『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』
新しい訳書が出ます。
インターネットが少しずつ変質し、便利になった反面、いろいろな問題がありそうだという警告の書です。我々翻訳者なら、Google検索がおかしくなってきている、少なくとも我々の仕事にとっては困った方向に変化してきていることに気づいている人が多いでしょう。そのあたりも、本書で大きなテーマとして取りあげている部分です。
ちなみに、この本、翻訳は『スティーブ・ジョブズ』(講談社)よりも前におこないました。実は、『スティーブ・ジョブズ』の翻訳を突貫工事で進めている間、この本のゲラが戻ってきたらどうしようと戦々恐々としていたのです。少なくとも私にとっては幸いだったのが、どうも担当編集さんが忙しかったらしく(それともどこやら経由で私の状況を聞かれたのか)、年末までゲラが戻ってこなかったことです。『スティーブ・ジョブズ』の翻訳が終わっても昨年いっぱいはとても集中してゲラ読みができる状態ではなかったので、正直なところ、助かりました。邦訳が出るのを心待ちにしていた方には申し訳ないことをしましたが。
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訳者あとがき
2011年3月の東日本大震災に伴う原子力発電所の事故で電力が不足し、節電が強く叫ばれていたころ、ツイッターで言い争いがあった。飲食店などのネオンを消すべきか付けておいていいかという話で、片方は節電のために計画停電までしているくらいなのだから消すべきという意見、もう片方はネオンの消灯は飲食店にとって死活問題だから付けておいていいという意見だった。おもしろいなと思ったのは、両方とも、自分から見えるツイッターのタイムラインでは自分と同意見の人が多数派だったという点だ。
当然といえば当然の話だ。「類は友を呼ぶ」というくらいで、現実世界において仲のよい友達は自分と似た考えを持っていることが多い。友達になる・ならないというのはきわめて人間的な選択なので、実生活では知りあえない人とつながりが持てるインターネットにおいても、結局、自分と似た人が友達に多くなるのは当たり前だろう。
一方、インターネットにおける検索の結果や各種サイトで提示されるニュースなどは、ユーザー個人の嗜好や興味関心とは関係がないと考えるのが普通だろう。いわば辞書を引いたり新聞を読んだりするのと同じであり、誰がやっても同じ結果が得られるはずだと。これはインターネットを創った人々が夢見ていたウェブのイメージでもある。オープンで誰もが同じ情報にアクセスできる。さまざまな立場の人がつながり、「公」の空間が大きく広がって大衆が大きな力を持つようになる。電子フロンティア財団の創設につながったマニフェストにあった「サイバースペースにおける精神の文明開化」の世界だ。
ところが最近のインターネットは、いつのまにか、自分が興味を持っていることや自分の意見を補強する情報ばかりが見えるようになりつつあるらしい。たしかにインターネットの世界にはあらゆる情報が存在しているが、その情報と我々とのあいだにフィルターが置かれ、そのフィルターを通過できる一部の情報だけが我々に届く状態になってきているのだ。しかも、このフィルターは一人ひとりに合わせてパーソナライズされている。つまり、いま、我々が見るインターネットは一人ひとり違っていることになる。
本書の著者は、これを「フィルターバブルに包まれている」と表現する。一人ひとりがフィルターでできた泡(バブル)に包まれ、インターネットのあちこちに浮かんでいるイメージだ。
フィルターバブルの登場でインターネットの体験は大きく変化した。まず、自分の興味関心に関連のある情報が得やすくなったことが挙げられる。
「おお、それはいい」と思った人はちょっと待ってほしい。うまい話には落とし穴があるというのが世の中の常識である。フィルターバブルも例外ではない。
フィルターを作って設置しているのはグーグルやフェイスブックといった企業だ。その背景にあるのは広告。ユーザーの興味関心が正確に把握できれば、それに合わせた広告が提示できる。パーソナライズを通じて広告の効率を上げたいからフィルターを開発しているわけで、ユーザーのために作って設置しているのではないのだ。ただユーザーにとっても自分が欲しいと思うモノが簡単にみつかって便利だというわかりやすいメリットがあるため、いままで特に問題にされてこなかっただけだ。
もちろん、落とし穴となるデメリットもある。ただしわかりにくい。ある意味、そのデメリットを説明するために本書の著者は1冊を費やしているほどなのだ。
著者が指摘する主なデメリットをざっと紹介しよう。
まず、思わぬモノとの出会いがなくなり、成長や革新のチャンスが失われる。知らないモノと出会うと知的好奇心が刺激され、人間はそれを原動力に成長や革新を実現する。ところがフィルターバブルはさまざまなものをいつのまにか隠してしまうため、知らないことを知りたいという強い気持ちが生まれない。
さらに、自分の言動をもとにフィルターがパーソナライズされると、パーソナライズのもととなった言動を強化する情報ばかりがはいってくるようになり、その情報で強化された言動をもとにパーソナライズが強化され……という具合にループしてしまう。フィルターバブルの膜は厚くなる一方なのだ。
フィルターでユーザーの言動を変えてゆけるとなれば、当然、それを利用して利益を上げようとする人間がでてくる。購入履歴を参考として客観的に選んだようにみせかけ、スポンサーがお金を払ってくれた製品を推奨するといったこともおこなわれるだろう。精神状態などからついいらないものまで買ってしまいがちなとき、集中的に購買意欲をあおられるといったことも起きるだろう。ちょっと危ない地域への旅行に興味を示すと、その情報を買った保険会社から高い料率を提示されるといったこともありうる。「対価を払わない者は顧客ではない。売られるモノだ」という言葉が本書で紹介されているが、フィルターバブルの世界において我々は「我々の言動を売ることを許可する」という形で対価を支払っているわけだ。
フィルターで購買行動を変えられるのなら、それ以外の行動も変えられると考えるのが妥当だろう。つまり、その影響はいらないものを買わされる程度にとどまらず、国の政治や世論といったものにまで及ぶ可能性があるのだ。世論をある方向に動かしたいと思えば、少しずつそちら向きの情報が増えるようにフィルターを調節してゆけばいい。「周りが皆そう思っている」と皆が思うようにしむければいいわけだ。
最大の問題は、可能性としてそこまでの力をもつフィルターを私企業がそれぞれ好き勝手に開発している点だろう。そのため、どういう方針でなにをどのように処理してパーソナライズしているのかまったくわからない状態になっている。自分の言動が誤解されておかしなパーソナライゼーションとなっていても、それを訂正してもらう方法もない。そもそも、パーソナライズされているのかどうかさえ、ユーザーにはわかりにくい。
このようにフィルターバブルはユーザーから見てさまざまな問題を抱えており、その先行きには不安が大きくある。
この状況を変えるにはどうしたらいいか。著者はさまざまな提言もおこなっている。ユーザーに対する提言のほか、フィルターを開発・設置・利用する企業に対する提言や政府に対する提言も本書に書かれている。
その提言を実現するためには、まず、フィルターバブルとその問題にユーザーが気づかなければならない。そして、フィルターを開発・設置・利用する企業に対する提言や政府に対する提言が実現されるようにと働きかける必要がある。その結果、インターネットが情報ツールとして優れたものになってほしい―それが著者の願いだろう。
2012年2月
井口耕二
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コメント
『これはインターネットを創った人々が夢見ていたウェブのイメージでもある。オープンで誰もが同じ情報にアクセスできる。さまざまな立場の人がつながり、「公」の空間が大きく広がって大衆が大きな力を持つようになる。電子フロンティア財団の創設につながったマニフェストにあった「サイバースペースにおける精神の文明開化」の世界だ。』が重複してますよ
投稿: taka | 2012年2月22日 (水) 19時52分
あらら……指摘、ありがとうございます。直しておきました。ゲラで追記した部分なのでこちらにも追記しておかなければと思ったのですが、ゲラに追記したとき元ファイルも書き換えていたようです。
投稿: Buckeye | 2012年2月22日 (水) 20時34分