« 山岡洋一さんのお通夜・告別式 | トップページ | 翻訳スタイルの修正に応じるか否か »

2011年9月 3日 (土)

翻訳者は新しい表現を作ってはならない

「翻訳 ブログ」の「翻訳会社キーワードの挑戦」に「翻訳者は翻訳をしてはいけない」とありました。

ではどうやって翻訳するかというと、日本語の原文のキーワードをもとにして徹底的に公開されている英語の文書を調べ上げ、正しい訳文をコピペ、コピペ。なぜ僕が翻訳しないかというと、僕は単なる翻訳者なのでどの専門分野についてもずぶの素人、英語で各国の教育を受けた各専門分野の技術者、専門家が書いた英文の方が僕の書く素人の英語より正しいに決まっているからです。

言いたいことはわからないでもないですが……ソコが翻訳なの?と思わず突っこんでしまいました。

過去、このブログでも何度か書いていますが、翻訳というのは、下記3つのバランスをとることが大事であり、そのためにはこの3段階をぐるぐると循環するようにくり返す必要があります。

  • 内容を追って読む作業
  • 原文と訳文の過不足等をチェックしつつ読む作業
  • 訳文を訳文だけで読んだ場合の文章としての完成度をチェックする作業

「翻訳者は翻訳をしてはいけない」とされている永江さんが取りあげられているのは、3番目、「訳文完成度」にのみかかわる話でしょう。この作業を忘れる、やらなければならないと知らない、あるいはきちんと身についていない翻訳者が多いという現実はたしかにありますが、翻訳がこの作業だけで成立するわけでもありませんし、まして、この作業が翻訳でもありません。また、この作業「だけ」をいくら追求しても翻訳にはなりません。

●関連記事

Googleを利用した訳語選択のポイント
"or"→『と』
機械翻訳に関する天動説と地動説、そして解釈学的循環

上記ブログ記事を読んで思いだしたのは、数年前に訳したスティーブ・ジョブズの伝記の一節(↓)です。

「普通の人にとって『デザイン』というのは、みてくれのことさ。インテリアだよ。カーテンの布とかソファの材質といったね。でも、僕にとっては、そんなのデザインじゃない。デザインというのは、人工物の基礎となる魂のようなものなんだ。人工物は、製品とかサービスとかを連続的に取り囲む外層という形で自己表現するんだ」
スティーブ・ジョブズ-偶像復活

表現は表面部分であり、そこをおろそかにするわけにはいかないけれど、表面だけをいじってもきちんとしたものにはならない。本質の部分から積み上げてきたとき、おのずと到達する表面というものがあるわけで、それこそが本物というわけです。

翻訳者は翻訳をしなければならない。翻訳をしない翻訳者は翻訳者じゃありません。

ただ、「言いたいことはわからないでもない」と書いたように、永江さんの主張に一理あるのもたしかです。

この記事については、英語ができないと認めた時点でマーケティング的にダメといった意見も見ましたし、いわゆる顧客向けのマーケティングという意味ではそのとおりかもしれないと思いますが、業界的というか翻訳者の立場から読むかぎりは一理あるでしょう。ターゲット言語に自信を持ちつつも、過信をさけて再確認と勉強を怠らないというのがあるべき姿ですから。ただ、キャッチーにしたいあまり、それを「翻訳者は翻訳をしてはいけない」としてしまうのはさすがにどうかと思います。

翻訳者は新しい表現を作ってはならない

私だったらこう表現するかな……

(コメント欄での指摘をうけ、伝記からの引用部分、「デザインの意義をこえるものなんて考えられない」→「そんなのデザインじゃない」に修正しました)

|

« 山岡洋一さんのお通夜・告別式 | トップページ | 翻訳スタイルの修正に応じるか否か »

翻訳-スキルアップ(各論-品質)」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。

『日本語の原文のキーワードをもとにして徹底的に公開されている英語の文書を調べ上げ、正しい訳文をコピペ、コピペ。なぜ僕が翻訳しないかというと、僕は単なる翻訳者なのでどの専門分野についてもずぶの素人、英語で各国の教育を受けた各専門分野の技術者、専門家が書いた英文の方が僕の書く素人の英語より正しいに決まっている』

これを読んで気になったのは次の2点です。

1)日本語の原文のキーワードをもとにして徹底的に公開されている英語の文書を調べ上げ、正しい訳文をコピペ

2)英語で各国の教育を受けた各専門分野の技術者、専門家が書いた英文の方が僕の書く素人の英語より正しいに決まっている


まず1点目について
コピペだけで対応できるとは信じられない。

翻訳メモリーの蓄積が膨大なのか?
筆者の原稿解釈能力が並外れているのか?
超訳的なことをやっているのでは?

次に2点目について
各専門分野の技術者、専門家とはいえ、文章を書く専門家ではないので、その人達が書く文章が素人英語より正しいとは限らない。

日本人専門家が書く日本語にも結構怪しいものは多い(現在、ある業界のアナリストが書いた文書の日英翻訳をしていますが、読解不能の日本語が頻繁に出てきます)。英語ネイティブだからといって英語が上手いとは言えない。

業界を知らない素人でも、ちゃんと商品として売れる英文は書ける。


なお、遅ればせながら、現在、図書館から山岡洋一さんの書かれた「翻訳とは何か(職業としての翻訳)」を借りて、読んでいる最中です。

投稿: takey | 2011年9月 6日 (火) 17時58分

takeyさん、

どちらももっともな疑問ですね。

1については、まあ、「調べて借文する」を強調するあまり誤解を招く文章になっているということではないでしょうか。本当のところはわかりませんけど。

2は、そのとおりですよね。

それぞれの分野の専門家はその分野では専門家と言えるだけのトレーニングを積んでいるわけですが、文章を書くトレーニングをどれだけ積んでいるかはその人次第です。昔、企業研究室にいたとき、後輩が書いた論文を読んで、いったいどこまでが既往の研究でどこからが自分たちの研究成果なのかさえよくわからなくてアレコレ聞いてしまったことさえあります。

とは言いつつ、専門家が書いている「怪しげな言葉」も、これまた、ホントに怪しげでそのギョーカイ人が読んでもよくわからない場合と、業界内のみに通じる言い回しが多くて文法的にさえも狂っているように感じられる場合があるので、どうにもややこしい限りなのですが。

投稿: Buckeye | 2011年9月 8日 (木) 09時18分

> デザインの意義をこえるものなんて考えられない。

否定 + 比較級の典型的な誤訳ですね。

(間違った解釈)
「デザインの意義」から“遠くへ離れられるものはこの世に存在しない”。だからすべてが「デザインの意義」の内にある。

(正しい解釈)
「デザインの意義」からの距離を考えたときに、「than 以下に書かれた内容(書いてないけど)」よりも“遠くへ離れられるものはこの世に存在しない”。なぜなら「than 以下に書かれた内容」は「デザインの意義」からは極限まで離れているからだ。極限まで離れているのだからもうそれ以上離れられるはずがない。すなわち「than 以下に書かれた内容」は「デザインの意義」から最も遠く離れた位置にある。

少し前からおおざっぱに訳せば「(ほとんどの人にとってデザインは飾りでしかないが)わたくしにとってデザインとはそんなものでは全くない」となります。

投稿: 古本一番堂 | 2012年8月31日 (金) 20時46分

古本一番堂さん、

コメントをうけて原文を見直してみましたが、「正しい解釈」と書かれている内容は、おっしゃるとおりでしょう。よくある表現ですし、とうぜん、定番の辞書にも載っている内容なのですが、原文を読んだときになにか思い込んでしまったのでしょう。前の段落からの流れでおかしなほうに行ってしまったのかもしれません。

この文章自体、訳したのはもう7年も前なので、そのとき、なにをどう考えたのかはまったく記憶にありません。ですが、書いた訳文から推測すると、起点を思い違えてしまっているようです。なので、古本一番堂さんが書かれている「典型的な間違った解釈」という形にもなっていません。そう思って読めば古本一番堂さんが書かれた「間違った解釈」のようにも読めるという訳文を書いてしまっているので、そういう意味でも、私側に問題があったということになるのだろうと思いますが。

ところで、古本一番堂さんというのは、昨年、『スティーブ・ジョブズ』に誤訳が多いとアマゾンで指摘をされた方、ご本人なのでしょうか。それとも、別の方なのでしょうか。

いずれにせよ、ご指摘、ありがとうございました。

投稿: Buckeye | 2012年8月31日 (金) 22時16分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 翻訳者は新しい表現を作ってはならない:

« 山岡洋一さんのお通夜・告別式 | トップページ | 翻訳スタイルの修正に応じるか否か »