実力と営業力-売れる翻訳者の条件
翻訳者が売れるためには、実力と営業力のどちらが大事か、みたいな議論がツイッターでおこりました。そのあたりについて、私が思うところをまとめてみたいと思います。
ツイッターの議論でも書いたのですが、ぶっちゃけた話、翻訳の世界は(↓)だと思うのです。
- ある一定レベル以上の実力さえあればなにをどうしても売れる
- なにをどうしても売れるほどではないけれど、実力がもう少し下のある一定レベル以上だという人には売り込み方法などのトッピングが効く
- 実力がある一定レベルを下回るとなにをどうしても売れない
この件に関する私の考えは、(↓)です。
- 一番大事なのは実力
- 売れる実力があった上で営業力があれば鬼に金棒
■翻訳会社相手なら実力だけで売れる
ここには翻訳業界の特殊事情が絡んでいます。
いくら実力があっても仕事をさせてもらえない、まずは仕事を取ってくる営業力がなければどうにもならないのが、普通の世界です。
でも、翻訳業界はそのあたり、翻訳者にとってとても楽な特殊事情があります。仕事を翻訳者に出さなければ干上がる翻訳会社の存在です。翻訳会社は安くて上手な翻訳者を常に求めています。だから、営業力なんてなくてもトライアルを受けられるし、実力さえあればトライアルには必ず通るし、値段をどうこう言わなければいくらでもたくさんの仕事を獲得できます。
つまり極論すれば、「対翻訳会社では営業力なんてなくても実力さえあれば売れる」です。
■営業力の位置付け
いや、でも、値段も大事だし、なるべく少ない仕事量で年間売上を増やしたいと思えば営業も必要だと言う人もいるでしょう。ツイッターでも、とある人から「もっと工夫して営業すれば今の仕事量を減らして収入を1.5倍にできそうな実力者を知ってる」なんて意見ももらいました。
それはそうだろうと思います。営業力は「鬼に金棒」の「金棒」ですから。鬼(実力)だけでもかなりのところまでは行けますが、その先まで行きたければ金棒(営業力)もあったほうがいいし、金棒なしではよほどの幸運にでも恵まれなければ最高の条件を勝ち取るのは難しいと言えるでしょう。
でも、逆に言えば、営業力は金棒にすぎません。鬼は金棒なしでも脅威になりますが、ネズミに金棒を渡しても持ち上げることさえできず意味がありません。上記ツイッターでのコメントも「実力者」と書かれているように、実力がなければ営業力に意味はないのです。
そして、翻訳業界には特殊事情があるため、金棒が意味を持つレベルの実力を持っていれば、翻訳会社相手ならたいていは十分に売れることになります。
「『実力さえあれば仕事は舞い込んでくる』という言質には、『(経済)市場は常に効率的』と同じぐらい懐疑的です、私は」というコメントがツイッターでありましたが、たしかに、翻訳業界以外は「実力さえあれば仕事は舞い込んでくる」なんてことはないし、だから、ソースクライアントと取引しようと思えば営業力がとても大事になるわけですが、逆に言えば、翻訳会社相手の取引に話をかぎれば「実力さえあれば仕事は舞い込んでくる」がかなりの高確率で成立すると私は見ています。
もちろん、100%ではないので、冒頭の2、「なにをどうしても売れるほどではないけれど、実力がもう少し下のある一定レベル以上だという人には売り込み方法などのトッピングが効く」というレベルの人たちが生まれるわけです。ただ、その層はそれほど多くないだろうと思います。
このあたりを読んでなお、「そんなことはない」という人は、たぶん、「実力がある」で想定しているレベルが私と違うのでしょう。特に値段が高くないのにスケジュールが空く、断るほど仕事の打診が来ないというのは、まだ実力不足なんだと私は思っています。
この営業力(上手な見せ方、セルフブランディングなど)については、今年度のJTF翻訳祭で私も話をしてきました(「翻訳者の営業方法」@JTF翻訳祭2011)。ここで強調したのは「自分の強みを生かす・売り込む」でした。ほかの翻訳者と差別化できるほどの強みがある人なら、翻訳会社相手なら、それなりの努力で十分に売れるはずです。世の中的には、「営業努力なんてなくてもいい人」にはいるかもしれません。そう感じたからでしょう、あとでもらった感想に「営業のヒントが欲しいと思って参加したが、強者の論理で参考にならなかった」と書かれた方がおられました。
でも、そもそも「売り」がなければ営業もへったくれもないと思うんですよね。ほかの翻訳者と違う何か、ほかの翻訳者と異なり、かつ、発注者が価値を見いだしてくれる何かがなくて、なにを売ろうというのでしょうか。押し売りでも詐欺まがいでも売りつければ終わりという商品ならまだしも、我々の商売はリピートで買ってもらってなんぼの世界ですから。
■実力養成について
「技術磨くのは当たり前の話で、営業はその技術を一人でも多くの人に知ってもらうためのものなんだよ」というコメントもツイッターでもらいました。それはそのとおりなんですが、何点か、気になる点を指摘しておきたいと思います。
まず、発注者にとっては「技術を磨いているか否か」は意味がありません。発注者にとって意味があるのは「磨かれた技術を持っているか否か」。トレーニングもなしにすばらしい翻訳を生みだすなんて天才的な翻訳者がいたら、その人には高い価値がありますが、逆に、いろいろと努力しているのに成果がまったく出ず、駆け出しと変わらない訳文しか生みだせないなんて翻訳者がいたら、その人の価値は低いままです。
もう1点。技術を磨いている翻訳者ってどれくらいいるのでしょうか。日々、せいいっぱい訳しているとか、磨いているつもりとかではなく、本当に技術を磨いている人って。本を読むなどでわかったつもりになっても、似たパターンに遭遇したときに応用なんてできません。体に染みこむまでたたき込んでおかなければダメなのです。そういうトレーニングまでしている人って、どのくらいいるのでしょうか。かなり少ないのでは? そして、本当の意味で技術を磨いている翻訳者は、そういうトレーニングまでしている人のうち、成果があがっている人だけ、でしょう。私自身、一応、技術を磨いている「つもり」ですが、本当のところ磨けているのかどうか確実なことは言えませんし、だいたい、日々の仕事に追われて勉強やトレーニングが減る時期がけっこうあったりします。本当に技術を磨けている人は意外なほど少ないと私は思っています。
■結局のところ……
「1に実力養成、2に実力養成、3、4がなくて5に営業力強化」……そんなところでしょうか。
営業力も一朝一夕では身につきません。また、どちら方面にどう売っていくのかでどの部分の実力を強化すべきかも変化します。実力養成を中心に進めつつ、営業的なことも折々考えてみるというのがバランスとしていいように思います。
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コメント
あっちにも書きましたが、こっちだけお読みになる方もあるでしょうから貼っておきます。
@buckeyetechdoc 同意です。補足として1)対翻訳会社でも「常時発注の1割」に入るための営業力が要る? 2)対翻訳会社でなくソークラ直でも、ちゃんとした仕事をしていると「ご紹介」で仕事が舞い込んでくる 3)同業者との交流・研鑽で相互紹介もある、あたりでしょうか。
投稿: Nest | 2012年3月28日 (水) 03時10分
Nestさん、
1)については、営業力がなくても実力さえあれば可能だけど、営業力があればベター、でしょうか。
2)については、最初のとっかかりに営業力が必要かと。運でとっかかりをつかめるケースもありますけど。最初のとっかかりをつかんだ後は、「ちゃんとした仕事」が営業も兼ねてくれるって側面、かなりありますね。
3)はいわゆる営業力というほどの営業力は不要ですね。ただ、そういう場に出ていって人の話を聞いているだけだったりするとアウトなので、そういう最低限の営業力は必要かもしれません。(って、それは営業力と言うほどのものではないような気もします)
投稿: Buckeye | 2012年4月 2日 (月) 18時49分
何をもって「営業力」と言うかというのもありますね。よく学校などで見聞きするのは、引っ込み思案で普通の会社勤めなどは難しいので、自宅で、人と交わらずに済む仕事として選びたいという人。
わたしも(信じがたいでしょうが)人見知りが激しく、何事も億劫なたちなので気持ちは大変わかるんですが、翻訳会社に登録さえできれば、あとはうちでただ待ってれば仕事が来るというわけじゃないから、やはりある程度は人に説明したり、説得したりする能力は必要ですよね。これは別にフリーランスならどの業種もそうだと思いますが。むしろ、会社勤めなどの方が、そういった「斬り込んでいく」能力を必ず求められるものでもない気がします。
投稿: Nest | 2012年4月 4日 (水) 21時49分
初めまして。twitterの方でも、先ほどフォローさせていただきました(私のIDは、このコメの名前と同じです)。
これから翻訳者として独立しようと、あれこれ調べているうちに、こちらのブログにたどり着きました。
あれこれ業界事情を推測していますが、私もbuckeyeさんの意見に近い感覚を持っています。つまり、「フリーの翻訳者が高収入を達成する近道は、実力を高めることである」です。
で、一つ教えて頂きたいのですが、自分の翻訳品質の実力を客観的に評価する方法には、どのような方法が考えられるでしょうか?エージェントのトライアルを受けてその結果で評価するという方法もあり得ますが、単に合否だけでは明確な評価はわかりません。
一つ考えついたのは、「翻訳学校の短期講座を受けて、先生のフィードバックを貰う」という方法です。当方、現在会社員で、これからの独立を考えている身ですので、翻訳者の知り合いもいませんから彼らとの比較は出来ませんし…
会社をやめて独立してやっていけるのかをシュミレーションしていますが、やはり実力が単価・仕事量の両方に影響すると思うので、それを事前に知りたいと思っている次第です。
投稿: tokyojoe_2008 | 2012年7月25日 (水) 10時41分
tokyojoe_2008さま、
客観的な評価となると、一番は、発注者にあたることだと思います。いま現在、会社の仕事がどのような状況にあるのかわかりませんが、二足で仕事ができるならしてしまうのが、いろいろ一番はっきりわかるはずです。実際の仕事をすれば、トライアルの合否だけでなく、どのくらいの単価でどのくらい仕事の打診があるのかなどまでわかりますから。
私は、実際にそういう形で専業化の見極めをつけました(↓)。
「専業独立前後の動きとその結果」
http://buckeye.way-nifty.com/translator/2012/05/post-daee.html
あとは、おっしゃるとおり、「翻訳学校の短期講座を受けて、先生のフィードバックを貰う」という方法が考えられます。いまの力を確認するということなら、1日講座で十分でしょう。
投稿: Buckeye | 2012年7月25日 (水) 13時57分
buckyeyeさま
示唆に富むアドバイスありがとうございます。
リンク先の記事、そのまた先の独立・専業化に関する記事、どちらも大変参考になります。私には家族は居ないという違いはありますが、同じく理系分野出身、米国留学経験あり、現役サラリーマンという私には大変有用な情報です。
この夏~秋は、二足のわらじ生活で専業化の準備に励んでみます(まさにそういう事を考えていたところでした)。
投稿: tokyojoe_2008 | 2012年7月25日 (水) 17時25分