翻訳フォーラムシンポジウム2018の矢印図――話の流れ、文脈について
先週日曜日に開催した翻訳フォーラムシンポジウム&大オフ2018、いろいろな方がブログなどにレポートを書いてくださっています。ありがとうございます。
全体的なまとめとしては、屋根裏通信「翻訳フォーラム・シンポジウム2018 (1)」に始まる一連の記事を読んでいただくのがいいかなと思います。Sayoさんのまとめはいつも秀逸です。ライターとしてお金もらって仕事ができると思うほどに。
さて、私の発表関係では「矢印を使った説明がよかった」という評価をあちこちでいただいています。
というわけで、その部分のスライドを何枚か、ブログでも紹介しておきましょう。
■ぶちぶち訳(私の例でいうところの試訳0)
1文単位で原文と訳文を見比べるとそれなりに訳せている。どれもまちがってはいない。いや、正しいと言っていい。でも、全体としてはなにが言いたいのかよくわからない。そういうときは、だいたい、こんなイメージになっているんだと思います。原文に存在する文と文の関係(←昔から「文脈」と言ってきたもの。今回のシンポジウムで出た「結束性」もその一部)が訳文に反映されていないため、流れがおかしくなっているわけです。本筋と付加情報を切り分ける標識もなかったり正しく機能していなかったりすることが多く、それも混乱を助長する要因でしょう。
■せめてこのくらいはというパターン
英語の流れを踏襲する(ある意味、すなおに訳す)場合でも、せめてこのくらいにはまとめたい。
ただ、話の本筋(黒い矢印)から外れる付加情報部分(オレンジや緑の部分)に注意が必要です。付加情報がくっついて長くなっているからと安易に切ると、ここから先が付加情報という標識が消え、頭から読んできた読み手は話がオレンジのほうに進んでいくんだと思いかねないし、そう思ってしまうと、本筋に話が戻るところで置いてけぼりをくらう恐れがあるからです。
■場合によってはこのくらいまでというパターン
そのあたりを工夫すると、結果として、こんな感じになったりする、という例です。最初の付加情報は、日本語でよくある「状況がこんなこんななんで、こうなります」的展開へと前後ひっくり返した形になっているイメージですね。
シンポジウムでも触れましたが、別に切るなと言ってるわけではありません。そこから先が付加情報だよって標識さえきちんと示せれば、切っても構わないわけです。要は、機械的にどうするのがいいということはなく、結果がちゃんとしているかどうか、そういう工夫ができるかどうか、ケースバイケースで考え、判断していくことが大事というわけです。
この矢印図、私のなかでは、たぶん、もう15年も前からあるイメージです。こんなに好評なんだったら、もっともっと早く表に打ち出すべきだったなぁ(^^;) このあたりも、目の前の仕事に追われているうちについつい先延ばしってやらかしてきたわけで、シンポジウムで発表するとかって節目(締め切り???)が設定されると進むんですよね(締め切りがないとだめってのは職業病ですかね^^;)。
ちなみに、今回、実例として紹介した部分について、シンポネタとしてではなく普通ならこうしていただろうなというのも書いておきます。話を聞かれた方には、頭のなかだけの処理と実際に書いてみる部分の境目がどのあたりにあるのかがわかっておもしろいだろうと思いますので。(このあたりもシンポでしゃべりたかったんですけど、時間がオーバーしすぎるので割愛しました)
■試訳0(ありがちな訳。ぶちぶち訳とも言う)
シンポ時にも言いましたが、私は、こういう訳を作りません。というか、全体が最適化されるように部分を最適化していく、森を見ながら木を訳すが自動運転になっているので、こういう訳し方ははなからありえません。
そうそう、「自動運転」の中身がよくわからんというコメントもいただいてます(あきーらさんのブログ、技術者から翻訳者へのシルクロードに掲載された「『翻訳フォーラム・シンポジウム2018~切るかつなぐか~』とオフ会に参加」)。
「自動運転」って、要するに、無意識のうちにやっちゃうってことです。もちろん、なんでも最初のうちは意識しないとできないわけですが、意識的な処理をくり返していると、そのうち、意識的に考えることなく同じような訳文が作れるようになります。「体育会系翻訳トレーニング論」で「体に覚えさせる」としたレベルに達するわけです。ある処理がそのレベルに達すると、頭にあまり負荷をかけることなくできるようになります。つまり、余裕が生まれるわけです。そうしたら、別の処理について意識し、それを考えて考えて処理するようにします。そして、そこが無意識にできる自動運転になったら、また、次の処理を……とくり返していくわけです。
今回のシンポジウムで示した「自動運転訳」は、翻訳専業になって以来20年、そういう積み重ねを意識的にくり返してきた結果なわけです。いまの私にとっての自動運転だとこうなるという例、と言ってもいいでしょう。
身につくスピードは人それぞれだと思うので、私よりずっと短期間で同じレベルに到達する人もいるでしょうし、私より時間がかかる人も、たぶん、いるでしょう。まあ、翻訳フォーラムのシンポジウムやレッスンシリーズなどでポイントを学んでから練習してもらえれば、あれこれ手探りでやってきた私よりずっと短期間で身につくはずだとは思いますけどね。
なお、このあたり、作業環境の影響も大きくあると私は思っています。よく言っている、1文単位で見ることになりがちなCATツールを使っていると力がつかないというやつです。もちろん、前のほうからの流れは頭に入っているとか、通常の段落形式にして読みなおし、修正するから問題ないとか、いろんな意見があるのは知っています。でも、納得できたこと、ないんですよね。
たとえば前者については、その流れが頭に入っている状態でも、文単位にばらすと読みにくくて文脈判断がしにくくなるのが事実としてあります。今回、シンポでは説明するために文単位表示にしましたが、あれやると文脈判断がつらくなります)。あと、流れの切れ目を示すために段落を分けるというテクニックも紹介していますが、それが機能するのは、目から入ってくる形式に大きな力があるからにほかありません。
後者については、結果としてできているのを見たことがない、というのが傍証となります。~しているから大丈夫と言われている方の訳文を見るチャンスがいままで何度かあったのですが、ここだけの話、「ぶちぶち訳」の範疇だよなと思わなかったことがないのです(当人には「そうですか」としか申しあげませんが)。個人的には、そういう微々たるものでも足を引っぱる要因を極力排除した環境でそこに重点をおいて訳し続け(日本語文法もずいぶん勉強しました)、それでも、なんとなく形になるまで10年かかったものなのに、それがCATツールなんて足かせつけた状態で簡単に習得できてたまるかって思いも、正直、あったりします。ま、このあたりは個人差で、すごく優秀な方なら1/10の労力で身につくのかもしれませんし、それなら、CATツール環境でも簡単に習得できるなんてことがあるのかもしれませんが。いまなら、前述したように翻訳フォーラムのレッスンシリーズとかでやり方を学ぶ手もありますし(練習はしにくいはずですが)。
ちなみに、自動運転は「自動」なので、かなり気をつけても完全には消せなかったりします。というわけで、実は、「試訳0(ありがちな)」も、自動運転の影響がけっこう残っています。シンポが近づいて見直しているとき、あれこれ気づいてしまいました……(^^;)
なお、シンポで実例の説明をするときには、そういう無意識レベルでやっていることもなるべく言語化したつもりです。無意識なんでピックアップしそこねたものもあるでしょうし、時間の制約から割愛したものも少なからずありますが。でも、試訳から次の試訳で変えている部分はそれぞれに理由があって変えていますし、なぜそうしたのかと問われれば、それなりに説明ができます。それぞれ、どうして変えているのだろうと考えてみられるのもおもしろいと思いますよ。
■試訳1(自動運転訳)
あまり深く考えず、さらっと訳したパターンです。
ここで「逆に」と書いた瞬間、やばそうだと思い、もうちょい訳文を書いたところで手を止めています。
で、原文の当該段落をにらみ、各文の役割を確認。方向転換の可能性を探ることを決断。シンポでは細かく分割した状態を示して説明しましたが、ここは頭のなかでやっているわけです。
■試訳2(段落分割)
これは頭のなかだけでやりました。このやり方だとほかの段落との関係が難しくなる、最後の手段かなと思いつつ次へ。
■試訳3(1文を1文に)
まずは比較対象用に、「逆に」の文を最後まで訳し、自動運転訳のブロックとします。後ろとの関係も大事なので、次の文くらいまで訳さないと当該文も訳せないし比較もやりにくいからです。(今回、実際には、ここでシンポネタにピックアップしようと考え、シンポで紹介した内容的切れ目まで訳出しています)
その状態で、自動運転訳ブロックの下側に訳文1文目をコピー。自動運転訳で分割した2文目を1文に訳し(訳文を修正するのではなく、原文から改めて訳しています)、さらに、そこからの流れに合うように、自動運転訳を参照しつつ3文目を作ります(3文目は改めての訳出と自動運転訳参照とが半々くらいのイメージだったと思います)。
シンポ時にも言ったように、これがイマイチだったので、これはこれでブロックを残したまま次へ。
■試訳4(2分割&前後入替)
2文目を2分割し、前後を入れ替えたような形で、やはり、段落冒頭3文の訳文をブロックにします。
自動運転訳、1文を1文に訳、2分割&前後入替訳という三つのブロックを見比べて方向性を決断。結果、今回は、試訳4(2分割&前後入替)をベースにするのがよさそうだと判断したわけです。
そして、このあと、試訳4で流れの悪いところをいろいろなテクニックで整え、大まかに収まったと言えるところまで持っていきます。
これができたところで、もう一度、原文と自動運転訳、1文を1文に訳、2分割&前後入替訳を見比べてどうするかを最終判断します。このときは途中で採用した方針(2分割&前後入替)でいいなと思ったわけですが、場合によっては、たとえばやはり1文を1文にしたほうがいいんじゃないかとそちらを追求し直すなんてこともあります。
あとは、不採用のものを削除し、一次訳に採用するものだけを残して先に進む、です。
■訳出時に注意する点
訳出時に注意する点は、原文との対応のほか、今回取りあげた流れ(文脈)、訳文側のコロケーション(語と語のつながり)、表記(漢字かかなかなど)、訳文のやわらかさや調子など多岐にわたります。しかも、あちらを立てればこちらが立たずみたいな関係があるケースも少なくありません。かなりややこしいことをしているので、それなりに注意しているつもりでも、うっかり見落とすものがあったりします。
今回示した試訳も、冒頭に変な言葉使いが残っちゃってるんですが、シンポジウムに来られた方は気づかれたでしょうか。「受注を取る」です。これ、「頭痛が痛い」型のおかしな表現ですよね。ここは「受注する」「契約を取る」などにしないと。言い訳をさせてもらうと、今回、方向転換の可能性を探りはじめたところからシンポネタにしようと考えたもので、つい、流れにばかり気が行ってしまったんじゃないかと。視野狭窄ってヤツですね。いや、なんか頭の片隅で警報が鳴っていた気がしないでもないんですが……無視してました。シンポ直前、なにを語るかとか考えていたとき、ふと気づき、あちゃ~と思いましたが、まあ、あくまで1次訳ですし、資料は配付しちゃってるしで直さずそのままにしました。
人間がやることに完璧はありえませんからね。ですから、時間をおいて見直すべきだし、それを何回くり返してもミスが残る可能性はゼロにならないわけです。
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