原著者が日本語を知っていたらどう書くか
先日のエントリー、「『越前敏弥の日本人なら必ず悪訳する英文』刊行記念講演会」でも取り上げましたが、「原著者が日本語を知っていたら書くはずの日本語にする」という基本方針のもと「表現に対する原著者の工夫をどこまで織りこむか」というのは悩ましい問題です。
このブログに書いたエントリー関連でも、古くは、2005年に書いた「『スティーブ・ジョブズ-偶像復活』」のコメント欄における"Two years later, CG closed its doors."の話とか、最近では、昨年の2010年夏にいろいろと検討した「『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』-誤訳の指摘」の"Apple Unleashes Leopard Operating System"などがあります。
原著者がある表現を使った背景にはそれなりの理由があるはずです。逆に言えばそれ以外の表現を使わなかった、使いたくなかった理由があるはずなのです。もちろん、なんとなく書いただけってこともあるわけですが。
ともかく、工夫については、工夫の「意図」が翻訳の読者にも通じるようにすべき、そうしたほうがいいのは明らかでしょう。でも、原文における工夫の意図を伝えようとすると普通の表現ではなくなり、「わかりにくい」「日本語が不自然」「翻訳がおかしい」という感想を持つ人が出てきがちです。説明っぽくなりがちなのも問題です。ある意味、ノイズとして、読者の足を引っ張ってしまうのです。
この問題は、ここ数年、ずっと頭の片隅に引っかかっていて、折々検討してみたり、訳文の中で実験して様子をみたりしているのですが、自分の中でどうにも折り合いがつかず、困っています。
というわけで、『越前敏弥の日本人なら必ず悪訳する英文』に出てきた"While a cat is away, mice will play"をネタに、何をどう考えたらいいのか、改めて検討を加えてみたいと思います。
念のため申し添えておきますと、『越前敏弥の日本人なら必ず悪訳する英文』の内容をあげつらおうという話ではありません。あの本は翻訳初心者が対象読者の中心であり、そういう人に向けて方向性を示すという意味において、あの記述はそのままでアリだろうと思います。ここで行うのは、あくまで、あの話をきっかけとして、いろいろ掘り下げてみようというものです。
この件については、先日のエントリー、「『越前敏弥の日本人なら必ず悪訳する英文』刊行記念講演会」に書いたように、越前さんとお話をしています。その中で、そっかーと思ったのが、「日本人の作家なら作家で、『鬼の居ぬ間に洗濯』なんていう手垢にまみれた表現ではなく、もっと別の表現を使うだろう」というお話です。
と言っても、「ああ、だから、もっと表現を工夫すべきなんだ」と思ったわけではありません。私は守備範囲に文芸がはいっていないからなのかもしれませんが、手垢にまみれた表現を使うことが悪だとは思っていないからです。それどころか、ある意味、手垢にまみれた表現を使うべきときも多いはずです。もちろん、そういう表現を避けるべきときも多いはずですが。
この場合、分かれ目は、「原文が手垢にまみれているか否か」でしょうか。
「手垢にまみれている」というの主観的な基準を少しでも客観的に処理するため、"While a cat is away, mice will play"と「鬼の居ぬ間に洗濯」がどのくらい広く使われているか、その広がり具合が大きく異なるのかを検討することにしましょう。
■"While a cat is away, mice will play"と「鬼の居ぬ間に洗濯」の使用状況比較
日本語については、表記の揺れを考慮して何通りかグーグル検索してみました。カッコ内は、「最も的確な結果を表示するために、上のxx件と似たページは除外されています」で表示される数字です。
「"鬼の居ぬ間に洗濯"」 19万(463)
「"鬼のいぬ間に洗濯"」 5万(293)
「"鬼のいぬまに洗濯"」 2万(132)
-------------------------------------
合計 26万(888)
「"鬼の居ぬ間に"」 16万(702)
「"鬼のいぬ間に"」 52万(478)
「"鬼のいぬまに"」 22万(464)
-------------------------------------
合計 90万(1644)
英語のほうは、「"While a cat is away, mice will play"」からスタートして、類似表現としてよくあるらしきものがはいるように検索ワードを調整していったところ、(↓)のようなヒット数となりました。
「"(While|when) (a|the) cat is away, the (mice|rats) will play"」 155万(544)
「"(While|when) (a|the) cat's away, the (mice|rats) will play"」 23万(555)
-------------------------------------
合計 178万(1099)
後半をカットすると……
「"(While|when) (a|the) cat is away"」 160万(567)
「"(While|when) (a|the) cat's away"」 74万(621)
-------------------------------------
合計 234万(1188)
通常のヒット数比較では、英語が日本語の数倍(3~8倍程度)という規模のようです。ウェブ上における英語と日本語のサイト数、テキスト量とか、英語についてはネイティブではない人も多いことをどう考えるかとか、いろいろと難しい問題がありますが、少なくとも、「鬼の居ぬ間に洗濯」を使うべきではないとまで言えるほどの差はないように思います。
それにしても……「最も的確な結果を表示するために、上のxx件と似たページは除外されています」で表示される件数はどういうものなのでしょうか。「検索結果をすべて表示するには、ここから再検索してください。」をクリックすると、また、異なるヒット数が表示されますし。たとえば「"(While|when) (a|the) cat's away"」では、最初のヒットが上記の74万。それが「最も的確な結果を表示するために、上の621件と似たページは除外されています」となり、「検索結果をすべて表示するには、ここから再検索してください。」をクリックすると180万。インターネットを表現辞典として使うという観点からは困った事態です……。
■その他、考慮すべきポイント
この表現だけを取り上げるなら、上記のように、結果として、「鬼の居ぬ間に洗濯」でいいんじゃないかなと思います。ただ、文脈によってはよくないケースもあるでしょう。いなくなる人がネコと絡んでいる、遊ぶほうがネズミと絡んでいる。遊ぶ内容がネズミ的なナニゴトかであるなど、いろいろと考えられるでしょう。
たとえば、いつもダンナがなにかしでかしては奥さんに怒られていて、それがネズミとネコにたとえられてたりとか。そういう場合なら、「猫がいなけりゃ、ネズミは遊ぶ」のほうがいいのかもしれません。
■「日本人の作家なら作家で、『鬼の居ぬ間に洗濯』なんていう手垢にまみれた表現ではなく、もっと別の表現を使うだろう」について
というわけで、"While a cat is away, mice will play"については基本的に「鬼の居ぬ間に洗濯」でいいんじゃないかと思うわけですが、それはそれとして、一般論として「日本人の作家なら作家で、『鬼の居ぬ間に洗濯』なんていう手垢にまみれた表現ではなく、もっと別の表現を使うだろう」という問題が存在します。
実は、私は今まで、上記のような考え方をしていませんでした。「原文側の言語ではこういう言い方が一般的→それに相当する表現を訳文側の言語で探す・考える」が基本で、新たな表現を生みだす作家さんならどうするか、まで踏み込んでいなかったわけです。表現方法で勝負する文芸分野の人との違いと言ってもいいのかもしれません。産業系はほとんどが中身の勝負、ノンフィクションの出版翻訳も中身の勝負という色合いが強いですから。
「『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』-誤訳の指摘」における"Apple Unleashes Leopard Operating System"のときにやったことが上記とほぼ同じことだとは言えるのですが、「作家レベルの日本人がどう表現するか」という意識はなかったですし、その意識を持つか持たないかで結果が大きく変わるケースというのもあるはずだと思います。
では、「日本人の作家ならどう表現するか」と考えるとどうなるのでしょうか。
本当のところどうなのかは、これから時間をかけて考えなければならないと思うのですが、今、ぱっと思いつく範囲では、"While a cat is away, mice will play"というせりふが出てくる場面で「猫がいなけりゃ、ネズミは遊ぶ」と書くことはあまりないのではないかと思います。
とは言っても、前述のように、その表現がほかと引っかけてあったら?
ネコとネズミでなければならない話に引っかけてあったら、日本人の作家でも「猫がいなけりゃ、ネズミは遊ぶ」と書くかもしれません。でも、ダンナがなにかしでかしては奥さんに怒られる様子をネコとネズミにたとえているなんてケースなら、このせりふで「鬼の居ぬ間に洗濯」と言わせるため、たとえの部分で奥さんを「これが鬼嫁でおっかないんだわ~。なんかするたび、怒られてるよ」みたいに表現しておくなんてパターンもアリかもしれません。
とにかく、この、「日本人の作家ならどう表現するか」という問題は意識して考えはじめたばかりなので、今後、どういう方向になるのか自分でもまったくわかりませんが……でも、もし、この方向を突き詰めるなら、原文側の言語における表現の工夫を字面的になぞって訳文を組み立てるという形にはならないのではないかと思います。
では、原文の表現が持つおもしろみや味わいを伝えるのは基本的にあきらめるのか、あきらめた方がいいのか……やっぱり、どう転んでも悩ましいですね。わかったつもりでいた時期もあるのですが(^^;)
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コメント
このあたり、一緒に出た昨年秋の勉強会でK先生も似たことをおっしゃっていませんでしたか。慣用表現の訳し方……というかたちで。
あと、産業系には産業系のノウハウがあるわけですが、そこでの、「ある意味、手垢にまみれた表現を使うべき」というのって、日本語で書いている場合にススっと出てくる表現を使うべき……ということですから、同じことなのではないかと思いました。「こういう言い方はしないよね」というのは使わない……というはなしですよね? ちがうのかな?
投稿: Sakino | 2011年5月 8日 (日) 06時08分
> 「こういう言い方はしないよね」というのは使わない……
> というはなしですよね?
基本はそうだと思うのですが、その範囲に収まりきれない場合、その範囲に収めてしまうと何かが失われてしまう場合っていうのがあるんじゃないかと思うんですよ。そのとき、何を基準にどう考えるべきなんだろうというのが、このエントリーをふらふら書いたとき、私の根底にあった疑問です。
翻訳の世界でよく言われる「原文の表現が持つおもしろみや味わいを伝えるべき」というのは、そういう場合の対処方法としてなんだと思います。これって、「普通、日本語でこういう言い方はしないよね」という表現を使わないという縛りで失われるものを伝える、そのような場合は、英語の言い回しを日本語にもってくるべき、ということなんじゃないかと。
でも、それがはたしていいことなのかなぁ、実は、読者の足を引っ張っているケースが少なくないんじゃないかなぁと、そう思ったりもするんですよ。でも、それなら、失われてしまうモノは切り捨てるのか、それとも、ごちゃごちゃと言葉を追加して解説するのか……。どういうケースでどの道を取るのか、その切り分けはどうしたらいいんだろうかと。
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> このあたり、一緒に出た昨年秋の勉強会でK先生も
> 似たことをおっしゃっていませんでしたか。
> 慣用表現の訳し方……というかたちで。
(↓)のときの話ですよね。
http://buckeye.way-nifty.com/translator/2010/10/post-ae07.html
ええ、言われてましたよね。このあたり、文芸系ではよく言われることなのか、越前さんも『越前敏弥の日本人なら必ず悪訳する英文』で取り上げられてました。
で、あのときは、それまでの自分をふり返り、もう少し注意すべきだなと思ったのですが、そのあと、折々考えてみた結果、和臭がする表現が使える範囲、使ったほうがいい範囲って、こういう方々から話を聞いたときに受ける印象よりも広いんじゃないかなと思うようになりました。
こちらもまだまだ結論が出たと言えるレベルじゃありませんけど。
投稿: Buckeye | 2011年5月 8日 (日) 07時51分
<和臭がする表現が使える範囲、使ったほうがいい範囲って、こういう方々から話を聞いたときに受ける印象よりも広いんじゃないかなと思うようになりました。
ひらたくいって「ダサイ」ことへの寛容度のちがい、ということではないのかな、と。
実用書で「鬼のいぬ間の洗濯」がフルで出てきても、ナントカなるかもしれませんが、ふだん自分が書く文章ということで考えてみると、「鬼のいぬ間の洗濯」というフルでの使用はカンベンしてくれという感じで、せいぜいが「「鬼のいぬ間」と申しますが」といった、ちょっとちゃかした調子がマックスのような気がしますし、文芸系ともなれば、「和臭」というかたちで言われていますが、たんじゅんに、「だっせー」であるような気がします。
文芸系でも、慣用句はバンバン使われていて(というか、小説に慣用句は山ほど出てくる^^;)わけで、強調点は「手垢」の方だと思うんですよ。イキのいい慣用句ならオッケーなのではないかと。ただ、その選択範囲が、ことばで勝負している分だけ、他分野より狭いのかもしれません。なので、英和辞典に出てくるようなのはダメ、とか、和臭はダメとかいったかたちで翻訳教育の筆頭のダメダメ集に入ってきてしまう。
投稿: Sakino | 2011年5月 8日 (日) 10時36分
ああ、そういうことなのかもしれませんね。べからず集って、とりあえずの形は整うけど、それを追求しても読ませる文章にはならないと思うんですが……まあでも、そこから先は各人がなんとかせいってことなんでしょう。
ちなみに、「鬼の居ぬ間」、本の中で例に挙げられているのは、「ある中年男が仲間に向かって、妻が長期旅行中だと告げ、それにつづいて言ったことば」だそうです。それに対する選択肢として「鬼の居ぬ間に洗濯だよ」と「猫がいなけりゃ、ネズミは遊ぶ」を挙げて選んでもらったところ、だいたい8割から9割が「鬼の居ぬ間に洗濯だよ」を選ぶけど「猫がいなけりゃ、ネズミは遊ぶ」のほうがいいと話が続きます。
個人的には、私も「洗濯」までいれるのはちょっとで、上記のようなケースなら、「鬼のいぬ間に、ね」みたいな形にしてしまいそうではあります。
投稿: Buckeye | 2011年5月 8日 (日) 12時12分
《べからず集》の奥にあるものを、分野横断的な《こういうふうにしようよ》という《知恵》として整理しなおすのって、私たちのジェネレーションのお仕事かもしれませんよ。
投稿: Sakino | 2011年5月 8日 (日) 16時47分
"play"を「調子に乗る」とか「野放しになる」
とか「増え放題になる」のように言い換えてみるのはどうですかね?
いやーでもやっぱり伝わりにくいかなー
"While a cat is away"の部分を
「天敵がいなくなると…」のように言い換えてみるのも…
原文から離れすぎてしまうかなー
投稿: mnchrm | 2012年4月 8日 (日) 09時36分
mnchrmさん、
そんな感じでいろいろと考えてみることが大事なんだと思います。catを天敵と訳すのも、miceの訳し方次第ではアリかもしれません。最終的には文脈との関係や読者との関係などから決断、でしょう。
投稿: Buckeye | 2012年4月10日 (火) 09時32分