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2018年5月 9日 (水)

翻訳メモリー環境を利用している側からの考察について

ローカリゼーションおよび翻訳メモリ環境における翻訳者の役割」なる記事がタウ・トランスレーションという会社のコラムにありました。

このように、一対一対応の仕組み、再利用性という、翻訳メモリの優れた効率性に寄与している特徴そのものが同時に問題の原因ともなっていると考えることができる。

など、私としては、ブログなどで再三訴えてきたことが、ようやく、翻訳メモリーを使っている人からも出てきたかって感じです。いままでは、いつも、「そんなことはない。やり方次第であり、気をつければ大丈夫」という反応ばかりでしたから。

そういう意味で、ああ、ようやくここまで来たか、と感慨深いものがあります。

ただ、踏み込みが足りないなぁ、もう一歩踏みこんでほしかったなとも思ってしまいました。翻訳メモリー上であれこれやっているかぎり、そのもう一歩先に気づくのは難しいだろうと思うので、ここどまりになるのはしかたないのかな、とも思いつつ(だから、力をつけたければ翻訳メモリーは使うな、と言うわけですが)。でもだからこそ、もう一歩踏みこんでほしいところなのですが……って、話が堂々巡りになってますね(^^;)

すなわち、翻訳メモリを使用しない従来型の翻訳ではTT(Buckeye注:ターゲット言語。英日翻訳なら日本語。なお、この記事においては日本語がTTに想定されている)の結束性確保のために接続詞を加えるなどの加訳、代名詞・主語の省略あるいは具体的な名称への置き換えが頻繁に見られるが……

「加訳・減訳」と言われると、「なにも足さない・なにも引かない」という原則から外れているように感じますが、これは、「文脈という形で原文に書かれていることを反映する」処理であり、翻訳・字面訳・勝手訳と三項対立で考えた場合(「誤解されやすい翻訳業界の常識-直訳 vs. 意訳」)の翻訳で必ずやらなければならないことです。

それはともかく。実はここが、踏み込みが足りないなぁと思ったところだったりします。

ここでは、翻訳メモリーを使用しない高品質翻訳とはこのような加訳・減訳が行われたもの、というようなことが言われているわけですが、これは、10年も前に書いた「文脈に合わせて訳文を組みたてる」で「手のこでざざっと切った板を木ねじでとめた箱」に相当します。「文脈に合わせて訳文を組みたてる」で「いつバラバラになってもおかしくない」、タウ・トランスレーションのコラムで言う脱コンテキスト化して結束性が弱まった翻訳に比べればまだしもだと言えますが、それは高品質翻訳に向けた入口にすぎません。

その一歩先まで進み、コラムで言う「加訳・減訳」を減らして文脈が表現できるようになったものが、「実用上、十分というレベル」だと私は考えています。具体的になにをするのか、少なくともその入口は、レッスンシリーズの「テンスとアスペクト」としてさきのさんが教えたりもしているあたりが中心になるはずです(過去、翻訳フォーラムのシンポジウムでも取りあげたし、『翻訳のレッスン』にも書かれています)。

このあたりが意識できないと、書き手の思考がシミュレーションできないので、「加訳・減訳」という木ねじを使い、訳文側だけで無理やりつながりを作るくらいしかできなくなってしまいます。

念のため申し添えておくと、日本語はテンスもアスペクトも文末で表現されるので、ここに注意しただけで、タウ・トランスレーションのコラムにある「『~する』といった同一語尾……の繰り返し(日本語においては結束性を損ねる場合が多い)」は自然と回避されます。

そしてそして、私としては、そのさらに先があると思っています。「文脈に合わせて訳文を組みたてる」で「ほぞ組レベルでがっちり組む」と書いた件です。

ほかの言語については不勉強で知りませんが、少なくとも英語と日本語については、コトを「主に」どう捉えるかという表現以前の部分に違いがあります。翻訳時にはそこを調節しないと、文法的にはまちがっていないし意味もわからないではないがなんとなく不自然な訳文になってしまいます。テンスやアスペクトなどに注意すれば切断面の曲がりや傾きはかなり修正できて実用的なレベルまでは到達できますが、コトのとらえ方、表現の仕方まで調節しなければほぞ組にはならない、と思うわけです。

ちなみに、最後の部分は、最近、翻訳フォーラムのレッスンシリーズで取りあげられている「述語から読む・訳す」(次回は7月2日に大阪で)のある意味延長上にあるというか、そこと密接な関係があると私は思っています。

■イベントの宣伝

ついでなので、少し宣伝を(って、すでに少ししてますが^^;)。

今月末の5月27日(日)、東京は茗荷谷で翻訳フォーラムのシンポジウム2018を行います。今年のテーマは「つなぐか切るか」。理論や文法のややこしい話はさきのさんにお任せし、私は、具体例を紹介する予定です。なにをどうやってつなぐのか(タウ・トランスレーションのコラムでは「結束性」という文法用語で表現されている話)、場合によっては、つなぐためには切ったほうがいいのかなど、自分が実際に迷い、考えた文章をもとに、複数のやり方を並べて比べてみたいと思っています。

この記事がシンポジウムと関係あるものとなっているのも、実は当たり前だったりします。シンポの準備を進めていくなかで、この記事を書く元になったタウ・トランスレーションのコラムを登壇者のひとりが見つけてきてくれたからです。

というわけで、この記事を読んで興味を引かれた方は、翻訳フォーラムのシンポジウム2018へどうぞ。まだ若干ながら残席があるようです。

なお、シンポジウムの後には、例年どおり、大オフなる懇親会を開きます。シンポジウム中に聞きそびれたことを聞いたりもできますし、セッション中には言えないような話もここなら、というようなこともありますし、都合がつくかぎり、懇親会にも出席することをお勧めします。

■その他

一番のポイントは上記ですが、ほかにもいろいろと思ったところがあるので、ざっと書いておきます。

ひとつは、後編集の話。翻訳者が生みだすのは仮訳とし、それを専門のレビュアーが編集して最終的な文書に仕上げるのが現実的だし、実際、そうしているところが多いだろうというようなことが書かれています。

現実的な対応としてはそれしかないのだろうなと思いますし、そういう意味で異論はないのですが、ただ、「TRADOSを使う理由・使わない理由」にも書いたように、80点の翻訳ができる人が40点の翻訳をリライトしても、50点とか60点のものしかできないわけで、高品質の翻訳が欲しければ最初からきちんと訳さなければならないわけです。タウ・トランスレーションさんも、別のコラム(「金額と品質のバランス」)でそう書かれているのですが……

今後機械翻訳の導入が進んでゆけば、翻訳者の役割はポストエディターのそれに取って代わられるだろう。その中で、産業翻訳者あるいは実務翻訳者と呼ばれる翻訳者たちは、完全なヒューマントランスレーターとしての道を選ぶか、翻訳メモリなどのコンピュータ支援技術を活用するか、あるいは機械翻訳のポストエディターとなるか、その選択が迫られている。

これについては、ちょっと補足を。このあたりは、だれでも同じように感じているだろうと思います。最終的な選択は各人の自由なわけですが、選ぶときには、『翻訳のレッスン』にも書いたように、なんとなく、や、なんかこれからはこっちだとみんなが言ってるからではなく、自分はどうなりたいのか、なぜこの仕事を始めたのか、続けているのか、目の前にある分岐のどれを進めばなりたい自分になれるのかを真剣に考えたうえで選んでいただきたいなと思っています。

私としては、「完全なヒューマントランスレーターとしての道を選ぶ」のが望みなら、翻訳メモリーは使わないのが一番だと思っていることも申し添えておきます。翻訳メモリーを使ってそういう仕事をしているよって人が何人もいることも知っています。出版系の仕事さえしている人も。だから、翻訳メモリーを使ったらそちらには進めないとまでは言いません。でも、進みにくいはずだし、最終的な到達点も手前になってしまうだろうということです。

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