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2011年1月 4日 (火)

ユーザーから見た翻訳品質の過剰・不足と価格

IT翻訳者Blog」に「『あなたは太っています』のどこが悪いのか?」という記事が12月半ばにアップされていました。

西野さんは、かつて、「翻訳の過剰品質と質素イノベーション」において、ユーザーの視点から品質の過不足を判断すべきだとされました。「『あなたは太っています』のどこが悪いのか?」も、同じくユーザーの視点から判断し、翻訳の品質が不足だったとされています。

ユーザーの視点からというか、その結果ユーザーがどういう行動を起こすか(十分な数のユーザーが得られるか否か)という意味で、翻訳の品質が過剰か適正か不足かがわかるという西野さんの話は正しいと言えるでしょう。

しかし、以下の部分は、理想論としては正しいけれども現実論としてはまちがっていると思います。少なくとも翻訳者にとってはまちがいです。

つまり「翻訳の質素イノベーション」とは、翻訳者から見れば必要な品質であったとしても、ユーザーの視点から不要と判断されるなら過剰品質と判断して省略し、その分価格を下げて提供することです。

■ユーザーの視点が考慮できれば上級者

翻訳者にとって現実論としてはまちがいとなる理由は、「ユーザーの視点をきちんと考慮できる翻訳者は(残念ながら)上級者(だけ)で、アウトプットの品質が相対的に高い」からです。

上級者が訳せば、ざざっと訳しても駆け出しや中堅よりもずっといい訳文ができてしまいます。サンシャイン牧場の例で「過剰品質」レベルの訳文がどうしてもできてしまうのです。その上級者に、「適性品質」まで翻訳の品質をわざわざ落とすという手間暇をかけ、安く売れと? なぜ、そんなことをしなければならないのでしょうか。同じ安く売るなら、手間暇はなるべく省きたいはずなのに。

そういう仕事は駆け出しクラスの研鑽用に使うのが一番なのですが、駆け出しクラスでは、ユーザーの視点を判断するもしないもなく、サンシャイン牧場の「適性品質」、Androidアプリの「不足品質」レベルしかアウトプットできません。

結局、翻訳者レベルで調整はできないということです。

逆に言えば、翻訳者に発注する人には調整のチャンスがあります。適性品質を出せるレベルの翻訳者を選んで発注すればいいわけですから。

■ユーザーの視点は結果論

実は、もっと大きな問題があります。西野さんの言われる「ユーザーの視点」は結果論なのです。そう、私の「翻訳が正しいか否かは翻訳後に決まる」と、ある意味、よく似ています。

違いは、西野さんの「翻訳の質素イノベーション」が結果を見てからその原因をどうすべきだ(った)と論じているのに対し、私は、結果がわからない状態で原因を作るのだから大事をとるしかないとしている点です。

もちろん、「こうだろう」という予測のもとに適性品質を得ようとすることはできますし、それは翻訳会社がやろうとしていることでもあるでしょう(正確には、大半が、発注者の懐具合に合わせようとしているだけのはずですが)。

予測が外れれば品質が過剰になったり不足になったりするわけです。このとき、過剰なら問題は発生しませんが(料金については事前に合意しているので問題にならない)、品質が不足すると問題になります。そのとき、翻訳会社なら「翻訳者を変えます」などの対策が打てますが、翻訳者だとどうにもならないでしょう。そのとき、「品質を適正なレベルまで落とし、その分、安く提供したのだから文句を言うな」と胸を張って主張できるのであれば他人がとやかく言うことではないとは思いますが。

■結論

こう考えてくると、翻訳者としては、やはり、「翻訳が正しいか否かは翻訳後に決まる」に書いたような考え方をするしか道はないように私は思います。

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翻訳-業界」カテゴリの記事

コメント

新年早々私のブログを取り上げてくださってありがとうございます。

私のブログ記事の場合、「翻訳者」だけというより、翻訳会社やクライアント企業も含めた「翻訳提供者」という観点からの意見でしょうかね(要するに、エンドユーザー以外すべて)。その辺の説明が抜けていたので、どうも分かりにくかったなと思ってはいます。
ですから Buckeye さんは「翻訳の一回性」のような部分を重んじて「大事をとるしかない」とおっしゃっているのかと感じました。対して、私の記事の場合は「翻訳の品質管理サイクル」が念頭にあって、常に品質とコストのバランスを求めるという点に目を向けています。

「翻訳が正しいか否かは翻訳後に決まる」という考え方には全く賛成です。
しかし「一回性」がそれほど濃くないケースもあります。例えば頻繁にバージョンアップするソフトウェアなんかでは、品質が過剰あるいは不足であると判明した場合、次のサイクルで調整し、品質(とコスト)を最適な状態に近づけられます。無論そのバージョンでは「正しくない翻訳」と言われてしまうわけですが。これはもちろん「翻訳提供者側」全体での話であって、誤訳した個人翻訳者は切られて仕事がなくなる可能性は十分ありますね。

投稿: 西野 | 2011年1月 4日 (火) 18時10分

そういうことだと思います。

前に西野さんが推測されたように、私は、徹底的に個人翻訳者の立場で発信するようにしています。前に西野さんのサイトに書いたように、そのほうが多くの翻訳者に有益な情報が発信できるはずだという想いもありますし、いろいろと手を出した結果、自分としてもこちらに進むのが最善だと考えているからということもあります。

  私は商売っ気がけっこうあるので、翻訳以外の部分にもいろい
  ろと手を出してきた経験がありますし、今も翻訳と違う部分を
  も仕事としてやっていたりします。そうやっていろいろとやっ
  てきた結果、自分のアイデンティティは翻訳者であり、翻訳が
  自分のコアな強みであると認識するに至っています。

そして、翻訳者から見るかぎり、仕事は常に一回性を強く持ちます。案件としては、おっしゃるとおり、一回性があまり強くなく、フィードバックが可能な場合もあるだろうとは思いますが、それでもなお、翻訳者一人ひとりにとっては一回性が強いのです。

立場が異なれば「正しい考え方」も変化します。そして、このあたりが混同されることがけっこう多いとも思っています。情報を発信する側も受信する側も、けっこう混同しているようです。

ご自身が翻訳者でもあり、かつ、翻訳の仲介者でも発注者でもないということを考えると、西野さんの情報発信も翻訳者をミスリードするおそれがあるとも実は思っています。もちろん、情報発信の形を変えろというつもりは毛頭ありませんし、また、将来的にどういう道を進まれるのかによっては、今回のような考察が役に立つこともあるだろうとも思いますけど。

投稿: Buckeye | 2011年1月 4日 (火) 18時37分

はい、ブログなどで情報発信する場合、「対象読者は誰か?」を考えるのは非常に重要ですね。
おっしゃるように、私は必ずしも同業の個人翻訳者のみを対象にしているわけではありません。
その辺りをどうするかというのは、なかなか悩ましいですね。

投稿: 西野 | 2011年1月 4日 (火) 20時14分

まあ、私のようにわかりやすい形に誰もがなるとはかぎりませんし、そうである必要もなければ、そうであるほうがいいとも思いません。翻訳者にとってどうなのかといったあたりについて、たとえば私のようにカウンターバランスを取る人がいればそれはそれでOKなわけですし、逆に言えば、それも、徹底的に翻訳者視点に立つ者のすべきことなのでしょう。

投稿: Buckeye | 2011年1月 4日 (火) 20時40分

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