Buckeye's profile

2008年5月23日 (金)

好きな言葉

  • 為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり
  • 足るを知る
  • 人間万事塞翁が馬

この3つが並んでいるのは支離滅裂に感じると言われることがあるのでちょっと説明なんぞを。

人間、努力すればそれなりのことはできるようになるものです。できないことがあるのはできるようになろうとしなかったから。できないという現状が気に入らないなら、できるように努力すればいいだけのことです。ただし人間の一生は時間が限られています。何から何までできるようになれるほどの時間はありません。だから、「足るを知る」ことも大事です。こっちができるようになったのだから、あっちができなくてもいい、いや、こっちができれば満足だからあっちはやらないって考えるわけです。そうしないと、がんばりすぎて体をこわすのがオチでしょう。また、「為せば成る」といっても、その道のりは長かったり紆余曲折があったり、いろいろです。瞬間瞬間に一喜一憂せず、「人間万事塞翁が馬」と長い目で自分を見ることも必要です。

「足るを知」って現状に満足しつつ、「人間万事塞翁が馬」とゆったり構えながら「為せば成る」と次の目標に向けて一歩ずつ歩いていく……そんな人生がおくれたら幸せかなぁと思うわけです。

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2005年7月22日 (金)

プロフィール

■名前

本  名:井口耕二(いのくち・こうじ)
ハンドル:Buckeye(ばっかい)

このサイトでも使っている"Buckeye"というハンドルネームは、企業派遣で留学した米国オハイオ州の州木、Buckeye(セイヨウトチノキ)に由来します。@niftyにあった翻訳フォーラムに参加したとき以来、ずっとこのハンドルで通しています。

■仕事関係

子どもが生まれたのを機にサラリーマンから二足のわらじを経由し、フリーランスの翻訳者に転身しました。専業になったのは1998年1月、38歳のときです。名刺やメールのシグニチャには、

  技術・実務翻訳
  テクニカルライティング

と書いています。これは、「テクニカルライティング的な考えを取り入れ、単なる翻訳から一歩踏み込んだ翻訳を提供する」という自分の想いを表したものです。いわゆるテクニカルライティングを仕事としているわけではありません。

仕事は企業などからの直請けがかなり多めです。一時期はいろいろと営業活動をしましたが、最近は、既存のお客さんと、お客さんや友人の紹介による新規くらいになっています。

翻訳会社経由の仕事もしています。定常的に仕事が流れているのは1社。そのほかにときどき打診があるところが2~3社あります。タイミングがあわずにお仕事をするにはいたらないことが多いのが心苦しいところです。また、JTFの名簿などから打診をうけることもありますが、スケジュールもさることながら、多くの場合、お値段が折りあわずにお断りする結果になってしまっています。

そのほか、機会があればノンフィクション系の書籍を訳すこともあります。過去、数人で訳し監訳者がつくという形で2冊、自分が訳者となった本が10冊あり、現在も、2010年秋から冬の出版をめざした本に取り組んでいます。詳しくは、「著書・訳書」のページ をご覧ください。

取り扱う分野としては、エネルギー利用技術の研究職だったこともあり、エネルギーと環境がいちばんの専門となります。ただ、もともとの専門であるプラント関係というのがいろいろな技術の集合だということもあり、電気・電子や機械、計測機器、化学なども守備範囲です。パソコン関係は趣味なので、ソフトウェアにもハードウェアにも対応しています。会社員時代の最後はビジネス部門にいたこともあり、ビジネス系のものもよくやります。

言語は英日・日英。日英は疲れが激しいこともあり、正直なところ、できればやりたくないので、料金設定をかなり高めにしています。そこまでの価値を私の日英訳に見いだしてくれるお客さんしか私に日英を発注しない→日英が減って英日中心になるということを狙っているわけです。それでも、英日:日英が70:30から50:50で狙いどおりになっているのかなっていないのか、よくわからない時期が長かったのですが、最近は9割方和訳に落ち着いています。

自分が訳す以外の仕事としては、雑誌やメルマガに記事を書くということがちょくちょくあります。一応、ライター稼業もしているというところでしょうか。大昔、@nifty翻訳フォーラムに連載した「二足のわらじ講座」は後に書籍化され、『実務翻訳を仕事にする』となりました。絶版になってしまいましたが、類書がないということで、いまだに古本として取引されているようです。なお、2010年をめどに改訂版を出すプロジェクトが進行中です。

また、2008年4月からしばらくISSという翻訳学校の実践実務科と本科で教えるという経験もしました。実践実務科はOJTを中心とした少人数クラスで、対象は翻訳者として独立一歩前の人となっています。そのため、教えるというよりもトレーナー的な立場でクラスにかかわるようにしています。オフラインのクラスで教えるというのは、時間の制約とか、いろいろときびしいものがありますね……

■関与しているところ

お金になる仕事以外では、翻訳フォーラムという翻訳者の情報交換・相互研鑽の場を友人と主宰しています。

翻訳フォーラム
http://www.maruo.co.jp/honyaku/

2002年から2016年まで日本翻訳連盟(JTF)の理事もしていました。2006年から2016年までは常務理事でした。
http://www.jtf.jp/

一時期は日本SOHOセンター(JSC)の副理事長もしていましたが、さすがに手を広げすぎたと反省し、JSCは副理事長を辞任し、今は一会員として参加しています。
http://www.sohocenter.org/

■関連リンク

Buckeye the Translator (昔作ったウェブサイト)……このブログと同じ名前です。

上記サイトで、翻訳作業を支援するツールやマクロを公開しています。
Software Library  

■バックグラウンド

大学(日本)も大学院(企業派遣で米国)も、化学工学というプラント系のところでした。会社員時代はエネルギー利用技術の研究職をしていたので、プラント、中でもエネルギー利用技術がいちばんの核になります。

一方、子どものころは、趣味が服着て歩いていると言われるほど、いろいろとやってました。高校時代など、部活動だけでも、フィギュアスケート、水泳、アマチュア無線、英語と4つ(^^;) それ以外に、夏には山歩きに行ってましたし。大学に入ってからは写真にバイク・ツーリングまで加わりさらにはちゃめちゃ状態に。プログラミングも、BASICからPascal系言語、FORTRAN、COBOLと、バイトを含めてずいぶんとやりました。スケート引退後はスキーにはまった時期も。あと、木工・エレクトロニクス(最初は真空管だった)なんかのDIYも小学生時代からず~っと続いてますね。

勉強以外のことばかり熱心にやっていたからでしょう、大学卒業時、ふつうの企業(エネルギー会社)に就職したらみんなにびっくりされてしまいました。スケートの友だちは私はスケートで食べていくのだろうと思っていたそうですし、大学の友だちはソフトウェアの会社に就職するんだろうと思っていたそうです。結局、会社を辞めて不自由業(^^;)に転身しちゃった遠因に、そのあたりがあったのかもしれませんけどね。

フィギュアスケートは、15年近くも選手生活をしたので、私の考え方なりモノゴトのとらえ方なりに強い影響を与えているようです。要するに、根が「体育会系」なんだと言ってもいいかもしれません。また、単なる体育会系ではなく、採点競技だったことから、評価があるようなないような翻訳と似ている面が多く、今の仕事にも役立っているように感じます。

(2016年6月加筆修正)

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