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2011年9月 8日 (木)

翻訳スタイルの修正に応じるか否か

兼業翻訳者の迂闊な日常」の「手作りの無形商品」というエントリーに、訳文を納品したあと、スタイルの修正を求められたときの話が載っています。いろいろと文句を言う人も多いらしいしその気持ちはわかるが、自分は要望を飲みたい、それがその場合の「よい訳文」だからというような話です。

職人の自負を持って仕事をしているが、だからこそまず要望を飲みたいのだ。

そうですね、私もそう思います。ですから、後工程でこんな風に直したから今後の参考にと原稿が送られてきたり、一部を直したから残りをそういう感じで直して欲しいという話に対して怒ることはありません。

けっこう怒っちゃう人がいるらしいのですが、そのほうが私にとっては驚きだったりします。

「手作りの無形商品」にある「だからこそまず要望を飲みたいのだ」はホント、同感です。語尾が「飲むのだ」ではなく「飲みたいのだ」であるところも含めて。

つまり、飲む場合と飲まない場合があるということです。

私の場合、こだわって訳しているところとどっちでもいいけど決めなきゃ訳文が書けないからこうしておこうとしているところがあります。だから、どちらでもいいと思うようなところを直してくれという場合、ほいほい直してしまいます。極端な話、敬体と常体とか、ね(そんなものは最初から言っておいてくれとは思いますが)。あと、私は自分が書く訳文はかなり幅が広く、論文のがちがちな文体からマーケティング資料や広告コピー、あるいはしゃべり原稿などのやわらかいものまで対応しています。そういうこともあり、スタイルという意味ではかなり幅広く修正に応じますし、できる限り、次回からはそのパターンで訳そうとします(クライアントごとにメモを残しています)。

そういう手戻りが発生すると、その案件だけを見るとえらく割の悪い話になったりしますが、お金の話は全体としてどう考えるか次第ですね。いつもそれなりの条件で発注してくれるお客さんなら、いい案件も悪い案件もあるさで流してしまうでしょう。逆に、単発でぎりぎりまで安くしてくれみたいな話だったら追加請求するかもしれません。そういう話は先に出しておいてくれということで。その中間で、条件は悪くない、今後につながりそうという話なら、先行投資として流してしまうでしょうね。

断るのは、というか、いままで断ったことがあるのは、いわゆる直訳調にしてくれと返ってきたときですね。原文が透けるような翻訳にしてほしいと。

そういう訳がいいとは思わないのですが、それでも財布を握っているところがどうしてもそうしてほしいというのなら、それはそれで仕方ないと思います。世の中、そういう仕事もあります。でも、それは私がやる仕事じゃない。原文が透けるようなではなく、一読してわかりやすくするために手間暇かけて訳しているのだし、だからこそ、高い料金を請求するのだし。原文が透けるような翻訳がいいのなら、もっと安くてそういう翻訳を提供してくれる人がいるわけです。そっちに発注してもらえばいいじゃないですか。

というわけで、こういう翻訳だけはしたくないと思うようなパターンだった場合、修正をお断りしています。そのかわり、お金はいりませんから、と。私よりも安い値段でそういう翻訳をする人がいるはずだから、そちらに発注しなおしてください、と。

幸か不幸か、いまのところ、「じゃあ、そういうことで」と言われたことはありません(^^;) 言われていいと思って提示した条件なので、「今回はすみませんでした」でタダでもいいんですけどね。まあ、大本の意向をくみきれず、私に発注をかけてきたところの責任というのもないではないとは思いますが(何回もくり返すのでなければそれはまたそれでしょう。くり返すようなところなら取引を打ち切るだけです)。それでも、こういう訳文でお金をもらうわけにはいかないというレベルなら職人としてこういう対応もアリかなぁと思っています。

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