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2019年1月28日 (月)

日本語の文末表現

だいぶ前の本で、編集さんからの提案とか相談とかをチェックするゲラ前の処理をしたときのことです。

余談ながら、提出した訳稿からゲラまでの処理は、編集さんによっていろいろなパターンがあります。この編集さんのように、大きな疑問をつぶしてからゲラにする人もいます。出した原稿がそのままゲラになって返ってくることもあります。ついでに言えば、出した原稿があっちもこっちも訳者としては不本意な形に変えられて返ってくるケースもあります。

本が厚くなりすぎそうなんで、少しでも行数を減らしたいとのことで、このときはあちこち削る提案が一杯入っていて、そのせいで思いのほか時間がかかったりしたんですが、それはまあ、いいんです。なにかしようとすれば時間がかかるのは当然ですから。

ただ、削られたり簡略化されたりするのは、文末が多いんですよね。

でも、日本語の文末って、トーンとかニュアンスとか、ほかの文との関係とか、時間的なこととか、いろんな意味(テンス、アスペクト、ムードなどと言われるもの)を担う大事な部分です。だから、私は、ほかをなるべく切り詰めた上で、文末だけは文字数気にせず必要なものは盛りこむというのを基本にしています。

このときもあちこち文末を削る提案がいっぱいあったのですが、意図があってのことなので、ちょっとどうかと思っても、それなりに了承しました。したんですが、あとになって、これはまずかったかもと思いいたりました。

ゲラになって戻ってくるときは、提案という形が消え、単純に文章を読むことになるわけです。その場合、また、ちょっとどうかと思って、結局、前と同じ形に戻しちゃう部分が大量発生するんじゃないかと、終わってから気づいた次第で。勝手に手を入れられるなんてときも、同じく文末が多いのですが、そういうとき、「なんでこんな文末にしたんだ。どう考えても無理があるだろ」と思って直し、提出した訳稿を確認すると、直しで元に戻しただけだったなんてことをよくやらかすわけで。

私の場合、いろんな制約条件がなるべく収まるようにするパズルを解くという感じのやり方で訳文を組み立てていくので(感性でできる人もいるんじゃないかと思いますが、私は基本的に論理で組み立てるタイプ)、その組み立てを支える一大要素である文末は、変更しにくい部分なんですよね。

ちょっとどうかどころでなく、さすがにどうよと思ったところは、文末を元に戻した上で、その分、ほかを削ったりしたんですが、実は、ちょっとどうかと思ったあたりも、ぜんぶ、そういう処理にすべきだったなぁ、と。

それでも、この本はこのくらいですみましたが……原著と構成をかなり変えるという話になった本では、構成変更の案として編集さんがあちこち入れ替えたり重複ぎみのところを削ったりした際、新しい構成でつながりがよくなるようにと文末を書き換えたり、何行か新規追加したりされたゲラが返ってきたことがあります。このときは、ある程度までゲラ読みしたところで放りだすことに。文末と表記の変更がとても多く、完全に他人の文章になっていて、まるで下訳を直しているような具合になってしまったのです。しかも、原稿がない状態で直さなければならないわけで、なにをどうしたらいいのかわけがわかりなくなってしまったのです(原著から書き換えるわけですから)。

このときは、結局、文章の書き換えは全部いったん元に戻し、構成の再構築だけ編集さんにやってもらい(基本的に、段落単位でがちゃがちゃっと入れ替え)、つながりが悪くなる部分は文末その他の書き換えも追記もぜんぶ私のほうでやるという形にしてもらいました。編集さんにしてみれば、いったん訳しおわったものをまた手を入れさせるのはと気を遣ってくださったらしいのですが、このほうがず~っと楽だしはやく終わるので。
(余談ながら、こういう話はブログに書きにくいんですよね。関係者が読んだりする可能性もあるので、いろいろあったそのときに書くのははばかられるのですが、あとになると、なにがどうなったのか記憶があやふやになってしまったりします。というわけで、とりあえず、がががっと書いて、ほとぼりが冷めるまで(^^;)放置してから投稿するようにしてみました)

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