『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』
しばらく前に仲間内で話題になっていたので読んでみました。翻訳にかかわる人、特に産業系の翻訳にかかわる人は一読しておくべき本だと思います。
著者が訴えたかったこととは別に、翻訳にかかわる人にとって大事なことが2点あると思います。
ひとつは、最近の機械翻訳がなにをどうしているのか、その概要がわかること。機械翻訳+ポストエディット(MT+PE)について考えるなら、このくらいは知っておくべきという基本の部分がわかりやすく解説されています。
先日の「翻訳者視点で機械翻訳を語る会」で、MTが不思議な挙動をするってSakinoさんが実例を挙げて語ってましたが、こんなやり方してるんだったら、そうなるのも当たり前だよなと思ってしまいました。たとえば、肯定・否定の訳しまちがいとか。そういう正確性より可読性を重視した仕組みになっているわけです。概要を斜め読みするにはこのほうがいいんだろうけど、これを下訳だと思うのはとても危険だとも思っちゃいます。
もうひとつは、我々の翻訳を読む人々の読解力がどの程度なのか、それが調査に基づいて語られている点。上記部分を読むと、MTはさいころ転がしているようなもので当てにならないことがわかるのですが、実は、人間も、さいころ転がすのと大差ない読み方しかできない人が少なくないのだそうで。
ここに書かれていることが仮に正しいとすれば(社会学出身で社会調査もいろいろ勉強してきた嫁さんによると、すごくまっとうな調査をしている、こんな調査ができるなんてうらやましい、くらいの調査で出た結果なので、おそらく正しい)、我々は、そういう人でも正しく情報が読み取れるようにしなければならない、少なくともそれを目標としなければならないわけです。
となれば、「少し考えればわかる訳文」は論外だし、「不自然なところがある訳文」もアウトでしょう。そうでなくてもまっとうに読んでもらえそうにないのに、いらん負荷を増やしてどうするって話になりますから。
どーせ読み取りがさいころなんだから、文章もさいころのレベルでいい――と、機械翻訳と同じように考えちゃう道もありますけど、ね。
ところで、この本、1カ所だけすごく気になったところがあります。職業病でして。
[例題4 推論]
次の文を読みなさい。
エベレストは世界で最も高い山である。
右記の文に書かれたことが正しいとき、以下の文に書かれたことは正しいか。「正しい」、「まちがっている」、これだけからは「判断できない」のうちから答えなさい。
エルブルス山はエベレストより低い。
□正しい □まちがっている □判断できない
読解力調査の例としてこういう問題が載っていました。
これ、現実の常識が頭をよぎるんで、「正しい」としたくなるし、一応、「正しい」が正答とされているのですが、この設問に対する回答としては、「判断できない」が正答のはずだと私は思います。ここに書かれていることのみから判断するかぎり、エベレスト山とエルブルス山(って、実在の山? 私は知らない山。調べてみるとヨーロッパ最高峰らしい)が同じ高さという可能性が排除できないからです。「エルブルス山がエベレストより高いことはない」なら「正しい」ですけど。
この本の記述から推察するに、この問題も複数の人が検討したもののはずなんですが、それでもまちがいが混入しているわけです(まちがい、ですよね? いや、私がまちがっているって可能性も否定はしませんが……)。こういう推論というか読解というかがいかに難しいかの証左だと言えるでしょう。
読解って、ことほど左様に難しい。
本書によると、AIに代替されない仕事は、「高度な読解力と常識、加えて人間らしい柔軟な判断が要求される分野」なのだそうで。翻訳なんかまさしくそうじゃんと私は思うんですが、産業翻訳のギョーカイは逆の判断をしている、と……。
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