« スティーブ・ジョブズ翻訳の裏側@JAT月例セミナー | トップページ | 『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』 »

2012年2月20日 (月)

エージェントの現実と限界?

沖縄在住の翻訳者・通訳者、関根マイクさんのブログ、「翻訳と通訳のあいだ」に「エージェントの現実と限界。」という記事がありました。

この記事に書かれたIJET大阪プレイベントには私も行きたかったのですが、このブログを書くのもままならない状況であきらめざるを得ませんでした。それはさておき。マイクさんの「スターでも年収500万円は容易ではない」という項目はホントにそうなのだろうかと思ってしまいました。いや、それを言ったら大阪プレイベントのタイトル、「まずは年収500万!~いま、エージェントとの付き合い方を考える~」自体に異議を唱えることになるのかもしれませんが。

このあたりについては、2009年におこなった試算があります(↓)。
産業翻訳者の現実的な収入はどの程度か

「2009年ごろから単価はさらに下がっているよ」と言われるかもしれないので、単価は10円/ワードで計算してみましょうか。

「産業翻訳者の現実的な収入はどの程度か」の計算を利用するため、まずは10円/ワードを英日仕上がり400字に換算します。仕上がり400字になる英語は、IT系の110ワード前後から医薬などの150ワード前後まで広がります。つまり、10円/ワードというのは英日仕上がり400字で1100円~1500円くらいになるわけです。

この条件から推定される現実にありうる数字は

1100~1500円/枚×15枚/日×20日/月×12カ月=396~540万円/年

つまり、平均よりも少し手が遅く、週休2日と一般的な翻訳者よりも休んでいる条件で400~500万くらいにはなるはずです。平均よりも少し手が速く、1日20枚できれば、528~720万と十分に年間500万円に乗ります。

単価をもっと低く、8円/ワードと設定し、平均前後のスピードがあるとすると……

880~1200円/枚×15枚/日×20日/月×12カ月=317~432万円/年
880~1200円/枚×20枚/日×20日/月×12カ月=422~576万円/年

IT系で15枚/日(1700ワード/日)だとさすがに苦しいですが、8円/ワードでも400万くらいは売り上げられていいはずです。

■石岡さんの話の落とし穴

いや、でも、パネリストで登壇された石岡さんは、自社からの発注実績という事実に基づいて「アスカのスター翻訳者でも全員500万円は稼いでいない(むしろ実態は300万円に近い)」と言われたのはどうなるんだと反論されるかもしれません。どうにもなりません。上記の私の計算と矛盾しないのだから、それでいいのではないでしょうか。

私の計算は、あくまで翻訳者側から見た話です。対して石岡さんの話は「ある翻訳会社1社から見た話」です。4社から300万円ずつ受注する人は、翻訳会社側から見れば「300万円稼ぐ人」、翻訳者側から見れば「1200万円稼ぐ人」です。何社と付きあうかは人によりますが、3社や4社というのは珍しくないんじゃないでしょうか。私が専業翻訳者として独立した直後の1年間は95%が翻訳会社さん経由でしたが、そのとき「メインで付きあった」翻訳会社が4社でした。

まあ、要するに、「アスカさんのスター翻訳者なら、500万円は楽勝で稼いでいてもおかしくないのでは?」と思うわけです。実態に近い300万円でも、2社とそういうつきあいをしているなら600万円になりますからね。まさか、アスカさんは翻訳者が専属契約で他社の仕事ができないようになっているなんてことはないでしょう。

■どこを目指すか

マイクさんは最後の段落で、いい仕事をするだけじゃだめだと言われています。言われたいことはよくわかりますし、私もそのとおりだとは思うのですが……欲しい成果が翻訳会社経由で年間500万円の売上であれば、翻訳技術を磨くだけで十分に到達するでしょう。というか、そのくらいの翻訳技術は最低限として必要なんだと思います。少なくとも、「翻訳者」として中堅以上になるためには。上記計算で使ったような安めの単価で途切れなく仕事が来るくらいの翻訳技術がなくて、プロの中堅になんてなれるはずがありません。

その上で、年間1000万円など、売上上位を狙うのであれば、翻訳技術を磨くだけでなく、市場での立ち位置や単価なども戦略的に考える必要があるでしょう。

|

« スティーブ・ジョブズ翻訳の裏側@JAT月例セミナー | トップページ | 『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』 »

翻訳-業界」カテゴリの記事

コメント

この件についてはツイッターでいろいろな意見が飛び交いました。そのかなりの部分をマイクさんが拾ってまとめてくれています(↓)。

http://togetter.com/li/261326

投稿: Buckeye | 2012年2月22日 (水) 19時18分

井口さん、こんにちは
初めて投稿させていただきます。
最近忙しくてあまり閲覧させていただいていなかったのですが、ちょっと余裕ができて興味深いテーマなので投稿させていただきます。

当方は外資系企業の社内翻訳を担当しているサラリーマントランスレータです。元々は営業をやっていたので経験は5年程度です。何年か前にリーマンショックなどで一時業績が傾いて、今のポジションがどうなるものかと心配で、翻訳会社に登録して空いている時間にアルバイトしてみたことがあります。
その会社は、登録に当たってかなり厳しくレベルのチェックを受けて、それなりのバックアップ体制のある中堅どころではあるのですが、正直日頃の社内での仕事に比較すると、始めたばかりということもあったのでしょうが、かなり厳しいものがあると感じました。例えば次のような点です:

1. その会社が色々なところからの依頼を受けているので、翻訳を依頼される内容や分野がバラバラでその都度ネットなどで当該の分野の事前勉強をする必要がありました。使われる用語にも不慣れなため、その都度確認する手間もありました。従って、本業である1つの会社でその会社の担当業種の文書を翻訳する場合と比べて、非常に非効率な作業となりました。
2. 社内の参照用であれば意味さえ通じればよいという気楽さもありますが、一応外部からの依頼で納品という形であるので、一点一点の完成度が求められていると思い、かなり入念な推敲や見直しをせざるを得ませんでした。

上記のような事情もあって、最初に行った翻訳は400字づめで5、6枚程度の商品カタログだったのですが、3日間ぐらい(本業もあったので勿論それぞれ一日中かかったわけではありませんが)は必要でしたが、カタログなので文字数はそれほど多くなくて、数千円の収入(おまけに銀行送金手数料をひかれていた)というところでした。その会社からは、それなりに依頼は来たのですが、あまりにも分野や内容がばらばら(カタログだったり、論文だったり)で、2度丁重にパスしたところその後全く依頼が来なくなり、実質的には切り捨てられたようです(惨)。

このような経験から、多くの翻訳会社とのコネもない、実績もない、で足元を見られる弱い立場の個人ではいくら頑張っても月に20万円稼ぐのも難しいのではないかと感じました。
(私は現在の会社では、400字づめなら1日30~40枚程度はこなせるのですが、全く新しい分野ではそうはいきませんし、じゃあ手を抜けいて数をこなせるかというと、それでは次の依頼が来なくなるのではないかと思います)
確かに、翻訳依頼者が翻訳会社に払う料金はかなり高いようなのですが、それらには当然翻訳会社の管理費や営業費などの多くの一般管理費が乗っているわけで、翻訳会社が末端の翻訳者に払える料金はわずかになると思いますし、翻訳会社の方も利益を出すためにはこのような安い料金で都合の良い時に使い捨てられる翻訳者も多く抱えておく必要があるでしょうから、これが現実ではないかと思います。勿論、井口さんのような実績もコネもある翻訳会社から一目置かれる超大物ならばかなりの収入になると思いますので、「スターでも500万円は容易ではない」というのは、間違いだとは思います。ただ、じゃあスターにはどのくらい下済みをこなして、どのくらい自己研さんをはかればなれるのか、というとそんなに多くの人がなれるものではないと思いますがいかがなのでしょうか。なんか初めてなのに随分と長文になってしまいましたが、何かコメントをいただければありがたいです。

投稿: キムリン | 2012年2月23日 (木) 18時40分

キムリンさん、

手慣れた範囲以外の翻訳には、おっしゃるとおりのことが課題としてあります。分野的にわかっている範囲でも、大本の企業が違うだけで言い回しなどが大きく違い、その確認でスピードが20%、30%落ちるということもあります。ましてあまりよく知らない範囲を取り扱う文書だと、周辺情報を勉強している時間のほうが翻訳を進めているよりも長くなってしまうことも珍しくありません。

だから、職業翻訳者の場合「自分の専門を持ちましょう」となるわけです。この範囲ならそれなりの調査・勉強で仕事ができるという分野があり、そこの仕事が中心になれば全体の平均スピードがあがりますから。よく知っている分野になればなるほど品質もあがります。つまり、質(単価に反映される)の面からもスピードの面からも、有利になるわけです。

スターというか私はエース級と表現するんですが、ともかく、そういうポジションについては、こちらもおっしゃるとおり、誰もがなれるわけではありません。

ただ、それほど少ないかというとそうでもないと思います。エース級とは、ある翻訳会社なりがある分野について発注している翻訳者の上位何人かという意味だからです。世の中にすごく上手な訳をとても安く出してくれる翻訳者がいても、自分の取引先とその人がつながっていなければ関係ありません。分野が違っていても関係ありません。自分の売りが化学なら、機械の翻訳が上手な人が同じ翻訳会社と取引していてもあまり関係ないわけです。ですから、エース級というのは翻訳者全体の1%とかではなく、10%とかそういうくらいは少なくとも「エース級」の範疇に入れるのではないかと私は思っています(数字に根拠はありません。あまり信じないでください)。

「どのくらい下済みをこなして、どのくらい自己研さんをはかればなれるのか」は……人によります。始めてすぐになってしまう人、1~2年でなってしまう人、5年かかる人、10年かかる人……結局、翻訳というのは訳文次第で、学歴も職歴も経験年数も関係なしの実力勝負ですから。

どれだけかかるかもわからない、努力したからといってなれるかどうかもわからないわけですが、努力しなければエース級にはまずなれないということだけは確実です。

そうそう、私の場合、たしかにいまは実績もコネもありますし、一目置いてくれているらしい翻訳会社もたくさんありますが、でも、14年前、専業翻訳者として独立したときはその他大勢のひとりだったわけです。で、それから何か特別なことをしてきたのかといえば、特にそういうこともないわけで。実力をつけ、実績やコネを一つずつ積み上げてゆけば、かなり多くの人がそれなりの形にはなるはずだと思います。

投稿: Buckeye | 2012年2月24日 (金) 18時30分

buckeyeさん、丁寧なご回答誠にありがとうございました。
私は元々は以前の会社で営業を長くやっていたことから、周囲や同僚の翻訳者がよく口にするような一日何文字、400字づめで何ページというような尺度で自分の翻訳能力を測ること自体に疎く、とにかく依頼されてものは、何が何でも期日内に完成させる、という方針で臨んできています。しかしその一方で、前述のような経験から、今の会社を解雇あるいは外資系であるために日本から突然撤退した場合に、どのように身を処せば良いかは常に準備しておかなければならないとも考えております。従って、自分の現在の仕事に対して得ている賃金が業界から見て適正なものか、一般の翻訳者の方たちは実際にどのくらいの対価を得ているのかは、やはり気になっております。buckeyeさんの以前の記事や、「翻訳者の収入」でネット検索した場合に得られる情報などは、参考にさせていただいてはおりますが、どうも内容が、「一文字いくらで、一日このくらいは翻訳できるので、月で計算するといくらいくらの収入になる」、という類の機械的な説明が多く、果たして翻訳という仕事で得ることができる対価は、そのような単純な計算で求められるのかという疑問を感じておりました。
buckeyeさんのご説明で、作業効率の問題や翻訳会社との関係などについては、それなりの収入を得るためには当然克服して行かねばならない課題であること、改めて確認することができました。ありがとうございました。これからも時間があれば記事を参照させていただき、もしかするとコメントさせていただくこともあるかと思いますが、引き続き宜しくお願い致します。

投稿: キムリン | 2012年2月25日 (土) 18時53分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: エージェントの現実と限界?:

« スティーブ・ジョブズ翻訳の裏側@JAT月例セミナー | トップページ | 『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』 »