帽子屋さんがこの本をブログで紹介したのでKindle版を買ってみました。ぱらぱらっと読んで……青くなりましたね。だって、これ読んだら、シンポジウムで私の話、聞く必要ないんですもん。そう言いたくなるくらい、かぶりまくりなんです。そんなふうですから、シンポでは、私も紹介する予定にしていました。時間切れでそこまで到達できませんでしたが。
ともかく。
翻訳者なら買いましょう。つべこべ言わずに、すぐ、買いましょう。全力でお勧めします。アマゾンの書評はいまいちですが、我々にはすごく有益な本です。
書かれているのは、文の部分同士がどういう関係になっているのかを解きほぐしていく手法。目の前にある文について検討したら、似て非なる文についても考えてみて、複数のケースを比較し、同じようになるのか違うのか、違っているならなにがどう違っているのかと考えを進めていくと、いろいろとわかることがあるわけです。今回のシンポジウムで私が語ったのがまさしくそういう話だったし、勉強会「日本語構文マラソン」でやっていたのも、要するにそういう話です。
検討する手法はたくさんあります。私がシンポで紹介したのはごく一部。本書には、もっといろいろ紹介されています。くり返し使って身につければ、「訳文をいじわるに読む」力が格段に上がること、請け合いです。
「<善く、生きる>ための文章塾」と副題がついていることからもわかるように、文章の書き方の本です。対象読者として想定されているのは、一番にはプロのライターだけれど、ふつうに文章を書く人全般も視野に入っている、という感じです。
話はおもしろい。文章を書く人はこういうことも考えたりするんだなぁと勉強にもなります。
でも、翻訳に役立つかと言われると、微妙な気がします。
なにをどう切り取ってどう表現するのか。そこにかなりの比重が置かれているからです。たしかに、プロのライターをめざすならそこは大事。一番大事と言ってもいいかもしれません。でも、我々翻訳者の場合、そこは、原著者がすでにやってしまっている部分で、我々が手を出してはならないとも言える部分だったりします。
ライターさんは内容で勝負、我々は表現のみで勝負、ですからね。
こういうことを考えて原稿を書いてるんだと知れば訳文も変わる、という意味においては読んで損のない話ですし、だから、今回の記事も、一応は「お勧めする」側に入れているわけですが。
表現についても書かれています。書かれていますが、これまた、みずから書く人向けであり、我々は取り扱い注意かなと思うところもあったりします。
日本語教育の研究も実践もされている横田亜朱紗さんを迎え、駒宮俊友さんが行われたトークイベント「英日翻訳に役立つ日本語学習のヒント」を聞いてみました。
こういう話、大事です。日本語の勉強って大事なのにやってる翻訳者が少なすぎると私は思っているので、このブログでも、日本語の話ばっかりしていたりするわけです。私自身、ここ20年、英語より日本語の勉強をしている時間のほうがず~っと長かったりしますし。
内容としては、例として、似て非なる表現の違いをいくつか取り上げ、そのあたりが解説されている本などが紹介されたりしました(↓)。また、少納言・中納言などのコーパスも簡単に紹介されました。
この部分で紹介された本、とりあえず、持っていなかったものは買ってみました。類似表現の使い分け辞典みたいなものはあんまりなかったりするので、ちょっと楽しみだったりします。翻訳の現場でどこまで使えるか、届いたら使ってみたいと思います。
『くらべてわかる日本語表現文型辞典』は類似表現の使い分け辞典という感じで、かなり使えるのではないかと期待しています。
こちらは、いわゆる文法書。すでに持っているものがあるなら、とりあえず、買う必要はないかもしれません。私は、一応、持ってますが……あんまり参照した記憶がありません(^^;)
ちなみに、Sakinoさんは、『日本語の文法 』をよく参照されてます。
これはいい。おすすめです。私は、あとでまた読む本、くり返し読んで考える本の棚に置くことにしました。
去年、翻訳フォーラムのシンポジウムで「日本語は人がにじみやすい」という話をしたら、目からうろこだったと言われたので、以来、そこここで語るようにしています。なのですが、みんな、意外に気がついていないということは、もしかすると、私の思い込みにすぎないのではないかという懸念も感じてきました。
どうやら、そういうことではなかったらしいと安心させてくれたのがこの本です。
というわけで、この「人がにじむ」とはどういうことなのかと興味を持った方がおられたら、本書を読んでみることをおすすめします。
「は」と「が」という使い分けがよく話題になる言葉について、包括的に分析した良書です。10年以上前に読んで、よくまとまってるなぁ、「は」と「が」でおすすめするならこの本かなぁと思ったのに、ブログ記事も書かず、ほったらかしてしまいました。今回、こうして紹介するためもあり、読み返してみましたが(また読む本に分類していたのに、10年以上も再読していなかった……)、やはり、よくまとまっているし、この10年ほどで、これ以上の本には出会っていないなぁと思いました。
先行研究をいろいろと紹介しつつ、それを統合する原理を提案する、という形で論が進みます。
日本語文法研究に一石を投じられれば、と、著者が前書きに書いていることからも明らかなのですが、本書は、いわゆる日本語文法の専門書に分類されるものでしょう。ですから、必ずしもわかりやすいとは言えません。専門書にしてはとてもわかりやすく書かれているとは思いますけど、ね。
読みが同じ漢字をどう使い分けるのかを詳しく解説した本です。用字用語辞典などで、ごく簡単に、こういうときはコレ、こういうときならコレと紹介してあるものが、なぜそうなのかや、基本はこっちだが、こういう意味を強調したければこっちなどと解説してあります。
これはいい。
たとえば「まわり」。「周り」と「回り」はどう使い分けるのか。
たとえば「あがる・あげる」。「上がる・上げる」「挙がる・挙げる」「揚がる・揚げる」「騰がる・騰げる」はどう使い分けるのか。どういう場合はかな書きにするのか。
たとえば「はかる」。「測る」「量る」「計る」「図る」「謀る」「諮る」はどう使い分けるのか。どれはルビを振っておくべきなのか。
たとえば「ひく」。「引く」「牽く」「曳く」「挽く」「惹く」「魅く」「抽く」「退く」「弾く」「轢く」「碾く」はどう使い分けるのか。どれはルビを振っておくべきなのか。
「まわり」は1.5ページ、「あがる・あげる」は2.5ページ、「はかる」は4ページ、「ひく」にいたっては7.5ページにわたって説明されています。必要に応じて図などもあるので、けっこうわかりやすい。
(ちなみに、上記は、最近、実際に調べて確認したものばかり)
説明が詳しいということは、逆に言えば、収録されている言葉そのものはそれほど多くありません。でも、載っていればめっけもの。なんとなくこうかなぁと思っていたり、迷ったりするものが、こうだからこう、と説明されているのですから。
こういう漢字の使い分けを説明した本はいろいろあって、何冊か持っているのですが、いずれも、何回か引いただけで本棚のこやしになってしまいました。例外がこの本で、これだけは、使い分けに不安を感じたとき、とりあえず、引いてみることにしています。
翻訳に対する柴田元幸さんの考え方をまとめた本。あちこちで話したり書いたりされたものをまとめたもの、1項目1ページくらいにまとめたもののようです(Kindleで読んだのでよくわかりませんが)。
何カ所か、さまざまな意味で「おお!」っと思ったところを紹介します。まあ、なんというか、翻訳と真剣に向き合うと、みんな、似たようなことを考えるんだなぁって感じです(おこがましいぞ>自分)
■1. 「理想の翻訳」
「翻訳なんて、全部、間違っている」
「どう間違うのがいちばんいいのか」
同じことをセミナーとかではよく言っているので(「翻訳したら必ずなにかずれる」「全体としてのずれが小さくなるように調整する」)、ブログ記事も書いてるんじゃないかと探してみたのですが、みつけられていません。書いてないのかなぁ。「Stay Hungry. Stay Foolish.」に「何をどう訳しても、いろいろなところにズレが生じます。ある面のズレを小さくすると別の面のズレが大きくなったりするので、こうすればいいという道はありません」とは書いていますが。
「millions、billions……」の記事に関連して、さきのさんから、「数百万ドルはかかる」という表現だと、せいぜい700~800万ドルで1千万ドルはかからないと理解する人がけっこういそうだという指摘がありました。
この場合の「は」は下限を意味する言葉であって、上限は特定されていません。つまり、上は無限まで含意することになります。表現としてはそういうことになりますが、それが実際どう理解されるのかということは(←翻訳で使う表現としてはこれが大問題)、また別の問題になります。
たしかに、下限を示す形っていうのは、そのあたりの数字だと思ってほしい、上限無限だってことに気づいてほしくないってときにもよく使うわけで、逆に言えば、そう理解する人がいてもおかしくないわけです。いや、一般に少なくないからそういう言い方が使われるとも言えるでしょう。
さらに、「日本語の「『数~』って、2~7、8くらいの数字がイメージされることが多く」についても、さきのさんから指摘が。自分もそう思うけど、「ヨノナカでは2~3なんだと言い張る人をたくさん知ってます」、と。
ですね~。
「数~」は、大きく分けて、2~3派、3~4派、5~6派といろいろいるようです。私は、基本的に、5~6派。でも、ほかの理解をする人がいるのは知ってますし、「数~」のカバー範囲はそれなりに広いとも思っているので、2~3派とか、ほかの理解をしている人とかいてもそれはそれだと思ってますけど。
それはともかく。
翻訳フォーラムシンポジウム2018の準備を進めていたとき、登壇者のひとりに紹介されて買った本です。これはよかった。ここしばらくに読んだ参考書で一番のヒットかもしれません。
本書は、シンポジウムのテーマ「つなぐか切るか」と深く関わる「結束性」なるものについて研究し、書かれた論文が本となったものです。もとが博士論文で一般向けとは言いがたく、その分、読むのが大変だと言えばそのとおりなのですが、内容は、すごくいいと思います。
前に「『わかるものを省略』と『必要なことを言う』の違い」という記事を書いていますが、そのあたりについても、はっきりと書かれています。
■本書p.66より
統語的に必須である要素が表層に存在しないことをその要素の「非出現(non-realization)」と呼び、基本的に日本語ではこの状態が無標である
無標というのは、特に意図がなければそうする形というくらいの意味です。逆に有標はなにか意図があるわけで、その分目立つことになります。
非出現が無標ということは、そこにないのは省略されたからではない、単に基本の形になっているだけのこと。そのとき、その言葉を出現させればそれは有標となり、なにかの意図を示す。このあたりは、「言葉を増やすと文意が変わる」に書いたとおりです。私がなんとなく感じていたことを文法的に表すと、「日本語においては非出現が無標」になるのでしょう。
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