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2012年10月 5日 (金)

不実な美女か貞淑な醜女か

翻訳業界の関係者ならピンと来ますよね。はい、2006年に亡くなった米原万里さんの傑作エッセイの題名です。

とてもおもしろくて、私も大笑いしながら読んだ記憶があるのですが……今日は、この本を紹介しようというわけではなく、『リーダーを目指す人の心得』に関連して、アマゾンのカスタマーレビューについていろいろと書かれている件に関連して、また、ちょっと書いてみたいと思います。

『リーダーを目指す人の心得』-誤訳の指摘」を書いたあと、yapparuskさんという方から、私のブログ記事へも言及されたレビューが投稿されました。そのなかに、(↓)のような一節があります。

13カ条のルール中の第8条のところで、原文では”For want of a nail"としか引用されていない、日本人にはなじみのないマザーグースの歌を、訳書では文中での位置づけや意味合いが分かるくらい長く引用してくれている。親切なことだ。

工夫したところを評価してもらえるというのは、うれしいものですね。

「工夫した部分がわかる」=「訳が気になっている」なので、その時点で翻訳に失敗しているとも言えますが。訳がいいとか悪いとか、気にせず最後まで読めてしまうのが一番いいわけですから。

一方、ここは、原文に書かれていないことを訳文に書いてしまっているわけで、原文との対応を重視するなら大きな誤訳と言えるものです。でも、私としては、原文のとおりに訳すのはよくないと考え、いまのような訳になっているわけです。

このようなとき、方針としては、大きく3種類があるでしょう。

  1. 原文どおりに訳す。
  2. 原文どおりに訳した上で、訳注を入れる。
  3. 日本人読者にわかりやすいよう、補足(加除)した訳にする。

米原万里さんの言葉を借りれば、1が貞淑な醜女、3が不実な美女、でしょうか。どちらがいいのかはみんなが悩むところですし、人によっても、また、場合によっても判断が分かれるところです。

私は……どちらかというと3を選択することが多いほうでしょう。もちろん、1もよくやります。特に問題なく流れるのであれば、原文になるべく添うほうがいいからです。2はなるべくやらないようにしているのですが(自分が読むとき、訳注があると読みづらいと思うので)、それ以外にうまく処理ができずに採用する場合もあります(いまのところ、2を選んだのは1回だけだと思います)。

最近はインターネットがあるのでちまたでの評判を多少なりとも見聞きするわけですが、私の翻訳は原文と微妙に違うと感じる人もおられるようです。誤訳ではないが、どうもしっくりこない、と。3を選択することが多いほうだから、なのかもしれません。

もしそうなのであれば、そういう方には、「相性が悪くてすみませんm(._.)m」と申しあげるしかないでしょう。私のような訳がいいと言ってくださる読者もたくさんおられますし、いま、高く評価してくださっている方々に満足していただきつつ、微妙に違うと思われる方にも満足してもらえるとは思えないからです。根本的な方向性が違うので、両立は無理です。

そうそう、このあたり、誤解されている人も世の中にはけっこういるんじゃないかと思いますが……私としても、なにをどう訳すのがいいのか、確固たるものがあるわけではありません。根本的な方向性はぶれていませんが、それを実際の翻訳作業にどう落とし込むのかは、試行錯誤を続けています。試行錯誤は、たぶん、この仕事から引退するまで続くでしょう。というか、試行錯誤をしなくなったら引退、なのかもしれません。

ともかく、ここしばらくは特に迷いが多く……ホントにこういう訳でいいんだろうか、別の訳し方のほうがいいんじゃないだろうかとうろうろすることがよくあります。そういう時期に入ったということなのでしょう。ここでたっぷり悩めば、半年後かン年後か、なにかがつかめるのかなと思うのですが……去年の疲れが抜け切れていないことと相まって、仕事の進みが遅くなってしまい、いろいろとまずいことになりかけています(--;)

『不実な美女か貞淑な醜女か』、休憩時間に読みかえしてみようかな……

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コメント

その通りです。すべての人が納得する翻訳はないでしょう。各人のそれまでの蓄積により、なるほどとわかってくれる読者もいるし、それがわからず間違っているのではないかと言う人も出てきます。勿論好みもあります。簡潔を好む人も凝った文章を好む人もいます。

とすれば、覚悟を決めて自分のやり方で前進するしかないでしょうね。

投稿: 柳絮 | 2012年10月 5日 (金) 10時53分

具体例で言えば、英語でJohnとかファーストネームで書いてあった場合、「ジョン」と訳すか名字にするかは、永遠に意見の分かれるところでしょう。最終的にはケースバイケースで判断するしかないのでしょうが。

補足する際もケースバイケースではないでしょうか。英語圏で当然でも、日本語圏では知られていない前提があるなら、補足する方が読みやすくなります。ただ、敢えて曖昧に書かれていることもあるかと思います。例えばseveral treesという表現は、写真でいうと人物に注目してもらうため、敢えて背景をぼかしているのかもしれません。木が生えていることが分かれば十分で、3本なのか4本なのかまで明確である必要はないわけです。

とはいえマニュアルや技術文書なら、曖昧なものを具体的にした方がいいことも多々あります。小説なら芸術性を尊重して、具体的にした方がよくなっても、自制すべきかもしれません(修復師は「モナリザは目をもっとパッチリさせた方がいい絵になる」と思っても、修復師である限りそうしません)。結局、最終的にはケースバイケースだという結論に落ち着くわけですが。

投稿: バックステージ | 2012年10月 5日 (金) 18時49分

そうなんですよねぇ。ケースバイケースとしか言いようがないんですよねぇ。

できれば、少しでも多くの人にとっていい形にしたいとは思うんですが、具体的にどうすればいいのかとなるとデータがないので、「私としてはこうだと思う」しかやりようがなくて。

そのあたりも、最近、また悩み始めちゃってる部分だと思います。

投稿: Buckeye | 2012年10月10日 (水) 20時05分

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