『三行で撃つ』
「<善く、生きる>ための文章塾」と副題がついていることからもわかるように、文章の書き方の本です。対象読者として想定されているのは、一番にはプロのライターだけれど、ふつうに文章を書く人全般も視野に入っている、という感じです。
話はおもしろい。文章を書く人はこういうことも考えたりするんだなぁと勉強にもなります。
でも、翻訳に役立つかと言われると、微妙な気がします。
なにをどう切り取ってどう表現するのか。そこにかなりの比重が置かれているからです。たしかに、プロのライターをめざすならそこは大事。一番大事と言ってもいいかもしれません。でも、我々翻訳者の場合、そこは、原著者がすでにやってしまっている部分で、我々が手を出してはならないとも言える部分だったりします。
ライターさんは内容で勝負、我々は表現のみで勝負、ですからね。
こういうことを考えて原稿を書いてるんだと知れば訳文も変わる、という意味においては読んで損のない話ですし、だから、今回の記事も、一応は「お勧めする」側に入れているわけですが。
表現についても書かれています。書かれていますが、これまた、みずから書く人向けであり、我々は取り扱い注意かなと思うところもあったりします。
たとえば、「常套句をなくせ」というアドバイス。「抜けるように青い空」とか「スタンドを埋めた」観客が「沸く」とか書くな、と。文章が常套的になるから、ありきたりになってしまうから。さらには、ものの見方まで常套的にしてしまうから。
それはそうなんですよね。でも、翻訳者の場合は、また違う面にも配慮が必要だったりします。たとえば英日翻訳では、もともとの英語表現が常套的じゃないケースもありますし、常套的な英語も字面で訳すと常套的じゃない日本語になるケースがいっぱいあります。これを常套的でない表現に訳すとどうなるか。
元が常套的な英語の場合、最悪、「英語の常套句も知らないあほな翻訳者」と言われかねません。このあたりで有名なところとしては、村上春樹さんなんかは"as cool as a cucumber"を「キュウリのようにクール」ってされててすごいって話などがありますが、それは村上春樹さんという世界的な作家さんだから「おもしろい翻訳」あるいは「翻訳調を活用した新しい日本語の創造」になるのであって、あんなの、私がやったら、まずまちがいなく「英語の常套句も知らないあほな翻訳者の直訳」になってしまいます。
もともと常套的じゃない英語表現を工夫して常套的じゃない日本語にしても、これまた、翻訳がおかしくてよくわからないと言われかねません。まあ、こちらは、わかりやすいのが必ずしもいいことではないので、そういう意味でもまた、難しいっちゃ難しい話ではあります。
役割語なんかも同じことなんですが、母語で書き下ろす場合には、ほかのところで工夫してやらないほうがいいこと、使わないほうがいい手法も、翻訳の場合、ある程度は使わないとわかりにくくするだけになることもあったりします。
「誤読を誘う文章にしろ」みたいな話もありました。いい文章とは、すきまのある文章、読み手の足跡が残る文章、誤読の種をはらむ文章だ、として。傍証として挙げられているのが法律文書。法律文書が読みにくいのは、誤読の余地がないように書かれているから、というのは一理ありますけど、ね。
法律文書みたいな特殊例は横に置いて、ふつうに日本語を書いているかぎり、誤読の可能性をぎりぎりまで引き下げる努力をしても、すきまはできちゃうものだと思うんですよね。となると、我々がめざすべきは、そのすきまをどこに作るのか、それができちゃったというネガティブな意味を持つのか、著者が言うようなポジティブな意味を持つすきまとして効果を発揮するのか、それを判断して、後者であるようにする、ということなんじゃないでしょうか。そうしてできたすきまがポジティブな意味を持つには、前提として、すきまを極力減らしておく必要がある、というのも申し添えておきたいことです。
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