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2013年11月13日 (水)

ノンフィクション出版翻訳忘年会の参加資格

先日、案内メールを発送したノンフィクション出版翻訳忘年会ですが、翻訳者については「実力と実績のある翻訳家」というあいまいな表現になっています。そのため、「~という状況なのですが、これで参加資格はあるでしょうか」などと聞かれることがけっこうあります。

回答としていろいろなことを言ってきました……違和感を覚えつつ。

なんといっても基準があいまいですからね。正直なところ、幹事間でも明確なコンセンサスがなく、人によって考えが異なっていたりもします。それはまずかろうとなり、どういう基準にするのがいいのか、幹事間で話し合ったこともあります。そのとき、私は、いっそのこと、訳書X冊以上などの外形的基準を導入したらという立場を取りました……これまた違和感を覚えつつ、でしたが。

実はこの会は、もともと、2011年に亡くなった山岡洋一さんが中心となっていたものなのですが、「実力と実績のある翻訳家」という表現にされたとき、山岡さんの頭のなかには外形的な基準があったそうです(この話は、亡くなる前年にうかがいました)。であれば、外形的な基準を表に出してしまうほうが参加者は迷わなくてすみますし、幹事の負担も減るはずだと思ったのです。

外形基準を決めたら決めたでややこしい面もあるんですけどね。「訳書X冊以上」としたらしたで共訳書は数えるのか、共訳書を数えるとき人数に上限は設けるのか(訳者がずらりと10人も並ぶようなものもありますからね)、監訳者の名前で出ていて監訳者あとがきに「翻訳は~さんに頼みました」とクレジットされているものは数えるのか、下訳は数えるのか、商業出版ではなく自費出版のものは数えるのか……ざっと考えても、このくらいは問題が出てきます。

いろいろと議論がありましたが、最終的には外形基準の導入は見送りとなり、今年も、「実力と実績のある翻訳家」という表現のママになったわけです。

そして、先週の土曜日に行われた洋書の森のセミナーと懇親会に参加したとき、ボランティアスタッフをしているという方からも冒頭の質問をされました。いつもの違和感を感じつつ、なんて答えようかなと考えたとき、息子が通っていた小学校での出来事を思い出しました。

我が家には息子がふたりいます。長男のこばっかいはいわゆる腕白で、小学生時代、木があれば登る、高いところからは飛び降りるというタイプでした。幸い、「木登りは禁止していません。木に登れば落ちることもあります。木から落ちればいろいろあるものなので、そこは覚悟しておいてください」という小学校がすぐ近くにあったので、そこに行かせました。

こばっかいが小3のころ、屋上の手すりを乗り越え、地面に飛び降りるというのがマイブームになっていた時期があります。屋上といっても平屋になってる部分なのですが、それでも地面からかなりの高さがあります。当然、下が土じゃなきゃ飛び降りられませんし、飛び降りているところを見ると、土が盛りあがっていて飛び降りる高さが小さくなる部分を選んで飛び降りていました。そんなわけで、保護者会で学校に行ったとき、いつもいない保護者がいて観客が多いのでこばっかいが得意顔になって飛び降りるのを見ていたのですが、そのとき、隣にいたあるお母さんのところへ「飛び降りていい?」と子どもが聞きに来ました。お母さん、絶句。

そのとき、私の口をついて出たのが「飛び降りていいかと聞かなきゃいけないならやめときな。まだ早いんだよ」でした。

この出来事を思いだして気づいたんです。そっか、ノンフィクション出版翻訳忘年会の参加資格も同じだったんだなって。

訳書がないのは論外として、じゃあ、訳書が1冊あればいいの? 複数冊なきゃいけないの? 3冊以上? 5冊以上?……そういう外形的基準があれば楽です。判断しなくていいのですから。でも、大事なのは「自分で判断すること」なのでしょう。この人と仕事がしたいと思いつつ、ある出版社の編集さんにご挨拶したとき、「あなたは実力と実績のある翻訳家ですか?」と聞かれたとして、相手が満足できる対応ができると思えるかどうか、と言ってもいいかもしれません。

100人が訳せば100通りの訳文が生まれる翻訳の世界で、自分はこう訳す、自分としてはこれがベストと判断して訳文を書くのが我々の仕事なわけです。少なくとも出版翻訳は自分の名前で訳文を表に出すのですから、最終責任をすべて自分が背負う世界です。その世界で「単なる名刺交換の場ではなく、今後の糧になるような集まり」にしましょうというのに、他人に判断してもらわなければ出席の可否が決められないというのは、ある意味、矛盾でしょう。出席可否の質問を受けるたびに覚えていた違和感の正体は、この矛盾だったのではないかと思います。

というわけで、これからは、冒頭のような質問をされても迷うことなく答えられると思います。「『実力と実績のある翻訳家』という条件を見て、参加資格のあるなしを他人に判断してもらわなければいけないのであれば、まだ早いのだと思います」と。

あ、ちなみに、これは私の想いであって、幹事団の統一見解でもなんでもありません。その点は誤解のなきよう、お願いします。

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コメント

いつも幹事さんありがとうございます。

10年以上前のことで記憶も曖昧ですが、当初は訳書○冊以上と
いう決まりがありませんでしたっけ。当時の案内状には記載が
ないので、山岡さんから口頭で聞いただけかもしれません。

もうひとつ山岡さんからよく聞いたのは、参加者が自分の訳書
を持参して配って歩くような会にはしたくない、という話でした。
出会いの場ではあってほしいけれど、売り込みの場ではあって
ほしくない。そんなお気持ちだったと思います。

投稿: 伊豆原 弓 | 2013年11月13日 (水) 12時03分

私は2005年からして出ていないし、ノンフィクション出版翻訳忘年会の存在もそのときからしか知らないので、それより前にどうなっていたのかはわかりませんが、少なくとも、2005年にはいまの「実力と実績のある翻訳家」になっていました。

で、私は「こういう会をやってるんだけど、幹事、手伝ってよ」と山岡さんに言われたのがノンフィクション出版翻訳忘年会との出会いだったんですが、そうして参加した2005年、私は、山岡さんの頭にあった外形基準を満たしてなかったんですよ(^^;)

「出会いの場ではあってほしいけれど、売り込みの場ではあってほしくない」ですか。わかるような気はしますが、こういうゆるい集まり方の集団って舵取りが難しいというか、誰かがどうにかしたらみんながそっちに動いてくれるなんてことはまずありえないので、悩ましいですね。いまはそれなりにうまく実現できているとは思いますが。

投稿: Buckeye | 2013年11月13日 (水) 17時03分

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