翻訳の過剰品質と質素イノベーション
先日書いた「翻訳の質素イノベーション?」に対し、「IT翻訳者Blog」に新しいエントリー、「翻訳の過剰品質と質素イノベーション」があがりました。ブログ同士で議論の応酬となっているので、こちらを読まれる方は、「IT翻訳者Blog」のほうも読まれたほうがいいと思います。
まずは枝葉の部分から。
■サンシャイン牧場の議論について
IT翻訳者Blogの議論は、残念ながら、「翻訳に対する満足度」と「翻訳されたものが一部である製品などもっと大きな体験に対する満足度」がごちゃまぜになっている点に問題があります。
サンシャイン牧場というゲームが人気となったのは製品であるゲームの体験がユーザーを満足したから、です。翻訳の良し悪しが全体の中でごく一部しか占めないものを例として、いきなり翻訳の話まで飛んでしまうのは論理が飛躍しています。
ゲームとしての魅力が10点のものがあり、その翻訳はゲームの魅力を完全に引きだすものだったとしましょう。こういうときの翻訳は基本的に足を引っぱるものなので、満点を1点として、10×1=10点が製品としてのゲーム全体の魅力だと考えます。これに対し、翻訳がゲームの魅力の1/10しか引きだせない、つまり、0.1点のものがあったとします。でも、元ゲームの魅力は1000点だった。このとき、総合力は、1000×0.1=100点ですから、総合力が10点のゲームよりも魅力的という計算になります。
でも、だからといって、0.1点の翻訳を0.2点とか0.3点とか、あるいは1点にしてもゲーム全体の魅力、満足度があがらないという議論にはなりませんし、また、翻訳だけを取り出して0.1点で十分だという議論にもなりません。
また、西野さん(IT翻訳者Blogを書かれている方)は、最低限の日本語ときちんとした日本語が同じ条件で提供されることはないと言われていますが、そうは言い切れません。ゲーム全体の価格(サンシャイン牧場の場合は広告などから得ようとする金額)に対し、製品の原価というのは意外なほど低いものです(そうでなければ会社が成り立たない)。そして、製品の原価には、コンセプトからシナリオ、プログラム開発、グラフィックスなどなど、さまざまな面で多大なコストがかかります。そうやって全体を見ると、翻訳にかけたコストというのは、製品価格の……1%? 0.1%? 0.01%? これ以上のことは私にはわからないので、もう、想像にしかなりませんが1%もかかっていることはないだろうなと思います。仮に0.1%だったとしましょう。それに対し、翻訳のコストを5倍に引きあげ、そのすべてを製品価格に転嫁したとして……全体は、100→100.4という微々たる差にしかなりません。ここも、翻訳という狭い部分と製品という全体を混同してしまったために見えなくなってしまった部分ではないかと思います。
■翻訳の過剰品質と質素イノベーションについて
サンシャイン牧場の例は横において、本論、つまり、翻訳の過剰品質と質素イノベーションについて考えてみましょう。
取りあげた例がまずかったからといって、結論部分が間違っているとは必ずしも言えません。
とりあえず結論から言うと、(↓)だと私は思っています。西野さんの意見と微妙に違いますが、大まかには近いと言えるのではないでしょうか。
- 安いなら低い品質の翻訳で十分だと思うユーザーが存在する
- ユーザーが満足する以上の品質で翻訳を提供するのは過剰
- このようなユーザーに求められるスペックと価格でサービスを提供する選択肢がある
ただ、こちら側の議論も、そこにいたる議論の過程にいろいろと首をかしげてしまう点がありました。たぶん、ユーザーから見るのは翻訳業界であって翻訳者ではなく、ユーザー・翻訳業界・翻訳者という3者の関係を考えるべきなのに、関係者がユーザーと翻訳者、2者だけであるとしてしまったから話がおかしくなったのではないかと思います。
◆翻訳業界における価格と品質の関係
翻訳業界における価格と品質の関係(お客さんから見た価格と品質の関係)は、この図のようになっているはずだと思っています。
実際はこんなに細い線になどならず、ぶわっと幅広い帯になっているわけですが、ここでは、単純化して線に代表させます。
値段を下げてゆくとどこかの価格帯で品質が急降下し、いわゆる「使い物にならない」訳になります。で、現実がどうなっているかは置いておいて、タテマエとしては、品質が急激に変化する帯域の上側がプロの領域ということになります。
このとき、お客さんが満足するのがどのあたりかと言うと、上の図で四角で囲った部分でしょう。要求品質が得られて、かつ、価格が安いという部分になりますから。
この線(実際には幅広の帯)の左側にはずれた部分を要求するお客さんもいて、それは無い物ねだりで満足されません。逆に、この線の右側にはずれた部分を要求するお客さんがいれば、それはいわゆるカモになるお客さんってことになりますが、今のように情報がたくさん出ていて翻訳業界が過当競争になっている状況では、そういうお客さんは、まず、存在しないでしょう。
◆翻訳者から見たコストと品質の関係
上の図はユーザーと翻訳業界の関係に焦点を当てたものであり、ある翻訳者ひとりをピックアップすると、コストと品質の関係は別の曲線を描きます。S字カーブの上側にいる人間が訳せば、どんなに粗く訳しても、下側の訳文をアウトプットすることはないからです。逆に、S字カーブの下側にいる人間が訳せば、どんなにコストをかけても、上側の訳文をアウトプットすることはできません。つまり、ある翻訳者ひとりにとっては、変化の幅が小さいのです。
でもともかく、品質を上げるためには基本的にコストがかかるわけで、グラフを書けば右肩上がりにはなるでしょう。また、最高品質は実力によって決まりますから、これ以上は品質があがらないという状況が発生します。つまり、定性的には、西野さんが書かれたグラフに近いものができるはずです。
というわけで、まずは、西野さんのグラフを書き換えてみます。
西野さんは縦軸を「満足度」とされていますが、私は「品質」とします。満足度は品質とコストを総合した結果なので、コストと満足度の関係を考えるには、コストと品質の関係を別途考えなければならず、話がぐちゃぐちゃになってしまうからです(品質一定で価格が高くなると満足度は下がるのが普通です)。また、本文の議論から推測して、おそらく、西野さんの「満足度」とは、「品質に対する満足度」なのだろうと思うので、こちらではコストと品質の関係で議論しても大丈夫だろうと思います。
西野さんのグラフ、まず、コスト軸の左端までグラフが伸びているのが気になります。どれほど粗く訳しても一定のコストはかかるので、左下は存在しない領域ですよね。というわけで、一般に、翻訳者から見たコストと品質の関係は(↓)のようになると考える人が多いと思います。
●西野さんのグラフの書き換え-一般的な認識
ただ、現実は異なると私は考えています。現実は、これほどコストの調整幅は広くないし、その結果、生まれてくる品質の上下幅も広くないと思うのです。S字カーブの上側にいるプロの中で、たとえば、とても上手な人が粗く訳したらS字カーブが急降下する直前という訳文が出てくるかと言えばそんなことはなくて、かなり上手な訳が出てしまいます。
上記のようになる理由は、「内容がわかればよいので早く安く……」で書いたように、翻訳者側のコストは「今まで積み重ねてきたもの + 目の前の案件についてかけた手間」であり、かつ、「今まで積み重ねてきたもの >> 目の前の案件についてかけた手間」だからです。
グラフで表現すれば、翻訳者の理論的な調整可能範囲と実際的な調整範囲は、以下のようになるでしょう。
ここを拡大すれば、それはもちろん、手間暇・コストをかけたほうが品質は高くなるのですが、総合的な品質という面では、ごくわずかな変化にしかならないわけです。
では、個別の翻訳者を視野にいれたとき、ユーザーが求める品質との関係がどうなるかを考えると、(↓)のようになります。
翻訳者が調整すればアウトプットの品質レベルを変えられると思うのは幻想です。アウトプット品質のレベルを調整したければ適切な人を選ぶしか方法はありません。今回の例でいえば、下から2番目のグラフで表される人にやってもらうのがいいということになります。また、上の人にその人なりの料金を払ってまで仕事を頼む場合が、西野さんの言われる「過剰品質」ということになります。
なお、翻訳の質をきちんと考えていれば、基本的に、手間をかければその分、ユーザーの満足度(=品質だとします)は向上します。翻訳の質ではないようなところに手間をかけていれば話は別ですけどね。
そういう意味で西野さんの議論は象徴的です。西野さんは、テレビに、カップラーメン用の3分タイマーをつけるという話を例にされています。でも3分タイマーの有無って、テレビの本質じゃないですよね。要するに、テレビとしての質には違いがないわけです。ひるがえって翻訳の話に戻れば、それはつまり、翻訳の質とは関係のないところに手間をかけても……という話になります。もちろん、西野さんとしてはそういうつもりではなかったはずだと思いますが、実質、そうなってしまったあたりが象徴的だと思うわけです。
なお、テレビを例にするのであれば、たとえば液晶のスペックをどこまで追求するか、あたりが本来的な品質の議論には合いそうです。2倍速、4倍速など表示速度を追求すれば残像が減って動きが激しいときの映像がきれいになります。でも、1倍速で十分だと思う人もいるわけです。そういう人にとっては、高い4倍速なんて「過剰品質」です。
その場合、供給側はどうするのでしょうか。
もちろん、1倍速で安くてそこそこの製品と4倍速で高いけどきれいな製品、両方を提供し、お好きな方をお選びくださいとやるわけです。
テレビの例で言えば、我々翻訳者は工場の生産ラインです。安い普及品の生産ラインで高級品は作れないし、高級品の生産ラインで安い製品は作れません。そういう話でしょう。
◆まとめ
最初の認識に話を戻しましょう。
- 安いなら低い品質の翻訳で十分だと思うユーザーが存在する
- ユーザーが満足する以上の品質で翻訳を提供するのは過剰
- このようなユーザーに求められるスペックと価格でサービスを提供する選択肢がある
業界としては低スペック・低価格のサービスを提供する選択肢があります。そういうサービス専門としてもいいし(「激安翻訳のサイト」で紹介)、お客さんの要求に合わせて松竹梅でさまざまなサービスを提供してもいいでしょう。求められる品質と価格の関係にあった翻訳者を選ぶマッチングこそ、翻訳会社の機能のはずだと私は思います。
翻訳者にも、この部分を選ぶ選択肢があります。ただし、翻訳者の場合、低スペック・低価格と高スペック・高価格の両方をこなすのは無理です。どちらかをしばらくやったあと、別のほうへ移行したいと考えた場合も、低スペック・低価格から高スペック・高価格への移行はほぼ不可能です(逆はいつでも可能)。自分はどちらに行きたいのか、何をしたいのか、よく考えて選ぶべきでしょう。
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コメント
新しい記事を拝読しました。
私は少々議論が粗いところがあるので、Buckeye さんのご指摘で「なるほど」と思うところがありました。
一連のエントリではいろいろと考えさせられました。どうもありがとうございます。
今回私はブログ記事を 2 本書きましたが、その背景には「翻訳者はサンシャイン牧場や機械翻訳に見られる日本語をただ笑っているだけでいいのか?」という疑問がありました。我々は言語のプロであるため、「質の低い」日本語を見ると、どうしても感情的に受け入れられないことがあります。そしてそのためにビジネス機会を逸しているのではないか、という意見ですね。わざわざ「質素イノベーション」というビジネス用語を使ったのは、そういう理由です。
今後の Buckeye さんの記事も楽しみにしております。
またコメントさせていただくこともあるかと思いますが、よろしくお願いいたします。
投稿: 西野竜太郎 | 2010年9月 2日 (木) 23時49分
西野さん、
西野さんの記事、飛躍があったりして議論としてはうまくない形になってしまったとは思いますが、でも、言われたい核心の部分には一理あるというか、現状認識としては私も同じように思います。
産業系ではローカリゼーションを中心に機械翻訳+ポストエディットを導入しようという動きがあるようですが、そのあたりも、発注者の段階で「質素イノベーション」が進んでいるとは言える事態だと思いますし。
その現状認識をふまえ、翻訳者として今後どうするかは、人によって大きく異なるでしょう。私は、西野さんが指摘されたニーズを満足することが翻訳者にとって幸せな道にはなりにくいだろうと思いますけど、まあ、志向は人それぞれですから、そちらを目指す人がいるならそれはそれだと思っています。このブログではくり返し書いていますが、流されてゆくのではなく、自分でしっかり考えて選んだ道として進むのであれば、ですけど。
私としても、今回、議論したあたりはぼんやりと認識していただけだったのですが、西野さんのおかげでイメージをしっかり把握することができました。ありがとうございました。
投稿: Buckeye | 2010年9月 3日 (金) 08時34分