« 驚異のイノベーション―訳者献本分到着 | トップページ | カタカナ正規化ツールのデモ »

2011年6月29日 (水)

翻訳は何から学ぶべきか

プロになるまでは、翻訳学校など、勉強する場というか、教えてもらえる場がいろいろと用意されています。翻訳の仕方、こういう文はこういう風に訳すといったことが解説された本もたくさんあります。また、翻訳出版された書籍を使い、原著と訳本を見比べて勉強するという方法もあります。

いずれも有効な方法だと思います。同時に、上記の方法でゆけるのは途中までだとも。

先日来、とりあげてきた「翻訳方言」の問題があるのであれば、上記の方法で学べるのはすべて「翻訳方言」だからです。

もちろん、人によってなまりの強さは異なるわけで、翻訳なまりの弱い人を選んで学ぶことは可能なわけです。ただ、翻訳をずっとしている人が翻訳方言ゼロの境地に達するのは無理だろうと思います。たとえば私は、翻訳方言がかなり前から気になっていてなんとか減らしたいといろいろ努力をしてきたつもりなのですが、それでも、きっと、気づかないうちに使っている翻訳方言がたくさんあるはずです。昔、「しまう」という意味で「直す」を使うのは西側の方言だとしらずに使っていたように。

私はもともと九州の出身で、両親の言葉は久留米弁です。ただ、小学校にあがるときから関東で、栃木に10年、東京に30年も暮らしています。そのためふだん使う言葉はいわゆる標準語であり、言葉から出身が関東ではないとわかることはほとんどないようです(名字、「井口」の読みが「イノクチ」なのは、西の出身であることを示していますが)。でも、大学生時代、下宿に遊びに来た友だちに「それ、直しといて」と頼んで「壊れてるの?」と不思議な顔をされてしまいました。九州弁で「直す」は「もとあった場所に戻す」の意味があるのですが、標準語にも「直す」があるし意味範囲もほぼ同じであったため、これが方言だとは気づかずにいたのです。

翻訳に慣れた読者・慣れていない読者」で、「翻訳ミステリー大賞シンジケート」の「第八だらだら(続・訳注という地雷)」から(↓)を紹介しましたが……

「早川や創元の読者だと翻訳を読み慣れているからこういう書き方でも理解してもらえるでしょうが、文春の読者だと、生まれてはじめて手にとった翻訳小説がこの本だという場合があります。そういう読者にも違和感なく受け入れてもらえるような文章を望んでいるんです」

そのあとに続く、(↓)の部分も大事だと思うのです。

わたしは目からウロコが落ちた思いがした。中学生の頃から早川創元の小説を山ほど読んで、その後の経験もあってすっかり翻訳小説人間になっていたわたしは、自分の世界を鉄槌一振りでぶち壊されたような気がした。本の虫だったわたしの青春時代はなんだったんだろうね?

このとき鎌田三平さんは、翻訳出版された書籍を使って翻訳の勉強をそれまでしてきて、その結果、翻訳方言使いになっていると突きつけられたのだと表現することもできるでしょう。

結局、ある程度のレベルまでは他人の翻訳から学ぶべきだけれど、ある程度から先は、だんだん、翻訳からではなく、ターゲット言語で書かれた文章から学ぶようにしなければならない-そういうことなのではないでしょうか。

なお、学ぶ対象は、別に小説にかぎりません。ノンフィクションものや広告コピーなどはマーケティング資料の翻訳にいろいろと役に立ちます。マニュアルだって、テクニカルライターが書き起こしたものがいろいろと参考になるはずです。そういうものをたくさん読んで、表現の仕方が翻訳物とどう違うのかを探してゆくわけです。

|

« 驚異のイノベーション―訳者献本分到着 | トップページ | カタカナ正規化ツールのデモ »

翻訳-スキルアップ(総論)」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。

中学生の頃、翻訳物(コナンドイル、エラリークイーン等々)を読んでいましたが、その頃、翻訳物という意識を全く持たなかったですね。大学の専門課程(経済学)で翻訳物を読んだ時には、違和感を覚えましたが・・。


ところで、井口さんは福岡の南ですか。私は、北です(鉄鋼の街)。「なおす」は、「直す」ではなく、「納す」ですよね。大学卒業まで九州で、その後は広島、東京、香港、大阪と移動しています(大阪での生活が15年ほど)。でも、1ヶ月ほど前に、帰省した際、即、北九州の言葉が出てきました。


投稿: takey | 2011年6月29日 (水) 10時09分

中学のころはわたしも翻訳物とかそうじゃないとか、意識せずに読んでいました。それが何を意味するのかは、いろいろあり得るかなぁと思います。

「なおす」は「納す」なんですか。わたしにとって九州弁というのは音だけで文字がないもので(^^;) なにせ本格的に使っていたのは6歳までで、そこから先は親との会話に多少、登場する程度ですから。その程度の習得だと、九州に帰ってもまともな九州弁(久留米弁)が出てくるはずもなく。単語もイントネーションも中途半端にしか出てきません。

生まれは飯塚あたりらしいのですが、その後、瀬高から大牟田のほうに移動しているので、今もわたしの中に残っている福岡県は南のほうになるはずだと思います。

投稿: Buckeye | 2011年6月29日 (水) 10時54分

「なおす」は、意味から(元の場所に収納)考えると「納す」かなと思っただけで、「直す」が正しいのかもしれません。

投稿: takey | 2011年6月29日 (水) 11時22分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111098/52073104

この記事へのトラックバック一覧です: 翻訳は何から学ぶべきか:

« 驚異のイノベーション―訳者献本分到着 | トップページ | カタカナ正規化ツールのデモ »