河野一郎さんを迎えての勉強会
昨日、翻訳者仲間の勉強会がありました。年に1回というペースだけれど、互いから学ぼうとプロが集まる会(互学会)です。今回は趣向を変え、文芸翻訳をずっとやってこられた河野一郎さんを講師に迎えて行われました。
ブログを書いているヒマもない状態なのだけれど、欠席するのはあまりにもったいなくて参加。何も書かないのもあまりにもったいないので、ざざっとメモを……
事前に出された課題はAgatha Christieの"Philomel Cottage"とJohn Braineの"The Crying Game"。時間がなくて、当日の朝、ふたつの課題をざっと全訳したほか、複数の既訳がある"Philomel Cottage"については会場に向かう電車でざざっと既訳を眺めるくらいしかできなかったのが残念。
ともかく、2時半から6時半近くまでいろいろなお話を伺いました(5時半までの予定を大きく延長)。
ポイントを何点かメモしておきます。
■辞書は紙を使え
主な語義ではなく、めったに使われない、最後のほうに書かれている語義を探すなら紙のほうが速い。また、人間の目というのは読んでいないところもなんとなく見ているもので、同じ辞書を10年も引き続けているとさまざまな蓄積が生じて大きな違いとなる。
よく使う辞書はランダムハウスとジーニアス大英和。
最後のほうに書かれている語義でも紙のほうが速いというのはちょっとどうかなと正直、思います。
紙は一覧性があり、モニターは一部しか見えないからホントは電子辞書より紙がいいというのは、電子辞書が登場したころから言われていますし、それはそれで本当だと思います。だから、いつもの仕事画面は大きなモニターを使って一覧性をなるべく上げているわけです。今回、会場はみんな小型のノートパソコンで画面が小さいからど使いにくかったりはしますけど。
また、紙の場合、目的のページを開くまでに時間がかかるという問題もあります。今回、河野先生が「引いてみろ」と言われたのは"run"。語義が一番多いと言われているらしいです。逆に言えば、語義がもっと少ないものだと紙の辞書でページを開くころには電子辞書だと語義を全部読み終わっていたりするわけです。
また、よく言う話ですが、無駄に終わる可能性があっても念のために辞書を引くことが大事なわけで、そうなると、引くこと自体に時間と労力がかかるのは足かせとなりがちです。"Alix had graduated in a hard school."の"school"を「学校」とした人が今回の参加者にも既訳にもかなりあったようですが、"in"を見て変だと思ったときに念のため、辞書を引いていればそれなりの訳にはできたはずです。実際、懇親会で「なにか変だとは思ったんだけど……『学校』としてしまった」と話していた人がいました。ちなみに私はここ、「歩んできた道は厳しかった。」としました。
ただし、蓄積うんぬんは……あるでしょうね。
■慣用表現に頼るな
あまりに和風なもの、故事来歴の類、仏教系などの慣用表現は使わないこと。例として、「わしの目の黒いうちは絶対にゆるさん(もともと目が黒くない人もいる)」「最後は畳の上で死にたいものだ(畳、ないから無理)」「人の家に土足で上がり込んできた(それが当たり前)」などが挙げられました。
このあたり、たしかに、「日本の読者にわかりやすく」とだけ考えると、つい、つかってしまいそうです。昔、スティーブ・ジョブズの伝記で第一部のタイトル、"Flowering and Withering"を「沙羅双樹の花の色」としたのは禅が絡んでいたからわざとやったものであり、そういうものはいいわけですが……もしかすると、私もどこかで、やめておいたほうがいい引きよせをやってしまったことがあるかもしれません。やっていないはずと言えるほど、排除しようという強い意識は持っていなかったので。これからは気をつけようと思います。
■今後の展開
既訳がいくつもある"Philomel Cottage"と既訳がない"The Crying Game"。おもしろい組み合わせだったと思います。ただ、正直、昨日の話は駆け足でもったいないなぁ……なんて思っていたら、翻訳フォーラムを一緒に主宰しているSakinoさんからも同じ話が。そんなわけで、これをネタにケンケンガクガクやってみる方向で考えようという話になりました。場所・面子・進め方など、実際にやろうとするといろいろあるので、実現するかどうかはまだわかりませんが。
■懇親会
懇親会は6時半ごろから11時ごろまで(^^;) 用事のある方、遠い方などは、早めに帰られましたけど。
いろいろな話が出ました。最近のレートや自分が実際にやっているレートがどのくらいか、翻訳者の組合はできないのか、評価の基準、表記について、関連するさまざまなことの勉強方法、休憩時間の楽しみ方……あちこちでそれぞれに違う話が進行していたので、私が知らない話もいろいろとあったはずだと思います。
その中でちょっとうれしかったのが、「ソースクライアントと翻訳者を引き合わせての勉強会をした翻訳会社があった。翻訳者に力がつけばソースクライアントにとってもメリットがあるなど、三者は対立ではなく対等な協力関係にあるべきもの。そのとき、両側(ソースクライアントと翻訳者)を結べるのは間にいる翻訳会社だから」という話。これ、私がJTF関係で訴え続けてきた話です。でも、実際に動いている話はめったに聞きません。それがひとつでもふつたでもあったという話は……ちょっとうれしいですね。私の話を聞いてそう考えてくれたのならそれはそれでうれしいし、私とは別個にそう思うようなったのなら、そう考えるのは私ひとりではないという意味でこれまたうれしい話です。
ともあれ、いろいろと勉強にもなり、楽しくもあった会でした。世話役のみなさま、ありがとうございました。
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