翻訳を勉強する会・番外編 「訳文による絵の描き方」-終了後アンケート
もうだいぶ前になりますが、大阪勉強会のアンケート結果を事務局からいただきました。
満足度がとても高かったこと、自由記述欄にいっぱい書いてくださった方がたくさんおられたことが印象的でした。不満だった方はアンケートなんて面倒なものは書かずにすませたりしがちだと思いますし、ま、こんなもんかと思った人もパスしがちだと思いますので(自分をふり返ってみると、そうだろうなぁと)、こういうアンケートの場合、よかったと思った人の割合が多くなりがちではありますが、ここまで高いのは、過去、見た記憶がないかもというくらいでした。さらに、自由記述欄なんて、書くの、ほんと、めんどいですからね~。私も、選択式の部分は回答しても、自由記述欄は空欄なんてこと、よくやらかします。
その自由記述なんですが、私の訳し方が大胆でおどろいた、衝撃を受けたなどと書かれた方が何人もおられました。そのあたりについて、念のため、ちょっと書いておきたいことがあります。
大胆な訳だった、衝撃を受ける訳だったというのは、そのとおりなのでしょう。というか、その人にとっては、まさしく、そういう訳だったから、そう書かれたわけですよね。だから、まちがいなく衝撃を受けられたのでしょうし、(特にCATツールを使うタイプの)産業翻訳にどっぷりはまり、制約面ばかりを気にするようにいつのまにかなってしまっていたりすれば、まちがいなく、衝撃を受けるだろうなとも思います。当日のプレゼンでもちょっと触れましたが、私は、出版系も含めて、かな~り珍しい訳し方をしているようですから、なおさらでしょう。
でも、ですね。私としては、大胆に訳したつもり、ないんです。というか、翻訳をするとき、大胆に訳そうと思うこと、ありません。それどころか、「こっちがこうなっててこっちはこうだから、こうでも訳さないとどうにも収まらないじゃん」という具合に、すごく不自由な思いをしながら訳しています。制約条件が多く不自由であればあるほど、あれこれをなんとか収められたときには、パズルを組み上げたような達成感があり、それが翻訳のおもしろいところなのかもと思っているくらいで。
言い換えれば、私のなかには理由がなにかあってああいう訳になったわけです。理詰めで組み上げているというか。そんなだから、文学作品の翻訳はできないなと思いますし、いま、主戦場になっている読み物系ノンフィクションは、私にとって、守備範囲の端っこぎりぎりというけっこう厳しい部分だとも思っていたりします。仕事としては、守備範囲の端っこぎりぎりというのは、いろいろと考えなければならないことが多く、その分、おもしろいっちゃおもしろいわけなんですが。マンネリにはなりようがありませんね~。
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