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2010年12月16日 (木)

翻訳者を料理人になぞらえると……

JTF翻訳祭で翻訳者の進む方向性についていろいろと考えていたからか、ふと、翻訳者を料理人と比べたらどうなるだろうと思いました。以下、「どういう翻訳をしたいか」という観点で翻訳者を料理人になぞらえてみました。あくまで独断と偏見にもとづくステレオタイプなので、あまり真剣にとらないでくださいませ。

  • 高級料亭の板前……文芸翻訳家
  • 地域でうまいと評判の店……品質追求型の産業翻訳者(←私がめざしているのはコレ)
  • 牛丼屋……品質そこそこ、スピード重視型の産業翻訳者(翻訳会社がのどから手がでるほど欲しい人材)
  • ファミレス……IT系翻訳者を中心とする翻訳メモリー使い
  • スーパーの特売弁当……機械翻訳使い

説明が必要だという気はあまりしませんが、以下、一応、ごく簡単に。

■高級料亭の板前……文芸翻訳家

空腹を満たすとか栄養とか、そういう実用性もさることながら、味覚・視覚・嗅覚など、感覚を楽しませることが目的。そのためには材料も吟味するし、手間だってかける。

翻訳も、情報を伝えるとか、そういう実用性より、読んで楽しい、悲しいなど、感情の喚起に重きが置かれる。

■地域でうまいと評判の店……品質追求型の産業翻訳者

日々の食事という必要性の高いものの一環として、どうせ喰うならうまいものって感じか。高級料亭ほどではないが、一手間かけて工夫している。

翻訳は、情報の提供、取引先の説得など、実用性が高いものを取り扱うが、わかればいいではなく、どうせならわかりやすく、あるいは、説得の力が強くなるようにと一工夫している。

■牛丼屋……品質そこそこ、スピード重視型の産業翻訳者

とにかくはやい。値段との見合いで考えればうまい。

■ファミレス……IT系翻訳者を中心とする翻訳メモリー使い

どの店舗にはいっても同じ味という安心感が売り。逆に、店舗ごとの独自性を出すことは禁じられている。

■スーパーの特売弁当……機械翻訳使い

とにかく安い。値段を考えれば悪くない。懐が寂しい庶民の味方。

念のため申し添えておくと、高級料亭の板前がえらくてスーパーの特売弁当を作る人が下というつもりはありません。目的とするところが違うというだけのことです。世の中一般に対する貢献という意味では、たぶん、高級料亭の板前よりスーパーの特売弁当作ってる人のほうが貢献してるはずですしね。

ここはどっちが上とか下とかいう話ではなく、高級料亭の板前をめざすのならスーパーの特売弁当を作ってちゃいけないとか、スーパーの特売弁当を高級料亭の板前気分で作っちゃいけないとか、そういう話です。一つ前の記事、「『機械翻訳時代に翻訳者の生きる道』@20周年記念JTF翻訳祭」ではっきり書くのを忘れたのですが、機械翻訳を使う翻訳と、翻訳メモリーを使う翻訳と、そのどちらも使わない翻訳は、基本的に別な仕事だと思うのです。

(補足の追記@2020年2月)

だから、どれかを選ばなければならないし、選んだらその道にあった姿勢とやり方で仕事をしなければなりません。

あと、先々、別の道に移れるか否かは、どの道を選び、そこをどう歩いたかによって大きく異なります。「とりあえずこちらに行く」という選び方をする場合も、後々、自分が行きたい道につながるのか、乗り換えようと思ったとき、簡単に乗り換えられるのかなどをよく考える必要があるでしょう。

機械翻訳を使う翻訳(最近話題のMTPEを含む)の道は、基本、片道切符で、そこからほかの道に乗り換えるのは難しいと私は思っていますが、それがわかった上でそちらに行くという選択は当然にありますし、そもそもこれからはMTPEの時代になるんだからと考えてそっちに行くという選択も、また、当たり前にあります。自分なら乗り換えたいと思えば簡単にできると思う場合も、そちらに行くという選択は当然にあります。最後のケースは、その考えと私の考え、どちらが正しいか、何年か先、やってみたとき明らかになるでしょう(←私が正しいと言っているわけではありません。私がまちがっている可能性なんて、常にあります)。

いずれにせよ、道を変えるのはいろいろな意味で大変なことであり、やらずにすむならそれが一番だというのはまちがいありません。さらに、変えた先で、変える前以上の成功を収めるのはもっと大変です(MTPEへと舵を切るケースを含む)。だって、ねぇ、そっちでずっとがんばってきた人がたくさんいるわけで、そういう人に追いつき、追い越さなきゃいけないんですから。しかも、学習曲線って、基本的に、蓄積が効くものなんですから。

余談ながら、なにをもって成功というのかも、おそらくは、人の数だけあるものでしょう。お金、やりがい……なんでもいいんじゃないでしょうか。自分が成功だと思うもので。ちなみに、私は、「幸せに感じるか否か」で成功・不成功を分けているつもりです。なので、私の場合は、自分がやりたくないと思うことをたくさんしなければならない仕事は、それだけで不成功確定になってしまいます。お金が思ったほど入ってこないケースは、もっと入ってくるように工夫するとか、入ってくるお金が少なくてもいいように暮らしを変えるとか、それなりに対処する方法がありますけど、ね。

そうだ。私、産業系主体から出版主体には移りましたが、上記分類で別の道に移ったわけではありません。通訳翻訳ジャーナル2019年4月号特別寄稿『道を拓く』ではそう書いてますが、ノンフィクションの出版翻訳も「地域でうまいと評判の店」だと思いますので。出してる料理のラインナップが少し変わった程度でしょう。

(追記ここまで)

もちろん、複数の仕事を上手に渡り歩く例外的な人はいますけどね。

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コメント

料理人への喩え、興味深く読ませていただきました。料理によって求められる能力も役割も違うというのは、その通りだと思います。そしてこうも感じました。高級料亭と特売弁当は相反するものでなく、むしろ補完関係にあるものだと。

世界の人口がこれだけいて、すべての人間を飢えさせないという前提に立つなら、品質より値段を優先した食事が不可欠です。高級なものは食材を作るのにも、料理をするのにも時間と金と手間がかかります。そうした食事を全人類に分け与えるのは物理的に不可能です。ですから高級料理を作ったり食べたりできるのは、特売弁当のお陰だと思うのです。

じゃあみんなが特売弁当だけ食べるようになって高級料亭は潰れるかといったら、そうならないのが面白いところです。人はきっと、最上のものを追求せずにはいられない生き物なのでしょう。だから高級料亭と特売弁当が共存できているのです。

翻訳業界でも、インターネットの普及などによって訳すべき文章が爆発的に増えた今、最上の能力を持った翻訳者が手間暇かけて訳していたのでは間に合わなくなりました。ですから機械翻訳の発達で棲み分けが進むのは、品質を追求したい翻訳者にとっても望ましいことでしょう。自分のやりたい分野に特化できる訳ですから。ただ基本的にどちらかを選ばないといけないというのは、おっしゃるとおりだと思います。

投稿: バックステージ | 2010年12月16日 (木) 23時06分

駆け出し翻訳者の私が目指しているのは、「モスバーガー翻訳者」です。ファーストフードにしてはちょっと高めだけど、案外うまいってかんじで。。。
( ̄ー ̄)ニヤリ

投稿: TK | 2011年1月11日 (火) 13時48分

TKさん、

いいですねぇ。翻訳会社が主力として欲しがるタイプなんじゃないかと思います。

投稿: Buckeye | 2011年1月11日 (火) 14時44分

番外編として、食品偽装っつーのもありそうですね。明確に目標とする人はふつういないはずですが、結果としてそうなっているケースはそれなりにあるんじゃないでしょうか。

どの仕事も、その仕事をするのであれば、最低限、守らなければならないコトがあります。なんだかんだと理由をつけたり言い訳したりしても、その部分が守られていなければ、その仕事は偽装なわけで。

投稿: Buckeye | 2020年2月24日 (月) 16時42分

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