「~や」
え~、なんというか、翻訳を仕事にしている人間がこういうことを言ってはいけないのではないかという気がしていままで翻訳関係の仲間にもあまり話したことがないのですが……実は、翻訳本、苦手です。それなりに買うのですが、最後まで読めずに放りだすことも珍しくないほどで……
カミングアウトしたのは、先日行われた翻訳フォーラム勉強会のときがはじめてだろうと思います。
どうしてこうなってしまったんでしょう。小学生時代は推理物のルパンやホームズ、ファンタジー系のナルニアあたりをくり返し読んでいたし、中学から高校にかけては、バローズの火星シリーズとか(地底シリーズとかもあったような???)、レンズマンのシリーズとか、必ず買って読んでいました。っていうか、あのころは、日本人作家というと文学全集みたいなものにはいってる人くらいしか知らず、そういう人の本はおもしろくないと、翻訳物のSFを中心に読んでいた記憶があります。
その後、いつどうなったのかはわからないのですが、少なくとも、ここ20年ほどは、翻訳物を読むのがかなりつらくなってしまいました。
例外として強烈に記憶しているのが『さゆり』(↓)です。
まあ、「翻訳書は読みにくいもの」にも書いたように、どこをどうがんばっても翻訳書は読みにくくなる宿命にあります。でも、その部分は我慢できる範囲なわけです(全体的な話の流れや、実例が日本のモノでないといった点が気にならないのでなければ、こんな仕事、やっていられません)。それなのに翻訳書が読めないというのは、翻訳中に吸収すべき違い、論理展開の違いが吸収できていない翻訳が多いのではないか、つまり、原文に引きずられた訳文になっているケースが多いのではないかと思うわけです。少なくとも、翻訳書に慣れていない人たちにとってハードルが高い文体や表現、語彙になっている、翻訳なまりが強い日本語になっているのではないでしょうか。
そんなことをぼんやりと考えながら、先日、翻訳物の小説を読んでいたら、「ああ、この表現、違和感を感じることが多いんだよなぁ」と思いだしたものがあります。「いまや」「もはや」「~するや」など、「~や」というパターンです。
ではというわけで、翻訳物と日本人が書いた物で、このパターンが出てくる頻度をちょっと調べてみました。現代を舞台にしているものを条件にチョイスした結果、(↓)のようになりました。
現代モノに限ったのは、後述するように「~や」に古いイメージを持っていたためです。私のイメージが正しいなら、古い時代の話には出てきて当然というか、出てきたほうがいいのかもしれませんから。
■翻訳書と日本語で書かれた書籍の比較
●翻訳書は訳者4人の5冊(約1700ページ)をチェック
- ミステリー3冊
- ノンフィクション(伝記)2冊
●日本人作家の本は作家5人の6冊(約2200ページ)をチェック
- ミステリー2冊
- 日常系小説1冊
- ファンタジー3冊
結果、翻訳書は、どの1冊にも、複数回、「~や」が出てきました。これに対し、日本人が書いた本は、日常系小説に1回出てきただけ。しかも、芝居がかった話し方を特徴とする登場人物の言葉として出てきただけです。ここは、わざとらしくするため、意識的に使われた可能性が高いと思います。
ものすごく狭い範囲しか見ていませんが、ここまで違うと、有意差があると言えるのではないでしょうか。
もちろん、「~や」を使うから悪いと言っているわけではなく、まして、「~や」を使わなければいいという話でもありません。ただ、翻訳方言、翻訳なまりが強い日本語では「~や」という形が出てきやすいのではないかと思うわけです。
■違和感の正体
「~や」から私が感じる違和感は、大げさ、芝居がかっているといったものです。逆に言えば、芝居がかった話し方を特徴とする登場人物の言葉として出てきたケース(日本人作家の本)は、ごく自然というか、この人ならこういう話し方をしそうだと感じました。
なんというか、古い感じがするんですよね。で、古い感じなのにあえて使う→芝居がかっているとなるのだと思います。
じゃあ、本当のところ、「~や」は古い表現なのかそれとも私の感覚がおかしいのか、どちらなのでしょう。それなりにいろいろ当たってみたのですが、このあたりの記述を見つけたのは「日本語 語感の辞典」1冊だけでした。
「もはや」に、「今となっては既にの意で、会話にも文章にも使われる古風な和語」とありました。少なくとも、私だけが例外ということではないようです。
■自分はどうしてきたか
気になったので、自分はどのくらい使ってきたのかを検索してみました。出版社に提出する段階の原稿で、「今や」を使っていたのが3冊(↓)、ありました。
- ウィキノミクス……2回
- セカンドライフ……1回(リンカーンの演説)
- ブログ誕生……1回(聖書の言葉)
ただし、『セカンドライフ』と『ブログ誕生』は、上記のように古風なイメージを出そうとしている部分。それ以外で使ったのはウィキノミクスだけのようです。使ったということだけで見ても3冊/12冊、現代モノに限るという考え方では1冊/12冊なので、翻訳物としては少なめと言えそうな気がします。
■感想
こんな程度の調べ方では何か結論なんて出せるはずもなく、あくまで感想程度のことしか書けないのですが……やはり、翻訳方言ってかなりあるんじゃないのかなと思います。
で、これが「ある」として、その影響を小さくするためにはどうしたらいいんでしょうね……困ったことに、具体的な対策が浮かびません。
もう一点。今回見たのは語彙レベルの翻訳方言なわけですが、おそらくは、内容を展開する仕方、文章の流し方といったレベルにもっと強烈な翻訳方言があり、それが、私が翻訳物を読めない理由なんじゃないかと思っていたりします。
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