« テトリス | トップページ | 部分否定 »

2018年6月23日 (土)

『日本語におけるテキストの結束性の研究』

翻訳フォーラムシンポジウム2018の準備を進めていたとき、登壇者のひとりに紹介されて買った本です。これはよかった。ここしばらくに読んだ参考書で一番のヒットかもしれません。

本書は、シンポジウムのテーマ「つなぐか切るか」と深く関わる「結束性」なるものについて研究し、書かれた論文が本となったものです。もとが博士論文で一般向けとは言いがたく、その分、読むのが大変だと言えばそのとおりなのですが、内容は、すごくいいと思います。

前に「『わかるものを省略』と『必要なことを言う』の違い」という記事を書いていますが、そのあたりについても、はっきりと書かれています。

■本書p.66より

統語的に必須である要素が表層に存在しないことをその要素の「非出現(non-realization)」と呼び、基本的に日本語ではこの状態が無標である

無標というのは、特に意図がなければそうする形というくらいの意味です。逆に有標はなにか意図があるわけで、その分目立つことになります。

非出現が無標ということは、そこにないのは省略されたからではない、単に基本の形になっているだけのこと。そのとき、その言葉を出現させればそれは有標となり、なにかの意図を示す。このあたりは、「言葉を増やすと文意が変わる」に書いたとおりです。私がなんとなく感じていたことを文法的に表すと、「日本語においては非出現が無標」になるのでしょう。

ほかにもあちこち、いい話がたくさんあって、この本は折々読みかえしたいなと思っています。ぜんぶは紹介できないので、ここではあとひとつだけ取りあげます。

■第2部 結束装置の記述

「この」「その」「ゼロ(←なにもつけないことを指す)」の対立が比較検討されているのですが、ここなどもおもしろいと思いました。形式的にほぼ同じに見えても、成立可能性が異なることがあり、それがなぜなのかなどが検討されているのです。

敬愛するA教授が亡くなった。残念だが、その/φ著書はずっと読まれ続けることだろう。
敬愛するA教授が亡くなった。残念だが、その/#φ本はずっと読まれ続けることだろう。
敬愛するA教授が亡くなった。残念だが、??その/φ学術書はずっと読まれ続けることだろう。

#:その文が連文中で先行文脈とつながった解釈を受け得ないこと(非結束性)を表す。
??:その文の先行文脈とのつながりがかなり悪いこと、または、その文の統語論的な適格性がかなり低いことを表す。

成立可能性が上記のように変化するのはなぜなのか、その理由は本書を読んでいただくとして、ここでは翻訳との関係について私がどう思ったのかだけ触れておきます。

日本語で書き起こしているときには、日本語としての成立可能性に従うので、上記3番目のような日本語を書くことはないでしょう。でも、訳文として書いていると、原文をすなおに訳したら「その学術書」となるようなケースでは、なんとなく不自然に思いつつも、そう書かれているのだからと、つい、上記3番目のような日本語を書いてしまうケースが少なくないと思います。こういう日本語はおかしいのかなぁと似たような文をいくつか頭に浮かべたとしても、「その著書」「その本」ならおかしくない、それなら、「その学術書」もいいはずと思ってしまうかもしれません。

というか、このあたり、たぶん20年くらい前から(翻訳を仕事にしたあたりから)、なんかもやもや思ってきたところなんですよね。同じ形式だとしか思えないのに、一方は自然に感じ、他方は不自然に感じるのはなぜなのか、なにがどう違うのか、自然・不自然に分かれる自分の感覚がおかしいのかって。

「その」と「この」、どちらも成立するケースで、意味は違うのか同じなのかっていうのも第2部で検討されています。これも、たぶん20年くらい前から、なんかもやもや思ってきたところです。

まあ、分析されていて、それが一通り納得いくものだったからといって、すぐ実務で使えるようになるのかと言われると、そうでもないだろうと感じていますが。でも、いままで、感覚でなんとなく処理してきた部分を、今後、こういう理由だからここはこっちとできるようになるのかもしれないという期待は持てるものでした。

■残念な点

基本的に研究論文ですから、すべてをカバーしているわけではなく、ある部分にのみ着目して検討が行われています。

分析対象は、「第1部 本書の理論的枠組み」冒頭に書かれているように、対象となる文章内で解釈が完結する「閉文脈」にかぎられています。ただ、我々にとってはそれでもいいのかなと思います。「閉文脈」の典型的な例が「書きことば」とのことですから。産業系の翻訳はほとんどが書きことばですし、出版系もせりふ回り以外は基本的に書きことばですからね。

残念なのは、(↓)の点。

文連続がテキストを構成するときに生じる「つながり」に、文法的依存関係によるもの(結束性、cohesion)と推論によるもの(一貫性、coherence)があるとされていて、今回、分析対象となっているのは結束性のみとのことです。翻訳の実務では(文章を書くときには、と言うべきかも)一貫性も重要だし、私としては、最近、そのあたりが気になっていたこともあり、一貫性は今後の研究に待つとなっているのは残念だと言わざるをえません。まあ、最先端の研究がまだそこまで行っていないということなのだろうから、仕方ないのですけれど。今後に期待、です。

|

« テトリス | トップページ | 部分否定 »

書籍-参考書(お勧め)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111098/66860265

この記事へのトラックバック一覧です: 『日本語におけるテキストの結束性の研究』:

« テトリス | トップページ | 部分否定 »