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2024年6月12日 (水)

翻訳の才能とはなんなのだろうか(その2)

前投稿「翻訳の才能とはなんなのだろうか」の続きです。

いまさらながら辞書を引いてみました。

(三省堂国語辞典)ものごとをりっぱにやりぬくための、頭のはたらきや能力。
(新明解)物事を理解して処理する、頭の働きと能力。
(大辞林)物事をうまくなしとげるすぐれた能力。技術・学問・芸能などについての素質や能力。

才能というのは現在の能力というより生まれもった才を指すものだと思っていたのですが、このあたりの語釈は「いま現在の能力」と言いたげなものとなっています(「素質」の一言がある分、大辞林は少し違う)。

「いま現在の能力」なのであれば、それこそ、上手下手と才能の有無が基本的に対応することになります。上手下手、能力、才能が入れ替え可能な同義語に近いと言ってもいいでしょう。

そうなんでしょうか。

私は、前述のように、才能とは現在の能力というより、やはり、生まれもった才を指すものだと思うのです。そして、生まれもった才とは、それがあれば、最初から(小さいころから?)それなりにうまくできてしまうとか、同じような訓練をしてもほかの人より伸びが速いとか、それこそ、最終的な到達可能点がほかの人より先であるとか、そういうものだと。

一般にも、「努力しているのになかなか力がつかない。自分には才能がないんじゃないか」みたいな言い方をします。でも才能が能力と同義だとすると、これ、「努力しているのになかなか能力が伸びない。自分には能力がないんじゃないか」ってトートロジーになってしまいます。もちろんそんなことが言いたいわけではなく、能力が伸びない理由が才能がないからなんじゃないか、言い換えれば、才能がないと能力が伸びにくいって言っている言葉のはずです。

というわけで、私には(↓)のほうがしっくりきます。

(日本国語大辞典)生まれつきの能力。また、その働きのすぐれていること。才幹。
(大辞泉)物事を巧みになしうる生まれつきの能力。才知の働き。

前投稿では比較例としてピアノを出しました。ピアノを弾くという行為は、人が生まれ、成長していく過程でだれもが必ずすることではありません。だから、才能もさることながら練習が大事というか、練習しなければうまくならないことがわかりやすい。対して言語は、人が生まれ、育っていくとき、日常生活で使うものです。ふつうに暮らしているだけで、それなりの練習ができてしまうわけです。

でも、前述のように、なにごとにつけ、練習の効率というか、同じだけ練習したときどのくらい身につくのかは人によって異なります(←これが「才能」?)。また、練習というのは、漫然としているか、勘所を押さえて意識的にしているかでも効率や効果が大きく異なります(←こちらは姿勢や勉強技術の問題)。

こう考えてくると、「才能がない」とは、本当に才能がないケースのほか、漫然としか練習をしていないケースや、練習の方法がまちがっていて効果が上がりにくいケースなど、実は才能と関係のないところが問題の可能性が出てきます。

さらに言えば……「生まれつきの才」はいまさらどうにもなりません。自分には人並み外れた才があるのかもしれないし、十人並みの才しかないのかもしれないし、平均より下の才しかないのかもしれない。でも、そこは「生まれつき」だから変えられない。対して姿勢や勉強方法はいまから変えられるし、そこを変えれば、いまよりは効果的に力を伸ばせる可能性がある。

その中で、これからどうしていくのがいいのでしょう。私としては、勉強の方法を工夫したり人から学んだりして、それを、なるべくたくさんの機会をとらえて実践していく、しかないように思えます。その結果、どのくらいのスピードで力が伸びるのか、どこまで力が伸びるのか――それは才能によってすでに決まっているのかもしれません。でも、自分の限界に肉薄するには、才能によって決まっている成長速度や最終到達可能点に少しでも近づくには、そうするしかないでしょう。

前投稿「翻訳の才能とはなんなのだろうか」でも紹介したように、『翻訳とは何か 職業としての翻訳』で山岡洋一さんは、「翻訳にあたって自分に何かが不足していることを思い知らされたとき、その何かを『能力』だと考えていては、親を恨むか、DNA療法の飛躍的な進歩に期待をかけるしかなくなる」「不足しているのは、たいがいの場合、もっと具体的な何かである」、必要なのは「技術」であると書かれています。私は、もしかすると人によって才能に差があるのかもしれないとも思うのですが、それでも、実際になにをすべきなのか、どうするのがいいのかという具体的な行動のレベルでは、山岡さんとまったく同じなるわけです。

「技術」を身につける。その努力をする。それしかないし、その努力は裏切らない。他人と比べて速い遅いはあるかもしれないが、努力をした明日と努力をしなかった明日を比べれば、努力をした明日のほうが力が伸びているという意味において。

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