『段落論 日本語の「わかりやすさ」の決め手』 (光文社新書)
1カ月ほど前に出た石黒圭さんの本。段落については、書き手としても読み手としても、ここ何年かを中心に10年ほど、いろいろと思うことがあるというか、はっきり言って迷いに迷っている状態だったので、なにかヒントはないかと読んでみることにしました。
石黒圭さんの本は、基礎から学術的な話まで幅広く、素人にもわかりやすく書かれていることが多いので、基本的事項の確認にも、一般にどうこう言われていない事柄に関してヒントをつかむためにも役に立つことが多いと思います。
感想は……読んでよかった、でした。大昔に学校で習ったような話も多く、新情報が山のように、という本ではありませんが、何年もずっともやもやしてきた件について、どうやら、自分が抱いてきた疑問は的外れというようなものではないらしい、と思わせてくれる話があったからです。
本の話に入る前に、私がもやもやしてきたことを書いておきましょう。
■英語と日本語の翻訳において、段落って維持すべきなんでしょうか。
20年以上も昔、パソコン通信時代の翻訳フォーラムで、著者はどこで段落を切るかに命をかけてるんだからそれを変えるなどもってのほかって言われたので、著者がそこに命をかけているか否かを判断するのも我々翻訳者の仕事よねって言い返した――そんな話がありました。語ったのは、いま、理系書籍の翻訳で右に出る者はいないと言われている青木薫さん。
以来、この言葉がず~っと心の隅に引っかかっています。
しばらくは、この青木さんの言葉どおりだよなと思っていました。そのくらい、さまざまな側面について真剣に考えるのが翻訳者だよな、という意味で。
疑問を覚えるようになったのは、たぶん、書籍を訳すようになった2005年ごろからです。
「カギ括弧と句点、?などの関係について」でも触れたように、引用やせりふの処理が英語と日本語で大きく違い、段落の切れ目を変える(英日時に増やす)ことが急増したのです。命かけてるとかかけてないとか、そんなレベルの話ではなく、英語はこう書くものだからと作られた段落を、日本語はこう書くものだからで作り直すと途中でぶつぶつ切ることが増えた、というか。
そんな経緯で段落に注目するようになると……英語と日本語とで、引用やせりふと関係ない部分でも段落の切り方が違う点が気になるようになりました。
ひとつは、話の展開上、流れが乱れる部分の処理。
英語は、関係代名詞の非制限用法など後ろから修飾が簡単にできるので、その機能を活用し、本題からずれた補足情報を文末にぱらぱらっと追加してあることがよくあります。対して日本語は、前から修飾が基本ですし、補足情報的なことは、周辺状況や条件のような形で前に展開するのが基本的な形です。なので、英語を日本語に訳すときは、補足情報の前で切るなどのテクニックが訳し方の本などで紹介されたりするのですが……その1文ならそれでよくても、前後に文があるとうまくないケースが多々あります。というか、段落途中で後ろに文が続くときは、まずアウトだと思っていたほうがよかったりします。補足情報でずれた話を本題に戻すよ、というマーカーが入れにくいので。
「翻訳フォーラムシンポジウム2018の矢印図――話の流れ、文脈について」で紹介した矢印図がそのあたりを示したものだったりします。
そういうマーカーなしに後ろに文を続けてしまうと、予告なしに話が飛ぶことになり、読者は置いてけぼりをくらいます。英語は一本芯が通った流れなのに、日本語はぶつ切りで話が飛びまくることになるんです(赤で示したところ)。
対応の方法はいくつかありますが、そのひとつが、補足情報の後ろで改行し、段落を変えてしまうこと。切れ感が強くなりますし、段落が変われば話がそこで飛んでも当たり前です。つまり、段落という形式で「話が飛ぶよ」と示すわけです。
そして、そんなことを思いながら日本語の本を読んでいると、内容的なまとまりとして考えるなら、たくさんの段落がゆるくつながって、大きな段落的なにかを構成していると考えたほうがいいと思うようになりました。英語は、内容的なまとまり=パラグラフになっているのがふつうですが、日本語は、英語なら1パラグラフになるはずの内容的なまとまりが複数段落になっているのがふつう、というか。
ただ、日本語でも、内容的なまとまりで段落になっているケースもあるわけで、内容的なまとまりによるパラグラフの切れ目を気にしなくていいのか?とも思ってしまいます。
そんなわけで、少々おっかなびっくり、どうしても必要だと思うところでは段落を切る、それ以外は原文のパラグラフをそのまま段落にする、を基本としてここしばらくやってきています。命かけてるうんぬんで言えば、英語の著者が命かけていても、それは英語だからであって、日本語で命かけたら別のところで段落を切ることになるのであれば、そこは切ってしまう、という感じです。
しばらくはそんな感じでやっていたのですが、このところ、この方針がまた揺らいだというか、また、悩むようになってしまいました。きっかけは、少し前に訳した本。いったん訳したあと、段落はばんばん切るわ、重複部分は整理するわ、日本の読者に役に立たないと思われる部分は削除するわ、そんなこんなをしているとあちこち流れがずたずたになってしまうので、全体がらがらぽんと整理するわ、整理した結果、できてしまう微妙につながりが悪い部分は書き足して流れを作るわと、翻訳書ではまずお目にかからない(少なくとも私は初体験の)荒療治が行われたのです。書き下ろしの和書なら、編集さんと相談しつつこういう作業をするんだろうなと思うような荒療治が。和書主体の出版社で、翻訳書も編集方針は一緒ということだったようです。
で、思いました。やっぱりそうだよね、和書だったらこうするんじゃん、と。
ほかの出版社だと、がらがらぽんはよほどのことがないとやらないはずですし、そういう全体調整はやるにしても最小限にとどめようとするはずです(そういう処理は過去に何度か経験があります)。でも、段落の切り方については、翻訳者に裁量権があります。段落増やしたり切る位置を微妙に変えたりしても、すべてそのまま通ってきています。であれば、段落の切り方については、日本語の論理でばんばん切ってもいいのかもしれない。とまぁ、またぞろ迷うようになったわけです。
■『段落論』 について
ようやく本題です。前置きなげーよ>自分
結論から書いてしまうと、英語と日本語で段落の機能や意味合いに違いがあると少なくとも一部の研究者には認識されている、というようなことが書かれていました。言い換えれば、私のような翻訳の仕方であれば、段落の切り方が変わるのは当然と考えていいんじゃないかと思うようなことが。
英語は絶対段落が主体、日本語は相対段落が主体。相対段落は段落連合や文塊と呼ばれるものに相当する可変的な段落である。
絶対段落は書くための段落、相対段落は読むための段落。「絶対段落」である英語の「パラグラフ」はトピック・センテンスを太らせるものであり、「相対段落」である日本語の「段落」は長い文章を短く切るものである。パラグラフは「まとまりとしての段落」が前面に出る論理性重視の段落、「段落」は「切れ目としての段落」が前面に出る読みやすさ重視の段落。
すんごく乱暴にまとめてしまうと……(一部、私の私見が混じっています。まあ、私がこう思ったって話なので……)
英語はトピック・センテンスとそれを支える文で内容的なまとまりを作り、それを段落(パラグラフ)とする。つまり、形式段落と意味段落が一致する。
日本語は切れ目としての段落になるので、形式的なまとまり(形式段落)と内容的なまとまり(意味段落)が必ずしも一致しない。意味の切れ目は大きな切れ目になるので、そこでも段落が切られるけれど、それ以外のところでもがんがん切られることになる。形式段落がいくつかまとまって意味段落を構成する、みたいな多重構造になっていると言ってもいい(この意味段落、あるいは複合段落を「段」という別次元の概念としてとらえる人もいるとのこと)。
細かなところは理解し切れていない気がしますし、本書がもともと英日の違いをあぶり出し、翻訳でどうすべきかを論じているわけではなく話があっちこっちに分散していたり視点が微妙に異なっていたりするので、なんどか再読して理解を深めないといかんとは思っています。
でも、いままでおっかなびっくり、控えめにしていた段落の変更、これからはもう少し積極的にやる方向で考えてみたいと、いま、考えています。
余談ながら……私の訳は大胆だって言われることがけっこうあるし、ほかの人の訳と比べると、そう言われるのもわかる気がしないでもないのですが、私自身はけっこうなびびりで、控えめに、控えめにとやってきているつもりだったりします。仕事で大失敗は避けたいですし。改善を試みるのは必要ですし、その結果、小失敗だったなと思うことはよくあるのですが。
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