翻訳-スキルアップ(各論-品質)

2017年2月22日 (水)

トランスクリエーション?

数年前から「トランスクリエーション」なる単語を耳にするようになりました。つい先日発売された通訳翻訳ジャーナル2017春号にも「広告・マーケティング翻訳の新しい形 トランスクリエーションとはどんな仕事か」という記事が載っています。

上記記事によると、トランスクリエーションとは「ソース言語のコピーが喚起する感情や印象を把握し、それと同じものを喚起させるようなコピーをターゲット言語で書くこと」だそうです。

私の正直な感想は「なにそれ。それって単なる『翻訳』じゃん」です。

続きを読む "トランスクリエーション?"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年1月11日 (水)

NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』-「遠回りこそ、最良の近道」肝臓外科医・高山忠利

NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』、録画しておいてときどき見るようにしており、このお正月明けには、2015年9月28日に放映されたこの番組を見ました(外科医とか言われると食べながら見る気にならず、ずっとほったらかしになってました^^;)。

「遠回りこそ、最良の近道」肝臓外科医・高山忠利(NHKの番組紹介ページ)

「遠回りこそ、最良の近道」肝臓外科医・高山忠利

上記番組紹介ページにも書かれていますが、高山医師は、普通は縛る必要がないと言われる微細な血管まで根気よく縛って止血することで出血量を抑え、普通なら不可能と言われる難手術を可能にしているそうです。この点について、番組でご本人がこんなふうなことを言われていました――

そこまでしても意味はないって言う人が多いけど、それはだめ。

このくらい縛らなくていいやと思ったら、必ず、もっと太い血管も縛らなくていいと思うようになる。だから例外は作らない。みつけた血管はすべて縛る。

高山医師は、徹底的な止血により、通常は1000mlと言われる手術中の出血量を300mlまで押さえ込んでいるそうです。5年生存率も56.8%という全国平均に対して63.8%とのこと。

この違い、大きいと見るのでしょうか、小さいと見るのでしょうか。

続きを読む "NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』-「遠回りこそ、最良の近道」肝臓外科医・高山忠利"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月15日 (木)

翻訳支援ツールを使うと翻訳の品質は上がるのか

baldhatterさんが書かれた「緊急提言 --- Tradosで一人前の翻訳者???」に関連してとあるところで行われたやりとりで、(↓)のようなことを書かれた人がいます。

ツール使えなくてもすごい翻訳者がたくさんいる。使ったらきっともっとすごいんだろう。

おもわず「それはない」と突っ込んでしまいました。

翻訳支援ツールは、翻訳の品質があがるってうたい文句に入っていたりしますけど、ツール使ったら翻訳の品質は上がるなんてこと、ありません。少なくとも、上手な人の場合、それはない。統一すべき用語や表記の統一さえもおぼつかないとか最低限のこともできていないレベルなら、ツールに助けてもらって質が高まるということもありますが。でも、上手な人は、ツールを使っても使わなくても上手。なにをしなければならないのかわかっていて、どういう環境でもなにがしかの方法でやるべきことをきちんとやるからです。というか、上手な人の場合、そういう基本はできていて当然の話にすぎません。

質は人間が作り込むものです。ツールは、作り込む手間を省けるなら使えばいいし、そうでなければ使う必要がないという程度のものにすぎません。だから、ツールを使ったら質が上がるなんてことはありません。

逆に、ツールの特質に足を引っぱられて質が下がることなら、場合によってありえますが。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2014年6月19日 (木)

機械翻訳の懐疑論者は大きな見落としをしているのか~見落としの見落とし~

1年ほども前のことですが、知り合いのブログに「機械翻訳の懐疑論者は大きな見落としをしていないだろうか」という記事が投稿されました。この記事に対する反論を書いてみたいと思います。

半年ほども前に書いたのにアップロードを忘れていました。

この話、特に後半は、機械翻訳を使う人たちに共通する論理で、いろいろなところで陰に陽によく言われます(前半は後述するように、このページを書かれた人のうっかりまちがいです)。このようにはっきりとウェブ上に書かれているのをほかに見た記憶がないので、ここへの反論という形で書きますが、一般論として理解すべき内容だと思います。

取りあげるポイントは2点。「スピード」と「質」です。

続きを読む "機械翻訳の懐疑論者は大きな見落としをしているのか~見落としの見落とし~"

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2011年9月 3日 (土)

翻訳者は新しい表現を作ってはならない

「翻訳 ブログ」の「翻訳会社キーワードの挑戦」に「翻訳者は翻訳をしてはいけない」とありました。

ではどうやって翻訳するかというと、日本語の原文のキーワードをもとにして徹底的に公開されている英語の文書を調べ上げ、正しい訳文をコピペ、コピペ。なぜ僕が翻訳しないかというと、僕は単なる翻訳者なのでどの専門分野についてもずぶの素人、英語で各国の教育を受けた各専門分野の技術者、専門家が書いた英文の方が僕の書く素人の英語より正しいに決まっているからです。

言いたいことはわからないでもないですが……ソコが翻訳なの?と思わず突っこんでしまいました。

過去、このブログでも何度か書いていますが、翻訳というのは、下記3つのバランスをとることが大事であり、そのためにはこの3段階をぐるぐると循環するようにくり返す必要があります。

  • 内容を追って読む作業
  • 原文と訳文の過不足等をチェックしつつ読む作業
  • 訳文を訳文だけで読んだ場合の文章としての完成度をチェックする作業

続きを読む "翻訳者は新しい表現を作ってはならない"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年7月23日 (土)

翻訳調の功罪

今日、日本通訳翻訳学会の「翻訳研究育成プロジェクト」で話を聞いてきました。目的は鴻巣友季子さんの「訳しにくさの正体」という講演。いろいろシュラバっていて講演会なんぞに行っていていいのか、仕事を少しでも進めるべきじゃないのかとも思うのですが、ちょうど、先日来、気になっている翻訳調と関係のある話が聞けるかもと無理を押して出ることにしました。

いろいろな話があったのですが、ここではひとつだけ取りあげます。

続きを読む "翻訳調の功罪"

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2011年7月10日 (日)

翻訳時に消える言葉・出てくる言葉

翻訳会社、アークコミュニケーションズ社長の大里真理子さんが書かれているブログに、先日、「『ちゃんとやったのにうまくいかない』ということはありえない!」という記事がありました。

このように日本語の「ちゃんと」は英語ではわざわざ言わなくてすむ言葉だろう。なんて曖昧で、日本的な表現なのであろう。

おっしゃるとおり、日本語から英語に変換するとき、この「ちゃんと」は消える言葉だと思います。ということは、英語から日本語へと翻訳するときは、どこからともなく、この「ちゃんと」が出てこないといけないはずです。そうしないと、行って帰ったら違うモノになってしまいます。

もう一点。あいまいなのが日本的表現なら、くどいのが英語的表現。だから、英語から日本語に翻訳するときは、すこしすっきりさせてやらないといけません。そうしないと、普通の文章がくどくどした文章になってしまいます。つまり、英語から日本語へと変換するときに消える言葉というのもあるわけです。であれば、日本語から英語へ翻訳するとき、どこからともなく出てこなければならない言葉もあるはずです。

続きを読む "翻訳時に消える言葉・出てくる言葉"

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2011年6月10日 (金)

翻訳に慣れた読者・慣れていない読者

先日来、どういう訳文をめざすべきかということに関して、いくつか記事を書いてきました(↓)。その関連で、「翻訳に慣れた読者・慣れていない読者」という問題について少し考えてみたいと思います。

関連エントリー

人間の適応力が高いからか日本語が柔軟だからなのかよくわかりませんが、おかしな翻訳も読み慣れるとなんとなくそんなものだと思うようになります。ローカリ系でよく言われるなんでも「提供」しちゃう文章とか「不正な操作」とかも最初は違和感がありますが、そういう文章をくり返し読んでいると、いつのまにか自分でも書くようになっていたりします。

だから、おかしな文章を読み書きするのは危険という話もあるのですが、今回は趣旨が違うので横においておきます。

言い換えると、普通の日本語としてはおかしな言い回しだけれど、翻訳の世界ではよく出てくるものがあり、翻訳の世界にどっぷり浸っているとそういう言い回しをおかしいと思わなくなるということです。

続きを読む "翻訳に慣れた読者・慣れていない読者"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年5月 8日 (日)

翻訳フォーラム勉強会-"Philomel Cottage"を題材に

しばらく前の2011年4月15日、「河野一郎さんを迎えての勉強会」から派生した翻訳フォーラムの勉強会を行いました。

題材は「河野一郎さんを迎えての勉強会」で題材となった"Philomel Cottage"の冒頭で、事前に(↓)のようなことをしました。

  • なるべく訳文を事前に提出してもらう
  • それをまとめて参加者に配布(どれが誰の訳文なのかは、とりまとめてくれた人、1人しか知らない)
  • 評価とその理由をなるべく提出してもらう

とりまとめをしてくれた人が住んでいるマンションの集会室を借り、プロジェクターやパソコン、ポケットWiFiなどを持ちよって、朝9時から夜8時ごろまでえんえんとあれやらこれやらの話をしました。

翻訳フォーラムですから、参加者は全員、産業系が主体の翻訳者です。産業翻訳と文芸翻訳はまったく別という考え方もありますが、私は、程度問題であって共通する部分が多いし、また、産業系で小さな違い、大きな違いを生む部分はその小さな違いが大きな違いとなりがちな他分野を題材にしたほうが把握しやすいのではないかと思ったりもします。

前半は原文の理解を深めるための周辺情報についての話が中心で、後半は、さまざまな部分の訳し方についての話が中心でした。時代の問題、著者がアガサ・クリスティーという女性であることの問題……いろいろな観点から検討を行いました。

お昼はおにぎりをほおばりながら話が続いていましたし、夕食もピザをつまみながら話が続いていたしで、結局、10時間以上、休憩らしい休憩なしにぶっとおしとなりました。

続きを読む "翻訳フォーラム勉強会-"Philomel Cottage"を題材に"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年5月 7日 (土)

原著者が日本語を知っていたらどう書くか

先日のエントリー、「『越前敏弥の日本人なら必ず悪訳する英文』刊行記念講演会」でも取り上げましたが、「原著者が日本語を知っていたら書くはずの日本語にする」という基本方針のもと「表現に対する原著者の工夫をどこまで織りこむか」というのは悩ましい問題です。

このブログに書いたエントリー関連でも、古くは、2005年に書いた「『スティーブ・ジョブズ-偶像復活』」のコメント欄における"Two years later, CG closed its doors."の話とか、最近では、昨年の2010年夏にいろいろと検討した「『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』-誤訳の指摘」の"Apple Unleashes Leopard Operating System"などがあります。

原著者がある表現を使った背景にはそれなりの理由があるはずです。逆に言えばそれ以外の表現を使わなかった、使いたくなかった理由があるはずなのです。もちろん、なんとなく書いただけってこともあるわけですが。

ともかく、工夫については、工夫の「意図」が翻訳の読者にも通じるようにすべき、そうしたほうがいいのは明らかでしょう。でも、原文における工夫の意図を伝えようとすると普通の表現ではなくなり、「わかりにくい」「日本語が不自然」「翻訳がおかしい」という感想を持つ人が出てきがちです。説明っぽくなりがちなのも問題です。ある意味、ノイズとして、読者の足を引っ張ってしまうのです。

この問題は、ここ数年、ずっと頭の片隅に引っかかっていて、折々検討してみたり、訳文の中で実験して様子をみたりしているのですが、自分の中でどうにも折り合いがつかず、困っています。

というわけで、『越前敏弥の日本人なら必ず悪訳する英文』に出てきた"While a cat is away, mice will play"をネタに、何をどう考えたらいいのか、改めて検討を加えてみたいと思います。

念のため申し添えておきますと、『越前敏弥の日本人なら必ず悪訳する英文』の内容をあげつらおうという話ではありません。あの本は翻訳初心者が対象読者の中心であり、そういう人に向けて方向性を示すという意味において、あの記述はそのままでアリだろうと思います。ここで行うのは、あくまで、あの話をきっかけとして、いろいろ掘り下げてみようというものです。

続きを読む "原著者が日本語を知っていたらどう書くか"

| | コメント (7) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧