翻訳の才能とはなんなのだろうか
翻訳について、「才能」という言葉が使われることがわりとよくあります。でも、翻訳の才能とはなんなのでしょうか。なにをもって才能と言うのでしょうか。
このあたり、考えがまとまっているわけではなく、結論めいたものは提出できないのですが、ほかの方々がこのあたりについて考えるきっかけになればと思い、この記事を書くことにしました。
翻訳の才能は、才能ある人の翻訳は上手だという感じで使われることが多いように思います。逆に、翻訳が上手な人は才能があると言われがちな気がします。
じゃあ、上手下手は才能で決まるのでしょうか。才能ある人は最初からうまいのでしょうか。いま、下手な人は才能がなく、今後、なにをしてもうまくなれないのでしょうか。
そんなことはないはずです。努力しなければ才能があっても開花しません。だから、最初はみんな下手くそです(少なくとも、その後努力して伸びた後に比べれば相対的に下手)。
『翻訳とは何か 職業としての翻訳』に、山岡洋一さんは、翻訳に取り組んでいると「小さな技術の組み合わせによって訳文の九十パーセント以上が書けてしまうと思えるほどである」と書かれています。「翻訳にあたって自分に何かが不足していることを思い知らされたとき、その何かを『能力』だと考えていては、親を恨むか、DNA療法の飛躍的な進歩に期待をかけるしかなくなる」「不足しているのは、たいがいの場合、もっと具体的な何かである」、必要なのは「技術」であるとも。
技術であれば身につけられます。ただし、練習が必要です。このあたり、私は「体育会系翻訳トレーニング論」として訴えてきました。
練習するのはあくまで基礎的な技術なので、いわゆる基礎練です。ピアノならハノンで音階の練習をくり返すようなもの。アマが楽しく弾くだけならそんなことせず曲の練習だけでもかまわないはずですが、プロ級になりたい、あるいは、ほんとうにプロになりたいのであれば、基礎練習は不可欠です。それも一時期やればいいのではなく、それこそプロの演奏家なら毎日基礎練習を欠かさずやっているはずです。オリンピックに4回出場し、たくさんのメダルを獲得した体操の内村航平選手も、前転などの基礎練習をじっくりくり返していたそうです。なにをするにも、一流の人ほど基礎練習をしっかりしているということなのでしょう。
ですが、そういう基礎練習を意識的にやったことのある翻訳者は、意外に少ないようです。セミナーで「体育会系翻訳トレーニング論」を語ったとき、「練習したことのある人?」と尋ねても手はほとんど上がらないのです。
一方、そういう基礎練習をとくにせずとも上手な人はたしかにいます。そういう人は「才能」がある、のでしょうか。
そのあたりは基礎的な言語能力であり、翻訳者になる前に習得している能力である、才能であると言う人もいます。そういう言い方も、たしかにできるでしょう。小さいころの興味関心からか環境からか、たまたまそういう能力を平均よりはるか上まで伸ばした人はたしかにいるわけで。でも言い方を変えれば、それは小さいころの訓練で身についた技術なのではないでしょうか。であれば、大人になってからでも、意識して基礎練習をくり返せば(かなりのところまでは)身につくのではないでしょうか。
おもしろくもない基礎練習をくり返せるのも才能だという考え方もあって、それはそうかもしれないとは思うのですが。ただ、そういう意味で「翻訳の才能」が語られているのは見た記憶がありません。
ちなみに、私は、そういう小さな技術をひとつピックアップしては、しばらく、そこだけは必ず気をつけるという形で練習をくり返しています。だから、訳文の九十パーセント以上が書けるくらい、小さな技術は身についているはずだと思います。だが、山岡さんがそこに付記されている「(もちろん、実際には翻訳とは『その先のこと』なのだが)」については、いまだに手探りでよくわかっていません。そして、世の中で翻訳の才能うんぬんと言っている人たちは、「その先のこと」を語っているのかもしれません。翻訳の上手下手・能力は、自分の少し上までは評価できますが、段違いに上の人については評価できません。なぜそうしたのかがわからず、すごく上手なのか、勝手訳になってしまっているのかわからないからです。だから、才能についても、私のレベルが低すぎて、才能うんぬんという話を正しく評価できていない可能性は否定できません。
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