『Coders(コーダーズ) 凄腕ソフトウェア開発者が新しい世界をビルドする』
コードとかプログラムとか言われるものと無縁の生活をしている人はほとんどいないでしょう。職場でコンピューターを使う人や自宅にコンピューターを持っていて使っている人も多いですし、スマホでLineやFacebookを使っている人はもっと多いでしょう。いまだにガラケーという人も、ショートメッセージなどは使っているはずです。ゲーム機でゲームを楽しむのも、そのゲーム機に対応したコードがあるからできることです。
便利なアプリやおもしろいゲームにはまり、気づいたらびっくりするほどの時間を取られていた、なんてこともよくあります。ある意味、我々の生活は、いま、コードに支配されていると言ってもいいでしょう。
本書は、そのコード、コンピューターのソフトウェアを作る人々(コーダー)に焦点を当てたものです。
■Coders(コーダーズ)
話は、いまのようなデジタル式コンピューターが登場したころに始まり、どういう人がなぜコーダーになり、どうコーダーの世界を作ってきたのか、基本的に時系列で紹介されていきます。
当初、女性が中心だったのはなぜなのか。それがなぜ、どのような経緯で男性中心になったのか。ソフトウェアは規制と相性が悪いように見えるが、どういう経緯でそうなったのか。どういう人がコーダーに向くのか。実際、どういう人がコーダーになっているのか。ソフトウェア業界は能力主義で、実力だけが物を言う世界だと言われているが、それは本当なのか。などなど。
当然、たくさんのコーダーが登場します。こう言うとなんですが、わりと普通っぽい人から、一癖どころか二癖も三癖もあるような人まで。
そういう仕事をしている人や、そういう人が身近にいる人が読めば、ああ~、こういう人いるいる、こういうことあるあると思ってしまうこと、まちがいありません。
私自身、学生時代はプログラミングのバイトをしていて(某上場企業のシステム開発に携わったり)、ソフトウェア会社に就職するのだと学科の友だちに思われていましたし、いまも、翻訳に使うツール(それなり規模のソフトウェアです)を作って公開しているくらいなので、自分にも当てはまる話もいろいろと出てきて、楽しく仕事をすることができました。
ちなみに、翻訳者っていうのも、コーダーにわりと近い人種な気がします(^^;)
また、帯にも書かれていますが、いま、ヨノナカに広く提供されるサービスはコードという形を取ることが増えています。これをどういう人が作っているのか、そのせいでどういうサービスになりがちであるのか、そのあたりを知らなければビジネスが成り立たないとか、そのあたりを知っているか否かでビジネスの成否が分かれるといったことも少なくないでしょう。
■帯
コンピュータープログラムなんてわからなくても本書は読めます。プログラムそのものはほとんど出てきませんし、たまに出てくるときは、ちゃんと説明がついています。
現代を生きる基礎教養として、読んでおいて損のない1冊だと思います。
今回、訳者あとがきは書いていないので、裏話的なことだけ、少し。
ソフトウェアを作る人の呼び方、実はいろいろあります。英語ならcoder、programmer、developer……、日本語ならコーダー、プログラマー、ディベロッパー、開発者……。で、なんともややこしいのが、英語側も日本語側も、それぞれの単語でなにを指すのかが人によって微妙に違っていたり、さらには、カタカナ語のコーダー、プログラマーと英語のcoder、programmerがそれぞれなにを指すのか、どういう関係にあるのかが、日本語と英語で微妙に違っていたりする点です。
ごく大ざっぱに言うと……プログラマー(programmer)とは、ある問題をどう解けばいいのか、そのためには、どういうプログラムを作ればいいのかを考え、必要なコードを書いていく人。対してコーダー(coder)とは、指示に従ってコードを書く人であり、なにをどう解くのか考える部分を担当していない人、という分け方になると考える人が多いようです。問題解決の道具(プログラム)を作る人と、コードを書くだけの人と、というイメージでしょうか。
ですが、coderは、字面どおり「コードを書く人」という意味でも使われます。さらに、プログラムの作成には「コードを書く」という作業も含まれるので、programmerはcoderの一部であるという包含関係を前提に使われることもあります。実際、本書のcoderは、programmerを含むコードを書く人全般という意味で使われています。
なんですが、日本語だと、プログラマーを包含する概念としてコーダーが使われることはまれで、コーダーは、Web制作のHTML/CSS部分をコーディングし、デザイナーなどが考えたページを実現していく人、という限定された意味で使われるのが通例のようです。
基本はそんな感じだと思うのですが、実際の使われ方は、それなりごっちゃだったりします。
そもそも、コンピューターになにをどう指示するのかがプログラム(program)であり、そのプログラムをコンピューターにわかる形式で書くのがコーディング(coding)というイメージなはずなのですが、そのコーディング部分をプログラミング(programming)と呼ぶこともありますし、「コンピューターにわかる形式」もコード(code)と呼んだりプログラミング言語(programming language)と呼んだりするので、コードとプログラムの違いもわかったようなわからないような。使い分ける場合もあれば、なんかごっちゃにされているケースも少なくありません。
ともかく、英語だけ、日本語だけの世界なら、それぞれにおける基本的に使い分けをおさえ、それに従えばいいんですが……英語から日本語へ翻訳するとなると困ってしまいます。コーダーとプログラマーを合わせた概念を端的に表す日本語がないからです。でも、まあ、本書については、取り扱っている範囲からして、コーダーというよりはプログラマーとすべきだろう、プログラマーを基本にしようかな……と一度は思いました。
なんですが、やはりまずかろうと、コーダーを基本にすることにしました。
理由は……書名です。原著の書名、"CODERS"なんですよね。本文でcoderをプログラマーと訳すなら、書名も『プログラマーズ』にする??? 原題と邦題が似て非なるって、いろいろとややこしくなりそうです。あと、書名は出版社の営業が中心になって決めるものという制約もあります。
coderをプログラマーとしておいたら、日本語版の書名を決めるにあたり、なんでまるで違う(と見える)言葉にしたのかも説明しなければならないし、それが通ればまだしも、原著を知っていて日本語版が出るのを待ち望んでいた人に訴求するため、やはり、『コーダーズ』にしたいって話になったら、本文の大改修が必要になってしまう恐れもあります。
日本語のコーダーとプログラマーと同じような使い分けを英語でもするのに、かつ、取り扱っているのは基本的にプログラマーなのに、著者は全体を代表する言葉にcoderを選んだっていうのも気になる点です。
そんなわけで、最終的に、原著と同じ使い分けにしたわけですが……これ、よかったのか悪かったのか。ふつうの人なら、コーダーもプログラマーもよくわかってなくて、ああ、そんな風に呼ぶのねってさらりと読んでくれそうです。対して、ギョーカイ人であればあるほど、コーダーってそういう意味じゃないだろって思う恐れがあります。まあ、ここは、英語原著の読者も、programmerなんかは、オレはcoderじゃねーぞって思いがちなんじゃないかと思われて、そういう意味では、原著どおりに訳せていると言えるのかもしれないと思ったりも……。
翻訳って、なにをどうしても悩ましいものです。
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コメント
今日は。
いつも興味深い御話有難うござゐます。
小生も大學生・修士學生であった1990年代半ば、バイトで企業や研究所のHP作成で稼がせてもらいました。當時は決まった用語はなかったように思ひますが、現在の日本の通例では「Web制作のHTML/CSS部分をコーディングし、デザイナーなどが考えたページを実現していく人、という限定された意味」ということであれば、小生はバイトでコーダーをしていた、ということになるのですな。尤も、小生はデザインまでやらされましたが...。
今後、「私は昔コーダーとして學費を稼いでいました」と周囲に自慢していきます。(笑)
投稿: HA | 2020年10月 3日 (土) 07時06分
おお、やっぱ、そういうバイト、してたんだ。私もずいぶん稼がせてもらったっす。会社の初任給より多かったほどで。
投稿: Buckeye | 2020年10月 7日 (水) 12時19分
再び私事で恐縮ですが、「コーダー」としてのバイト代で海外留學資金も稼ぐこともでききました。良い時代でした。あの頃はブラウザーはネットスケープ・ナヴィくらいしかなかったので、タグを付けてはそれで確認してました。しかし、ブラウザーは今みたいに瞬時に開いてくれないので、「ガッ、ガッ、ガッ」と画面上で文字通りモザイクが上から下に展開するの待っているという状況でした。今の若い人だったら、遅くて発狂してしまうのではないでしょうか。(笑) 懐かしいです。
ところで、今やAIや機械學習の時代と言われますが、言語もC++とかJavaなんか使わず、RとかPythonを使う學生が多いそうです。小生がよくやるマルチエージェント・シミュレーションにしても、比較的簡単な手順學習と試行錯誤で何とか使える、便利な時代になりました。
しかし、量子PCの時代になったら、どうなるんでしょうねえ? 古典PCと基本演算が異なるのであれば、言語そのものに対する考え方も転換を迫られることになるのでしょうか? 量子PC時代もプログラマーとかコーダーとかいう言葉は残るとしても、仕事の内容は大きく変わるのでしょうか?
この方面の最新の研究についての翻譯がドンドン出るとよいなあ、と個人的には思ゐますが、翻譯する側にとっては大きなインセンティブがない限り、難しいのでしょうねえ...。
投稿: HA | 2020年10月 7日 (水) 19時19分
かなり遠い未來のこと(になりそう)な話なので、輕く流して下さい。1人1臺の量子PCなんて...。でも欲しい。(笑)
投稿: HA | 2020年10月 7日 (水) 19時34分