« 連続を避ける | トップページ | JAT Project Tokyo 2010 »

2010年9月10日 (金)

論理の流れと翻訳-予測の観点から

先日書いたエントリー、『「予測」で読解に強くなる!』『文章は接続詞で決まる』で予測の重要性に触れましたが、それに類することを昔、どこかで書いたなぁと探してみたら出てきました。

翻訳関係のメーリングリストでドラッカー本(『非営利組織の経営』)が話題になったとき、その本は翻訳がよくなかった、あれなら英語で読んだ方が速いと書いたら詳しく説明をと言われたとき書いたコメントです。なお、ここで話題となった訳は昔のもので、もう絶版になっています。なにせ、下記コメントを書いたのは2001年と9年も前のことですから。

=======以下、昔書いたコメントそのままです。今、読み返すとタイポがあったりするようですが……

2~3年も前に読んだので細かいことは忘れました。幸い、まだ処分していなかったので、改めて引っぱり出してきて、パラパラと数ページめくってみました。思い出した感覚を書いてみます。具体的な話は、時間があったら、別発言で書きたいと思います。

え~、まず、お断りしておきますが、誤訳だらけと言う気はありません。原文と対比していないので確たることは言えませんが、たぶん、ほとんどは、間違ってはいないという訳にはなっているだろうと感じます。

それがどうして、ひどい訳だと思ったのか……私の場合、実用書の読み方がスピード重視だから特に強く感じたのかもしれません。

一番の問題は、文の構成要素と構成要素、文と文が有機的につながっていないことです。いい文章なら、文の頭を読むと、後半がある程度は予想がつくものです。そして、その予想どおりに文が展開すれば、するすると読んでいけます。段落単位、章単位でも同じことが言えます。ところが、この本では、文章の頭で予想した方向と、文章全体を読み終わったときに理解するものが違っていることがとても多いのです。また、文章どうしのつながりを示すものがあまりに少なく、ひとつの段落内で、話がどちらに進んでいるのか予想がつかないことが多すぎます。ときどき、予想できるところに出会うけど、多くの場合、その予想は裏切られてしまう。これでは、細かい部分部分が意味することを理解するだけでエネルギーを消耗してしまって、全体で何が言いたいのかを理解するところまで力が回りません。

わざと予想を裏切ることによって読者の注意を引くという手法はあります。でも、この本の訳は予想を裏切ってばかりなので、原著者が予想を裏切って読者の注意を引こうとしたところがあっても、埋もれてしまって分からないでしょうね。

あと、とっても気になるのが、対談形式のところ。アチコチに対談形式の部分がありますが、話し合っている2人の姿が浮かびません。というか、あんな書き言葉で話す人なんて、そうそういませんよ。(我が家は、私も嫁さんも理屈っぽいせいか、ふだんの話に書き言葉がたくさん出てくるほうです。でも、あんな堅苦しい話し方はしません)でも、語尾などは話し言葉なんです。この、書き言葉と話し言葉のギャップによるせいか、話者が人間と非人間の間をいったりきたりしているように感じられます。少なくとも、話者の人となり、話者の持つ価値観などが伝わってこないので、人の口から語られる言葉が持つはずのインパクトをまったく感じません。

このような実用書を読むとき、私は、高速道路を走るように読みたいのです。そこまでの論理とその後の論理が流れるようにつながっており、不安なく高速で走っていける、そういう状態でコースを走りきりたいのです。これなら、比較的遠くに視点を置いて、リラックスして高速で走ることができます(著者が展開する論理の流れが追える)。また、高速道路の回りに展開する風景に目をやる余裕もあります(関連事項や自分のケースに適用したらどうなるのかなどを考えながら読める)。

ところが、この本の訳では、まるで、商店街のある細くて曲がりくねった路地を走っているような気分になります。前から来る自転車がまっすぐ自分の横を通っていくと思っていると、急に目の前を横切って、道の反対のお店に入る。あわてて踏んだブレーキからアクセルに足を戻した瞬間、反対側のお店から子どもが飛び出してくる。これでは、前方の全方位に注意がゆきわたるように、扇形に注意を拡散させて走る必要があります。道も曲がりくねっていて見通しが利かないから、走っているうちに、自分が北に進んでいるものやら南に進んでいるものやらわからなくなる……走り終わってみると、大変だった、危ない思いをした、という印象は残るけど、どこをどう走ってきたものやら、どういうお店があったものやら、まったく覚えていません。

英語で読んだ方が速いについて

私が英語を読むスピードはかなり速いほうだと思いますが(TIME通読に要する時間を昔測ったことがありますが、3時間強でした。教養のあるネイティブよりはずっと遅いけど、教養のないネイティブよりは速いようです)、それでも、日本語のほうが格段に速く読めます。「非営利組織の経営」を読み通すだけなら、日本語の方が早く読み終わります。でも、そこから読み取るべきことを読み取れるかとなると…… 10回、読み返しても充分に読みとれる自信がありません。それくらいなら、原書を1回、じっくりと読み込んだほうがよっぽど多くの収穫が得られると思うのです。つまり、この本を読んだからには得るべき収穫というものがあり、それを得るまでに必要な時間という意味で、英語で読んだ方が早いだろうと思うわけです。

=======ここまで、昔書いたコメント

|

« 連続を避ける | トップページ | JAT Project Tokyo 2010 »

翻訳-スキルアップ(各論-品質)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111098/49405628

この記事へのトラックバック一覧です: 論理の流れと翻訳-予測の観点から:

« 連続を避ける | トップページ | JAT Project Tokyo 2010 »