著作権――許諾・引用・盗用……
書かれたモノには著作権があり、他人が勝手に使うことは許されません。ほかの人が書いたモノを使いたければ、許諾を取るか、引用にするかしなければなりません。
■許諾
これはわかりやすいでしょう。著作権を持つ人に「使っていいよ」と言ってもらえば使えるよという話ですから。もちろん、許諾を申請したら、いくら払ってねということになるかもしれません。その場合は、お金を払って使うか、使うのをあきらめるかになりますね。
■引用
許諾を取らないと他人の文章を引けないとなると、いろいろ面倒になります。たとえば、論文などでは、こういう過去の研究を踏まえ、今回はこういう研究をしたといったことを冒頭に書いたりしますが、既往研究の関係者全員から許諾を取るなどとてもできることではありません。だから、一定の条件を満たせば「引用」として自由に使えることになっています。
逆に言えば、その条件を満たさなければ引用にはなりません。「以下引用」と書けばすむといった話ではないのです。
■引用の要件
表現のしかたはいくつかありますが、わかりやすく列挙すると、以下のとおりです。
- 引用する必然性があること
- どこからどこまでが引用なのかを明示すること
- 出典を明記すること
- 引用部分が従であること
たとえば、「以下引用」などと書き、新聞にこう書いてあったとか、ある英文がこういうふうに翻訳されていたとか続けて、そこに出典を添えても、2番目と3番目の条件しか満たせないわけです。
じゃあ、どうすればいいのか。
質的にも量的にも引用部分が従となるくらい、自分の考えを書けばいいのです。そうすれば、自分の考えを支持する材料やそれに対する反対意見、あるいは、自分がそういうことを考えたきっかけなどとして「引用する必然性」も生まれます。
要するに、それだけの手間暇をかければ「引用」として勝手に使ってもいいよ、そういう手間暇かけず他人のふんどしで相撲を取るのはまかりならんよ、というわけです。
■盗用
許可を得ての利用でもなく引用でもないのは「盗用」です。
無断引用なるわけのわからない言い方をする人がいますが、引用とは、上記のように、一定の条件を満たせば無断で使っていいよという仕組みなので、引用が無断なのは当たり前です。
この引用、著作権と縁が深いはずの翻訳業界関係者でも誤解している人がたくさんいます。前述の「以下引用」と書いて盗用している人とかもそうですね。「以下転載」というのさえ、見たことあります。
■職業人としての倫理
さて、ここまで、許諾・引用・盗用の法律的な話をしてきたわけですが、我々としては、もうひとつ、倫理的なことも考える必要があるのではないでしょうか。
翻訳という我々の仕事を支える根幹のひとつが、この著作権です。翻訳成果物にも著作権があるから、お金を払ってもらえて、プロ翻訳者という職業がなりたつわけです。
だから、我々は、少し神経質なくらいに著作権を尊重すべきだと私は考えています。著作権に守られているから仕事ができている我々が他人の著作権をないがしろにするようなことをしていたら、世の中、だれが著作権など尊重してくれるのでしょう。
なんでまたこんなことを言い出したかというと……だいぶ前に、ちょっといろいろあったからです。
(ここからは、本ブログにしては珍しく、主観全開で行きます。違う考え方もありうることは承知の上です。ま、私にとっては、それだけ大きな意味を持つことなんだと思っていただければm(._.)m)
実は、引用と称して盗用をくり返していた某有名翻訳者(セミナー講師をしたり雑誌に記事を書いたりしている人なので、「有名」と冠していいんじゃないかと思います)に、このあたりを指摘したことがあるのです。こういう件をいちいち指摘しているときりがないので普通はしないのですが、このケースは、まねする人も出かねないと思ったものですから。
(言わずもがなですが、よい子はまねをしないように。たとえば翻訳フォーラムの仲間同士では歯に衣着せぬ物言いで苦言や批判が飛び交ったりするのですが、それは、そういうやりとりに耐えるだけの信頼関係があるからできることで、単なる知り合いや普通の友だちが相手だと人間関係がおかしくなりかねません。それでもなおと思わないかぎり、やめておくことをおすすめします)
なんどかやりとりをしたのですが……その方の結論は「いままでどおり続ける」でした。
いい話を広めたいと思ってやっているのだし、書いた人から感謝されたことこそあれ文句を言われたことはない。弁護士に確認もしたが、著作権法に違反しているとまでは言えない可能性が高く、訴えられることはまずないだろうとのことだった。……だそうです。
この弁護士さんの回答、「出典が明記されている」「拡散が望まれているか容認されている」「収益を上げていない」のであれば、という話だったらしく、かの人物は、それは全部満たしているからとのことでした。書いた人から感謝されたことこそあれ文句を言われたことはないのかもしれませんが、じゃあ、媒体は? お金を払ってその人に文章を書いてもらい、掲載した媒体は、拡散を望んでいたりするんですか? 特に新聞は、そのあたりにうるさく、禁止しているのが普通のはずなんですが。実は、弁護士さんからこう言われたという言葉のなかに書かれているのは新聞や雑誌の側だけだったりするんですよね。こういうとき、問題にするのは書いた本人よりその人にお金を払って書いてもらった媒体側であるのが普通なので当たり前なんですが……そのあたりはご自分に都合よく解釈してしまわれたようです。(なお、これもまた、ぜんぶ訴えて回るだけのリソースが新聞や雑誌の側にもさすがになく、放置されることが多いので、それをもって「容認されている」という法律論争はできるでしょう)
自分に都合よく解釈することの是非もさることながら、そもそも、倫理的な問題提起に対し、即物的な訴訟危険性を基準に判断されたことに、正直、私はあきれてしまいました。
そうそう、私もその前に提案していましたが、弁護士さんからも、引用の条件を満たすようにしたらいいんじゃないか、つまり、被引用部分が従になるように一手間かけたらいいんじゃないかとの提案があったそうです。でも、その手間を取るつもりはないとのことでした。万が一、文句がきたら、お詫びし、趣旨を説明しても納得してもらえなければ削除すればいいから、と。
グレーゾーンだから気にしない、違反ということになったら投稿を削除すればいい……そこまで言われてしまっては、それ以上なにを話してもすれ違いにしかならないと、私は、あきらめてしまいました。私は、職業倫理としてグレーゾーンには踏み込まず、明白に白の世界にとどまりましょうと言っているわけで。
交通安全教室の講師をする警官が入り口の横断歩道を赤で突っ切って会場の学校に入り、「交通ルールを守りましょう」と呼びかけたところで、耳なんてまともに傾けてもらえませんよね。車が来ておらず交通事故の危険はなかったから……なんて言い訳にもなりません。それと同じようなものだと私は思うのですが。著作権に守られているから成立している仕事をしている人間がみずから他人の著作権をないがしろにしていたら、世の中、だれが著作権を尊重してくれるのでしょう。
ちなみに、まねする人も出かねないという懸念は現実のものになっています。ついでに言えば、最近、また増えました。ちょっときっかけになることがあったので、たぶんそうなるだろうと思ったら、やっぱりという感じです。(そう思ったからこそ、この記事を書いていたりするわけです)
自分と違う人がなにをどう考えるのかは変えられません(余談ながら、それはそれでいいことでもあるんですけどね)。変えませんかと提案することはできますけど、それが限界です。だから、この方が上記のように考えるのであれば、それはそれで致し方ないことです。あくまでグレーゾーンであって、真っ黒なわけではありませんし(いや、それこそ真っ黒であっても、他人の考え方は変えられませんが)。
ですが、一緒に仕事をする相手は選べます。まあ、翻訳は孤独な仕事で、だれかと協力するなんてめったにないんですが……翻訳そのものではなく、セミナーなりなんなりでだれかとご一緒するといったことはままあります。なので、たぶんそういうことはないだろうけど、ご一緒することがあったら、その案件はご辞退申し上げることにしました。
と思っていたところ、先日、とある企画で協力を内諾し、いろいろ準備をしていたら、正式依頼でこの方と肩を並べることがわかり、お断りする事態になってしまいました。肩を並べて立つということは、その方を是認すると表明するに近いと取られかねませんから(そう思うから、Facebookの友だち設定も、その方にお断りした上でカットしたくらいですから)。第三者にまでご迷惑をかけるのはどうかなとさすがに少し躊躇しましたが、翻訳の世界で仕事をする者として、譲ってはならない一線だと思ったので、頭を下げ、辞退とさせていただきました。
「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」――みずからも農夫ならなおさら、でしょう。
ちなみに、上記の方が考えを変えられるか、あるいは、私の考えがおかしいと納得できる説明なりがどなたかからあれば、一緒に仕事うんぬんの話はまったく違ってきます。「過ちを改むるに憚ることなかれ」ですから。その方にも頭を下げ、友だちづきあいを再開していただくようお願いすることになるでしょう。
といっても、その方に考えを改めてほしくてこの記事を書いているわけではありません。そうと知らず、まねて盗用をくり返してしまっている人が盗用をやめ、引用に切り替えてくれることを願って書いています。その文章をなぜ紹介したいと思ったのかなどを書くだけでできるわけですから。
手間暇かかるなら著作権を侵害してもかまわないわけではありませんが、せめて簡単にできる範囲くらい、グレーゾーンに手を出さず、著作権を尊重しましょうよ。著作権が基盤のひとつとなっているこの業界で働く人なら、そのくらいの矜持があっても罰は当たらないのではないでしょうか。
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コメント
翻訳と著作権というところでは、著作者人格権(特に同一性保持権 )が、翻訳という仕事の根幹をなしているわけで、翻訳者にとって、著作権の基本的な内容をきちんと理解していることは、本来であれば、仕事のイロハのイだと理解しています。
著作権のはなしが出てので、一応付記。
投稿: Sakino | 2019年10月23日 (水) 23時16分
そうなのよね、この仕事している人にとって、「本来であれば、仕事のイロハのイ」なのよね。
翻訳者になる経緯とかそういう人のバックグラウンドとか考えると、新人時代にこのあたりを理解していないのは、ある意味、しかたないとも思いますけど。それだけに、古株としては(古株になっちゃったもんねぇ)、いい背中を見せたいな、とも。
投稿: Buckeye | 2019年10月24日 (木) 05時13分