JTF翻訳祭2019のレポートを読んで思ったこと-その2「MTPEと実力涵養」
JTF翻訳祭2019のレポートを読んで思ったことの第2弾です。前回に引き続き、屋根裏通信のレポートから(余談ながら、ここのイベントレポートはいつもすばらしいできです)。
「翻訳祭2019(於:パシフィコ横浜)」@屋根裏通信
今回は、3時間目「NMT+PE=医学翻訳の新たな潮流」(津山逸)から。
>> 人力翻訳能力が高い翻訳者でなければよいPEはできない
これは、まあ、そうでしょうね。翻訳能力が高い翻訳者ほどPEをやりたがらないという問題がありますし、そこに理由があるというか、その理由がMTPEの欠点だったりはするのですが、「MTPEをする」を前提に考えるのであれば、上記のとおりでしょう。ほかのセッションでも、似たような話が出たようですが、まっとうに考えればそういう話になるので、当たり前だと言えます。
>> 100点を求める必要はない。「ちょうどよい」レベルでよい。
これは、MTPE推進派の方々がよく言われることですが、しごく妥当な話だと思います。基本的にコスト削減が目的なわけで、MTPEにおいては、「ちょうどよい」レベルを超える部分は過剰品質だと考えるべきでしょう。
また、レベル40のMT出力をレベル60まで引き上げるなら最低限の手直しですむかもしれないが、その先、レベル60→レベル80とか→レベル90とかは加速度的に修正量が増え、そのどこかで「訳し直した方がはやい」となってしまいます。
というわけで、このあたりまでは、推進に賛成している方の意見として妥当ですねという感じなのですが……
>> ただし、常に100点のものができる実力はつけておく必要がある
はぁ?
「MTPEをする」を前提に考えたとき、その力、どうやって身につけるんでしょう。百歩譲って、その力がついてからMTPEをやれということだとしても、その場合、その力をどうやって維持するんでしょう。
何点なら「ちょうどよい」レベルなのかは案件によって異なるんでしょうけど、でもそれは、当然ながら、100点より低いわけですよね? ご本人も、「100点を求める必要はない。『ちょうどよい』レベルでよい」と言われているわけですし。毎日毎日、下手すれば1年365日、朝から晩まで、60点なのか70点なのか80点なのか、ともかく、「ちょうどよい」レベルのアウトプットを続けて、100点の力、維持できるんですか?
寝言は寝てから言ってください。
翻訳の力って、そんな簡単に身につくものじゃありません。いや、まあ、この話をされた方も翻訳者らしいので、もしかすると、その方は簡単に力をつけられたのかもしれませんが……少なくとも私は苦労してます。要素技術がたくさんあるうえ、そのどれをとっても、ちゃんと運用できるようになるまで練習するのに時間がかかるものですから。
「体育会系翻訳トレーニング論」にも書いていますが、頭も体と同じで、鍛えないと強くならないし、維持できないと私は思っています。でも、翻訳みたいに頭を使う話って、そっかと思っただけで身についたり、なにもしなくても維持できると思う人が多いように感じます。体は鍛えないと強くならないし、動かさなくなれば弱くなるという話に異論を唱える人はまずいないと思うんですけど。強くなったり弱くなったりが体は実感できるけど、頭は、力の評価能力も同時に上下するのでわかりにくいことも一因かなとは思いますけど。
思考に悪影響を与えるツールというものがあって、それを使っていると言語能力が落ちるが、言語能力と一緒にその評価能力も落ちるので自分ではわからないものという話を、前々からCATツールへの警鐘としてもよく言ってきたし、最近はMTPEとの絡みでもよく言っているわけですが、それと同じということです。
力を維持するのは大変です。伸ばすのはさらに大変です。また、維持するのも伸ばすのも、レベルが上がれば上がるほど大変になります。アスリートの世界も、翻訳の世界も。毎日軽くジョギングしているだけで、フルマラソンとか100メートル走とかで上位に食い込む力を維持しろって……できるわけないじゃないですか。私はそう思っちゃうんですが。
と、こういう話をすると、MTPEをしていないときに勉強すればいいって返ってきそうな気もします。翻訳をしていても勉強するんだから、同じだろ、とも。
やらないよりはましでしょうけど、それじゃだめでしょう。
だって、「翻訳」をしている人は、1文1文に全力投球することで、仕事をしながら自分を鍛えているんです。それに加えて、仕事をしていないときの勉強があるんです。言い換えれば、仕事が勉強時間の大半を占めるんです。それだけ勉強しても、力は、なかなか伸びないんです。それを、仕事以外の時間で補うって、そんなの、不可能ですよ。そんな簡単に力がつくなら苦労しません。
毎日、時間のたとえば2/3とかを勉強にあてればそれなりになんとかなるかもしれませんが、そんなことをしたら、稼ぎが1/3になってしまって食えなくなるんじゃないですか?
そもそも、毎日、5時間も6時間もお勉強なんて続くはずがないでしょう。受験生時代を思い出してくださいよ。あれを一生やるんですか? いつ直面するかもわからない、ずっと直面しないかもしれない。そんな問題をどう解いたらいいのか、ただただ勉強するんですよ? というか、「100点を求める必要はない。『ちょうどよい』レベルでよい」という仕事をしつつ「常に100点のものができる実力はつけておく」ということは、まずもって直面しないはずの問題について勉強し続けるってことになりますね。ふつうの神経だったらもたないと思いますけど。
ふつうに翻訳をしている場合は、明日には出てくるかもしれない問題だから勉強も続くし、実際、直面したりして仕事がいいトレーニングになるんです。仕事だからできるんですよ。OJTしつつ、なにをトレーニングするか、どうトレーニングするかのアイデアを時間外に勉強するっていう形だから。
■なにをもって100点と言っているのか
津山さんは「100点」と言われたようですが(レポートした方の表現という可能性もゼロじゃありませんが、たぶん、それは違うでしょう)、これもわかるようなわからないような表現です。100点ってなんなんでしょうね。
0点は、たぶん、ぼろぼろでどうにもならないもの、下手すれば文にもなっていないようなものってイメージかなと思いますし、これで、当たらずとも遠からずでしょう。
じゃ、100点は?
業界で一番上手な人が100点?……これはありえませんね。だって、だとしたら、「常に100点のものができる実力はつけておく必要がある」が実現不可能な話になりますから。
あと、浮かぶのは、「全力が100点」ですね。PEは60点でいい、みたいな言い方のときって、全力の100点に対し、このくらいなら60点までやればいい、みたいな話だったりしますし。でも、ここでは違います。だって、「全力が100点」なら、「いつでも100点のものができる」は必ず満たされる条件になってしまいますから。100点のレベルが下がっていったとしても。
下がっちゃいけないでしょうから、じゃ、いまの自分の翻訳力を100点と考える? これも、違う気がします。「常に100点のものができる実力はつけておく必要がある」は、言外に、「みんな、もっと力をつけないといけないよ」を感じるので。
私が受ける印象は「MT出力よりずっと上手。『人間が訳すとやっぱ違いますね』と言われるレベル」です。
でも、だとしたら、そういうレベルの人はMTPEをやりたがらないっていう例の問題にぶちあたります。まあ、だから、MTPE推進のセッションでは、そういう人にラブコールを送るのが恒例になりつつあるのかもしれませんけど。
ともかく。
そのレベルの人がMTPEをやりたがらないのには、確たる理由があると思うんです。
「翻訳の過剰品質と質素イノベーション」で使った価格と品質の関係を示すグラフをここでも使います。ただし、横軸は、価格→実力と読み替えてください。
実力と品質の関係は直線的ではなく、こんな感じのS字カーブになります。どこかで急にうまくなって「使える」翻訳ができるようになるんです。
なにが違うのか。いろいろあって一言では表現できないのですが、さきのさんが最近あちこちで語っている「かえるがぴょーん」が多少なりともできるようになれば、まちがいなくS字カーブの上側だと言えるでしょうし、それがちゃんと身につくレベルになれば、S字カーブのかなり先の方に位置することになるでしょう(ほんとは、プロなら全員そのレベルという状態であるべきなんですが……それはまた別の問題なのでここでは横に置いておきます)。
(2019/11/02追記)
さきのさんが言われている「かえるがぴょーん」はこんなイメージです。
もう少し詳しい説明は、さきのさんが今回の翻訳祭で配られた資料(【配布資料公開】質を守る翻訳者の工夫 #2019jtf)にあるので、そちらをご覧ください。
で、この「かえるがぴょーん」とMTPEが相性最悪なんですよね。飛ぼうとする翻訳者にとってMT出力が重りになってしまうからです。重くて飛べない。無理に飛ぼうとすると、かえって手間ばかりかかる。でも、飛ばない翻訳はしたくない(飛べるようになると、どうしても、そういう気持ちになってしまいます)。飛んでも飛ばなくてもすんごいストレスになります。短期的にでもやりたくないって思うのが当たり前です。さらに、長期的には、やっとある程度飛べるようになったのに、飛べなくなりそうでイヤだとなるわけです(←実際、そうなってしまうはずだと私なんかは思っています)。
■長期のキャリア形成
この話はなかったんでしょうかね。MTPE推進で長期のキャリア形成について語られたって話、聞いたことがなかったりするんで、なくても驚くにはあたらないのですが。
ついでなので、MTPEで長期的にどういうキャリアが形成できるのか、考えてみましょう。
…………………………浮かびません(--;)
>> 100点を求める必要はない。「ちょうどよい」レベルでよい。
という仕事がどう発展するのか。将来像と言われても、ずっとそのまま続けるか、途中で関係ない仕事に転職するかくらいしか思いつきません(ちなみに転職先が翻訳者というのは不可能でありえない道)。
いや、まあ、「翻訳」も、ず~っと、かちゃかちゃ訳しているってことでは続けてるだけだったりするんですけど、ね(^^;) でも、翻訳なら、力をつけて自分がやりたい分野に移るとか、力つけて単価あげて収入アップをめざすとか、スピードアップで収入アップをめざすとか、いろいろありうるんですが、MTPEは……
単価は下がる一方でしょう。上がる要因、思いつきませんもん。がんばれば上がる要因を作れる翻訳でさえ下がり続けているのに、上がる要因が思いつかないMTPEの単価が上がるとは、とうてい思えません。
続けていれば、スピードはある程度上がるでしょう。どんなことだって、慣れればスピードアップするものですから。そのとき、人並み外れたところまでスピードが上がる人は、それなりになれるかもしれません。そこまででない人は、ほかの人もスピードアップするんで、そのスピードを基準にした単価が設定されることになるでしょう(要するに、単価は下がっていくということ)。このあたりは、CATツールがたどってきた道を見れば明らかです。
MT側が進化して、作業が楽になったりスピードが上がったりするという変化はありえます。というか、あるはずです。でも、そうなったら、じゃ、その分、単価は下げていいですねってなるのも、CATツールがたどってきた道を見れば明らかですよね。
とりあえず、ひとりの食い扶持くらいは稼げるのかもしれませんが……家族を養うことってできるんでしょうか。共働きでも、子どもの分を負担できなきゃ困るはずなんですが。
と、書いてきて思いました。そっか、みんながやりたくないと言っているいま、MTPEに転身して先行者利益を取れるだけ取り、普及が進んだらなにかほかに転身するっていう考えはあるかもしれません。言語基盤にかなりガタが来ているはずだと思いますが、言葉が中心でない領域に転身するなら、なんとかならないことはないでしょうし。(ここは、やりたいかとか、やっていておもしろいかとか、一切無視し、純粋に経済的なことだけを考えて書いています)
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コメント
これに関連してとあるところで出た話。
臨床試験の論文をAI翻訳にかけると、よくある内容部分はそこそこの訳が得られるが、ちょっと変わった内容だと一から訳し直しみたいになる。人間は難しいところだけ集中的に訳すことになるので、それで力が伸びる人もいる。訳せる論文の数が増えるので、知識が増えるというメリットもある。
だそうです。(こういう反論で、初めて、具体的だし、それはたしかにあるかもと思う例が出てきました)
ただ、人間、どうしても流されがちなど、無意識部分の影響がいろいろあるので、正直、危ないなぁと思ったりもします。
似たような話は、CATツールが普及した時代にも言われていました。うまい人の訳がTMに入っていれば勉強になるし、下手な訳なら訳し直すことになる。自分ひとりで使えば、昔の自分が入ってるわけで、足を引っ張られることにはならない。昔の自分を超えるように努力する基準にもなる。だから、力は伸びる。伸ばせる。あくまで、人による、使い方による。しょせん道具なのだから。……と。
対して、当時、私は、一貫して、文脈を読み取ったり書き表したりする力がつかないと言っていたわけです。されど道具なので、と。
で、実際には(↓)のようなことになったわけです。
「翻訳メモリは文脈の読み取り・形成に悪影響を与えるか」
http://buckeye.way-nifty.com/translator/2008/07/post_6433.html
そこではものすごくたくさんのTM使いが仕事をしているのに、文脈を写し取れる人はそのなかにひとりもいなかったということになります。だからといって世の中のTM使い全員がそうだとはならないので、「人による。使い方による」と言うことはできますが、でも、少なくとも大半の人は「人によって、使い方によっては害となる」側に該当してしまったと言えるでしょう。
MTについては、どうなるのでしょうね。
投稿: Buckeye | 2019年10月30日 (水) 11時08分