『スティーブジョブズⅠ・Ⅱ』の翻訳について-その4
あいだがあいてしまいましたが、翻訳舞台裏の続きです。
■リスク
●見積もりの狂い
一番の危険は、「訳出のスピードが予想どおりにならない」です。まともにやる場合、訳出のスピードというのは狙えるものではなく、結果として出てくるものなので、やってみたら想像以上に時間がかかったりするわけです。今回の実績で見ても、章が移ったとたん、訳出のスピードが3割も上がったり下がったりなんてことがありました。内容、特に、基本的に事実が並べられているのか心情的な話が多いのかでスピードが大きく変化しますから(事実でもややこしい話が多いと遅くなりますが、まあ、伝記物だとそこまでややこしい話は少ないのであまり気にする必要はありません)。文単位でもややこしいというか手間のかかるものがときどき出てきたりします。平均して1時間500ワードくらい進んでいるところでも、それこそ、10ワードくらいの1文で10分も20分もかかるものがでてきたりしますからね。
著者との相性もあります。訳出しやすい人としにくい人というのがいるのです(私にとって訳しにくい人がほかの人には訳しやすい可能性はあります。だから「相性」です)。内容から予想したスピードとこれまた3割くらいずれるなんてざらにあります。『インターネットが死ぬ日』なんて、全編、予想の6割くらいしかスピードがでなくて苦労もすれば予定から大きく遅れる結果にもなりました。
今回は伝記物だし、内容的にかなり親しんだものだし、時間的制約がきついしで、もともとの設定スピードが『インターネットが死ぬ日』などの3割増しくらいになっていました(『インターネットが死ぬ日』で実際に出たスピードの2倍で訳出していかないと間に合わない)。どこをどう見てもギリギリであり、やってみたらそんなにスピードがでませんでしたm(._.)m という事態は十分に考えられました。
そのため、「とにかくやってみて、意外に進みが悪いなら、その時点で共訳者をたてるなどの対策を考えましょう」という話でスタートしました。実際にやってみるとスケジュールの前倒しもできないかわり、特に遅れることもなく、想定の範囲内くらいしかぶれなかったので、結局、ひとりで最後まで訳したわけです。
●分納関連
もうひとつの危険は、分納にかかわるもの。影響は当然にあるわけで(前述した以外にも細かいことを言いだせばいろいろと考えられます)、下手なやり方はで きません。時間的な面では、できる都度、それこそ章ごとにでも講談社さんに渡したほうがいいわけですが、そんなことをすればぐちゃぐちゃになるのは目に見 えています。というわけで、ギリギリこのくらいならという分け方を講談社さんと相談しつつ、進めました。
■品質への影響
これもリスクのウチにいれるべきなんですが、多岐にわたって長くなるので小見出しをたてます。
ふつうならあり得ない短期間でなんとかしているわけで、いろいろなところで無理をしています。
その無理は翻訳の品質に影響を与えないのか?
影響、あります。あるはずです。プロの翻訳者として、「影響ありません」なんてウソは言えません。正直な話、影響はあると思っています。
その影響があっても、複数の下訳者に訳してもらう、共訳にするといった他の選択肢に比べれば全体の質はずっとよくなるはずと思ったからひとりでやったわけですし、結果としてもそうなったと思ってもいます。
プロとしては、どこにどの程度の影響が出るおそれがあるのかを認識した上で、その影響を少しでも小さくする努力をすべきだと思います。本当は影響があるものを「影響はない」と思う、あるいはそう言い張るなどすれば、防げたはずのミスを誘発し、最終的なモノの質を落とすことになります。
●分納に伴うミス
ひとつは「分納に伴うミス」。これについては前述したので、ここでは割愛します。
●手抜き
一番危ないのは、さまざまな意味で手抜きになってしまうことでしょう。「読むスピードで翻訳できれば最高の品質が得られる」で書いた「ノーマルな速度範囲を逸脱するほど速くすると手抜きになって品質が落ちる」リスクです。
この点については「なるべく気をつけている」としか申しあげようがありません。もともと、ノーマルな速度範囲を逸脱しないスピードで作業時間を延ばし、後工程と時間を分けあえばなんとかなると踏んでスタートしたわけです。なおかつ、それでスピードが足らなければ共訳にするなり方法を考えましょうという安全策も講じてありました(なにがなんでもスピードをあげるではなく、あくまで結果としてのスピードで進めるということです)。
それでも、総体的なスピードを落とせないという焦りや次の疲れによるものなど、ミスや微妙な品質の低下がないとは言い切れません。
●疲れによる品質低下
心配もしており、かつ、正直なところ、絶対に影響が出ているはずだと思うのが、「疲れによる品質低下」です。翻訳の場合、まず、原文の意味やイメージを把握します。そのあと、それをぴったりな日本語で表現するわけですが、その際、(同意語辞典などの助けも借りながら)連想ゲームのようなことを頭のなかでやり、いろいろなバリエーションの中からこれがいいと思うものを選びます。疲れがたまれば頭の働きは落ちるはずで(落ちたかどうかを判断する能力も落ちるので、本人は頭の働きが落ちた感覚がなかったりしますが)、頭の働きが落ちれば連想ゲームで思いつく範囲が狭くなったりします。あと一歩広がればいい表現に思いついたかもしれないのに、そこに到達できずに終わってしまうわけです。この影響は、あったはずです。意識はしていませんが(というか、意識しようにもできないことなわけですが)。
もちろん、「疲れによる品質低下」があるはずだと思う分、連想ゲームで「こんなものか」と思ったところから、もう一歩、先にゆこうと意識しつつ作業を進めています。そうすることで少しでも影響を小さくおさえようとしたわけです。それでも、着想なんかと一緒で思いつけば簡単なことが思いつかないときは時間をかけても思いつかないわけで、多少の影響は出ているはずだと思います。
この連想ゲームをやらず、最初に思いついた訳語ですませる、英和辞書に出ていた訳語ですませるといったことをすればスピードは格段にあがります。狭い範囲の読者を対象とする産業翻訳ではこの範囲で作業できてしまうケースもありますが(手慣れているものならそれで十分な質に仕上がる)、幅広い読者を対象とする今回のような案件でそれをするのは完全な手抜きになります。一般向け書籍における「ノーマルな速度範囲を逸脱するほど速くすると手抜きになって品質が落ちる」なわけで。
あと、確実に影響ありなのが、仕上げの仕上げです。これで仕上がったと思ったところから、再度、全体を通して読み直し、細かいところをちょこちょこ修正するという作業をいつもするのですが、今回、その時間は取れませんでした。木工で言えば、全体を組み上げ、組み合わせた部分のでこぼこなどはなくして仕上げたけど、最後の最後、目の細かい紙やすりで微妙に気になるところを少しずつ削って仕上げるところまではできていないというのが正直なところです。ぱっと見、違いはわからないけど、ところどころ手触りが微妙に違うみたいな質の違いはあるはずだと思っています。
●仕上げの仕上げ
仕上げの仕上げというイメージの作業は、ふつう、出版社さんに訳稿を出す前に1回、2校ゲラで1回、やります。ざっと翻訳したあと、1回目の見直しはそれなりに直しますし、初稿ゲラもそれなりに直します。そうやって手を入れると前後あちこちとの関係が狂ったりするので、きれいな原稿になった時点で仕上げの仕上げをするわけです(目をあちこちに飛ばして赤を追っていると細かい流れがつかめません)。
しかし今回は、上巻分を先に出してしまったので訳稿を出す前の分は不十分にしかできていませんし、2校ゲラは後述の出版時期4週間繰り上げでなくなったので、まったくできなくなりました。ただ、仕上げの仕上げまでやるなら刊行が3カ月は遅れたはずです。後工程との時間の取り合いができなくなる分で1カ月、実作業で1カ月、期間が長引く分、体力の限界を超えないようにペースダウンする分で1カ月というところでしょう。もちろん、版権の関係などからも同時刊行は崩せない線だと言われていたので、刊行を3カ月遅らせるという選択肢はなかったわけですが。
●見直し回数の減少などによる単純ミスの見逃し
そのほか、心配なのが単純ミスですね。
赤字を入力する際にミスが出ていないかも心配ですし、誤字・脱字の見落としも心配です。人間というのはミスをする生き物なので、私が訳文を入力するときも、また、ゲラにいれた赤を出版社さんのほうで入力するときにも単純ミスの可能性があります。特に初稿は、編集さんをはじめ、自分以外の人が読んでわかりにくいと思った箇所を修正するなど、かなり多くの赤を入れることになります。前後入れ替えに言葉を削ったり付け加えたり……ごちゃごちゃになることもあります。ここで入力ミスがあってもふつうなら2校ゲラで修正できるのですが、今回は最後の出版時期4週間繰り上げで2校ゲラがなくなり、その確認ができませんでした(2校ゲラがないことを前提に、ミス防止として、書いてるうちにごちゃごちゃになったりした部分は、欄外に全体を書きなおして赤字とするなど、できる対策はしました)。ごくふつうに流れた案件でさえ、あとあと、「あっ……」と思う誤字・脱字が残っていることがあります。誤字・脱字をみつけるプロでもある校正さんも含めて複数の人がくり返しチェックしても、見落とすときは見落とすのです。そして、見直しの回数が減れば、その分、見落としの可能性は高くなるのが道理です。
あと、それこそ、最初に原文を読みまちがってしまったなんてケースも回数が少なくなるほど、急ぐほど、残りやすくなります。日本人が日本語の本を読んでも誤読というのはふつうにあります。プロ翻訳者は誤読が少ないのが当たり前ですが、あくまで少ないであって誤読をしないわけではありません(人間ですからミスは必ずあります)。ただ、そういうところは流れがおかしくなっていたりして、あとから落ちついて読み、前後関係などを考えてゆくと読みまちがいに気づくことが多いものです。今回はいつもよりも読み直しの回数も少なければそこにかけられる時間も短かったので、そういうミスが残っていないかちょっと心配です。
●表記
ふつうなら、かなと漢字のどちらで表記するのか、カタカナ語の書き方など、いわゆる表記も対象となる読者層に合わせて調整します。しかし今回は、いわゆる「講談社ルール」で統一されています。時間があるふつうの場合は、出版社のルールと異なる部分については相談しながら決めてゆくのですが、今回、もともと時間不足で難しかったのが最後の発行時期4週間前倒しでそういう相談をしている時間が文字通りなくなり、講談社の編集さんや校正さんが慣れている表記で統一するパターンになったわけです。
たとえばどういう影響があるかと言えば、わかりやすい例として「コンピューター」と「コンピュータ」があります。カタカナ語の末尾音引きを発音に合わせてつけるか省略するか、です。これ、一般には、「コンピューター」と入れておくのがふつうです。カタカナは表音文字ですから、日本語での発音に近くするのが当たり前ですから、しかし、過去、コンピューターの世界では省略されてきたため(コンピューターメモリを少しでも節約しようという涙ぐましい努力が発端だと言われている)IT系、特に技術関連では「コンピュータ」省略がふつうです。
なお、最近、このあたりの表記について一番の影響力をほこるマイクロソフト社が表記の原則を変更し、「末尾音引きは省略しない」としたので、今後数年をかけてIT系にも「コンピューター」が浸透してゆくものと思われます。
というわけで、寿命が短いIT系バリバリの文書は「コンピュータ」でもいいのですが、ある程度長く読まれるもの、あるいは、一般向けのものは「コンピューター」としておくべきだと私は考えています。今回は当然に一般向けですし、もしかすればそれなりに長い期間読まれる可能性もあるので、「コンピューター」としておいたのですが、講談社さんの原則は「コンピュータ」だったので、書籍では「コンピュータ」になっています。
「アップルコンピュータ」は固有名詞なのでアップル社が使っている表記に従うべきで、ほかを「コンピューター」としていても「アップルコンピュータ」と末尾音引きがない形にするべきです。
また、ふだんあまり本を読まない人が読むことも考え、漢字は開き気味にしていた(漢字ではなくかなにで書くを増やしていた)のですが、これも、基本的に、こういうハードカバーで一般的な表記になっています(漢字が増えた)。
今回、講談社さんに提出した訳稿は少し開きすぎくらい開いてありました。最後にやりすぎた部分を調整で閉じる(かな→漢字にする)つもりだったのです。でも結局、そういう細かな調整をしている時間はありませんでした。
ただ、しゃべりの部分(カギ括弧に入っている部分)だけは極力触らないでくださいとお願いしておきました。ここは初稿の段階で「私」と「わたし」、「僕」と「ぼく」など不統一で……というお話があったので、「人によってわざとわけてあるのでいじらないで欲しい」と伝え、そのつながりから、カギ括弧内はあまり表記をいじらないという話につながったので。
このあたり、今回の進行では、私のゲラ読みと平行して校正さんのチェックがあり、その後、校正チェックを参照しつつ編集さんが手を入れるという形だったので、表記について「ここは考えがあってやっているので元のママで」などと意見を出せるタイミングがなく、基本、講談社さんルールが適用されています。
●まとめ
というわけで、質への影響がなかったとは言えませんが、その影響を小さいレベルにおさえこむことはできたはずだと思っています。横軸に時間、縦軸に品質をとってグラフを書くと、最後はいわゆる漸近線みたいにわずかずつしかあがらず、時間がかかる割に品質の向上はごくわずかとなります。今回は、世界同時発売を実現するため、この最後の部分をカットするとともに、それによる悪影響を少しでもおさえようという工夫はできるだけした。そういう感じなわけです。
翻訳やそれこそ執筆においても、完璧ということは、正直、あり得ません。人間がやる以上、なにがしかのミスが発生します。あとは、そのミスをいかに少なくおさえ、少しでもいいものに仕上げるかが我々に課せられた課題なのだと思います。
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