『知覚と行為の認知言語学:「私」は自分の外にある』
これはいい。おすすめです。私は、あとでまた読む本、くり返し読んで考える本の棚に置くことにしました。
去年、翻訳フォーラムのシンポジウムで「日本語は人がにじみやすい」という話をしたら、目からうろこだったと言われたので、以来、そこここで語るようにしています。なのですが、みんな、意外に気がついていないということは、もしかすると、私の思い込みにすぎないのではないかという懸念も感じてきました。
どうやら、そういうことではなかったらしいと安心させてくれたのがこの本です。
というわけで、この「人がにじむ」とはどういうことなのかと興味を持った方がおられたら、本書を読んでみることをおすすめします。
世界を知覚することは、同時に自己を知覚することである。
世界を語ることは、同時に自己を語ることである。
言葉には視点がはりついている。
本書は、上記のような話を多方面から検討するものなのですが、これは、私が「人がにじむ」と書いていることをもっと正確に表現したものだと言えるでしょう。
人のにじみ方を英語と日本語で比べると、日本語のほうが多いというのも、取り上げられています。「日本語と英語の『ふつうの言い方』における一人称代名詞の現れ方」などがそうで、そこには、以下のような記述があります。
日本語は「当事者的な観点からの見方が優勢」なのに対して英語は「傍観者的ないし超越的な観点からの見方が優勢」となります。
翻訳に引きつけて考えると、ふつうの言い方で傍観者的ないし超越的な観点からの見方が優勢となる英語をそのまま訳せば、日本語としてはふつうの言い方にならない、傍観者的、すなわち、ヒトゴトになってしまう、ということになります。先日、「誤解されやすい翻訳業界の常識――産業翻訳は情報を伝える、文芸翻訳は心を伝える」に書いたあたりのことがまさしく書かれているわけです。
今回は、とりあえず、私が感じてきたことが的外れでなかったらしいと確認した感じなので、次回以降は、翻訳への応用を深めることを念頭にいろいろ考えつつ読んでみたいと思っています。
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