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2010年9月25日 (土)

a(b + c) や (a + b)c の訳し方

「IT翻訳者の疑問」の「[Linguistic Reviewerの疑問]a(b + c + d)をab + ac + adと訳す手法?」で、a(b + c + d)をab + ac + adと訳すのはよくないというようなことが書かれていますが……なぜ、いけないのでしょうか。というか、そうしないとおかしくなることのほうがむしろ多いと私は思うのですが。

前にも書きましたが、数式を展開するみたいに「mobile devices and applications」を「モバイルデバイスとモバイルアプリケーション」と訳すというやり方がしばらく前から流行しているような気がします。私の経験では、こう訳す翻訳者は一人や二人ではないし、翻訳会社から支給されるTMにも登録されていることがありますが、どうやって流行していったんでしょうか。こういう表現は「冗長」だといって嫌われるものだとばかり思っていましたが。

英語の構造からだけ判断するなら、"mobile devices and applications"という場合、そのアプリケーションはモバイルなアプリケーションか、モバイルかどうか関係なくすべてをひっくるめたアプリケーションか、いずれかですよね? で、内容的には、そのアプリケーションもモバイルなものということが多いでしょう。

アプリケーションもモバイルだとすれば、訳し方は、「モバイルデバイスとモバイルアプリケーション」か「モバイルのデバイスとアプリケーション」か、どちらかしかないでしょう。

後述するコメント欄でbaldhatterさんが指摘されているケースの順番逆版として、「モバイル・デバイスおよびアプリケーション」なんて、さすがにやらないですよね?

で、これだけならどちらでもいいっちゃいいんですが、たとえば原文が"the latest mobile devices and applications"だったら? 「最新のモバイルのデバイスとアプリケーション」は「の」が連続するというのも問題ですし、「最新」がかかる位置の問題から変な日本語になってしまいます。「最も新しい、モバイルのデバイスとアプリケーション」なら一応、日本語として成立すると思いますけど、ローカリ系なんかで"the latest"は「最新の」と訳せなんて言われていたらどうにもなりません。こちらを「最新の」とするなら、全体は、「最新のモバイルデバイスとモバイルアプリケーション」にするしかないでしょう。

■モバイルおよびデスクトップ・アプリケーション?

コメント欄でbaldhatterさんが以下のように書かれています。

mobile and desktop application みたいな並列を、「モバイルおよびデスクトップ・アプリケーション」のように訳すのが IT 口調の典型ですが……

それがIT口調というかローカリ系の典型的訳し方だというのはわかった上で……おかしいですよね。日本語として。

モバイルおよびデスクトップ・アプリケーション

(モバイルおよびデスクトップ)・アプリケーション

と解釈しろというのは無理筋です。だって、語と語をつなぐ力が「および」より「・」のほうが強いのだから。日本語として素直に解釈したら、

(モバイルおよび(デスクトップ・アプリケーション))

にしかなりません。

また、問題が語と語をつなぐ力だけであれば、(↓)のように書く手もあります。

モバイルおよびデスクトップのアプリケーション

でも、これも日本語として変だと思うんですよね。

モバイルもデスクトップも、アプリケーションの属性というか特徴というかですよね。じゃあ、同じようなパターンで(↓)としたら、どういう絵が頭に浮かぶでしょうか。

赤および青の服

今度は、パターンが違うものを比べてみましょう。

赤および青の服
赤と青の服
赤い服と青い服

「赤い服と青い服」は明確ですね。赤い服と青い服の2着が頭に浮かびますし、それ以外はありえないでしょう。

「赤と青の服」は微妙。赤と青、2色の服という可能性が高いですが、赤い服と青い服の2着という可能性もあります。

「赤および青の服」は……私の頭に浮かんだのはクエスチョンマークです。

「モバイルおよびデスクトップのアプリケーション」という表現には違和感を感じたのですが、パーツを入れ替えてもやはり違和感があるということは、「~および~の~」という形式自体に無理があると考えるべきでしょう。

「赤と青の服」なら日本語として無理がないということは、「モバイルとデスクトップのアプリケーション」なら、一応、使えると考えていいのではないでしょうか。でも、私としては、使いたくない表現です。理由はふたつ。

ひとつは、モバイルとデスクトップが排他的関係にあること。「赤と青の服」で最初に浮かぶのが2色が混在している服なら、同じ形式の「モバイルとデスクトップのアプリケーション」も、形式としては、「モバイルとデスクトップが混在しているアプリケーション」という解釈に引きよせる力が強いことになりそうです。でも、それはありえない。だから誤解がなくていいという考え方はあるでしょう。でも私は、「論理の流れと翻訳-予測の観点から」に書いたように、その必要がないところで予測をねじ曲げるような展開にしたくありません。

もうひとつは、こういう言い方をするときのアプリケーションは、モバイルかデスクトップしかない、その範囲で考えているからです(組み込みとかは念頭にない)。赤とか青といったときは、そのほかに黄色とか緑とか紫とか、それはもう、いくらでも選択肢があるわけです。たくさんの選択肢からふたつを選んでいるなら「AとB」という具合に列挙する意味がありますが、基本的にふたつしか選択肢がないとき、「AとB」とだけするのは変だと思います。言外に、「AとB」以外の選択肢の存在が示唆される形式となってしまい、これまた、予測をねじ曲げる展開となるからです。

ふたつしか選択肢がなくてその両方なら、基本的には選択肢を示す必要がありません。それをわざわざ示すときは、「両方」を強調したいからでしょう。であれば、「AとB、両方」「AもBも」などの形にすべきだと思います。具体的には前後の流れ次第になりますが、たとえば(↓)のような感じでしょうか。

モバイルとデスクトップ、いずれのアプリケーションにも……
モバイルでもデスクトップでも、すべてのアプリケーションにおいて……

■モバイル・アプリケーションとデスクトップ・アプリケーション

「IT翻訳者の疑問」でよくないとされている「モバイル・アプリケーションとデスクトップ・アプリケーション」という表現についても考えてみます。

アプリケーションを両方につけて展開しても、選択肢の数という問題はかわりません。ですから、「AもBも」的な形にしたほうがいいケースが多いだろうと思います。

じゃあ、「モバイル・アプリケーションとデスクトップ・アプリケーション」にしたらまずいかというと、今度は、そこまでのことはないかなと思います。

「モバイルとデスクトップのアプリケーション」だと属性に焦点があたってしまうので選択肢の数という問題が大きくクローズアップされますが、「モバイル・アプリケーションとデスクトップ・アプリケーション」だとアプリケーション側の比重が高くなり、単純なモノの列挙という様相が強まります。結果、そこそこ使える表現になると思います。というか、さらっと流すならこの形がいいというくらいに使える表現でしょう。

■冗長な翻訳とは?

翻訳における冗長というのは、文字数が多い表現という意味ではありません。追加しても意味の明確化などにプラスとならない言葉があるとか回りくどいとか、そういうものを指します。

a(b + c + d) という英語の表現を日本語でも a(b + c + d) という形式で同じように表せる場合もあるでしょう。その場合に ab + ac + ad と訳すのは冗長です。でも、上記のような場合には、ab + ac + ad と訳すべきであり、a(b + c + d) と訳すのは言葉足らずで考えないとわからない訳文になります。

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コメント

このエントリですけど、

> a(b + c + d)をab + ac + adと訳すのはよくない

ということではなく、「そういう傾向が目につくようになった、その行き過ぎと思える例を挙げた」とそういう趣旨なんじゃないかと、私はそう読みましたけど...。

> 「モバイルおよびデスクトップ・アプリケーション」のように訳すのが IT 口調の典型> おかしいですよね。日本語として。

はい、相当おかしいです。

でもなぜかそれで通用しちゃっています。もっとひどい場合だと、カタカナの区切りに中黒を使わないところもあるので、そうなると「モバイルおよびデスクトップアプリケーション」ですからね。IT的文脈では、これを「(a+b)c」式に解釈して読みなさいということになっている。残念ながら、この現状はそうそう変わらないみたいです。しかも機械化が進むとさらに事態は悪くなるかも。

ところで、この訳し方がIT翻訳で当たり前なのは確かですが、IT翻訳から始まったのかというと、そこまでの検証はできていません。

投稿: baldhatter | 2010年9月25日 (土) 20時47分

こんにちは。

日英翻訳でも、解釈に迷う点ですね。前後関係から判断するようにしていますが、・・・。

「赤および青の服」のような表現はしょっちゅう出てきます。

投稿: takey | 2010年9月25日 (土) 23時11分

baldhatterさん、

残念ながら、私にはそういう趣旨だと読めませんでした。「こう訳す翻訳者は一人や二人ではない」という表現に、「基本的にあってはならないこと」というニュアンスを感じたからだと思います。

「前にも書きましたが」とだけあってリンクがないので今朝方ずいぶん探してようやく見つけましたが( http://d.hatena.ne.jp/jacquelinet/20080919 )、こちらの例も微妙ですね。片方は、私なら展開して訳す例だし、もう一方もどちらがいいのか微妙なところ。

で、この手の翻訳がIT翻訳から始まったのかというと、たぶん、違うだろうと私は思います(検証してませんけど^^;)。

英語の構文そのままの訳し方なので、いわゆるIT翻訳が始まる前からず~っと続いてきている手法なんじゃないでしょうか。でも、IT翻訳というかローカリ系というか以外の分野では、中堅クラスあたりで展開するかしないかの判断が必要だとなるのに対し、ローカリ系はいつまでたってもその判断力が身につかない人が多いということは言えるのではないかと思います。展開するにせよしないにせよ、「指示に従う」訳し方をしているかぎり、どちらがいいのかという判断力は身につかないので。

投稿: Buckeye | 2010年9月26日 (日) 05時42分

takeyさん、

我々がいるのは下流で、上流側の原文はコントロールできませんからねぇ。ま、そういう考えて判断しなきゃ訳せない文章を書いてくれているかぎり、人間の翻訳はなくならないと前向きに考えましょう(^^;)

よくない表現、迷う表現も、原文に出てくればなんとか意味をくみ取ってあげなきゃいけませんが、逆に、そちら向きに訳すときは、そういう迷う表現を使わないようにすることが我々としては大事なんだと思います。「原文は親切に読む。訳文はいじわるに読む。」( http://buckeye.way-nifty.com/translator/2008/05/post_9113.html )ですよ。

投稿: Buckeye | 2010年9月26日 (日) 05時43分

> IT翻訳というかローカリ系というか以外の分野では、中堅クラスあたりで展開するかしないかの判断が必要だとなるのに対し、ローカリ系はいつまでたってもその判断力が身につかない人が多い

これはまったくその通りの現状です。で、そのレベルで今は需要も供給もそれなりにとれていますから、価格下落はあっても仕事があったりします。

でも、TM + MTでその辺りの需要は間違いなく減ってきますから、TM + MT世界のプロになるのでもない限り、「IT/ローカリゼーション(のど真ん中)から軸足を動かす」ことを意識したほうがいいと、6月の環境研究会の結論ではそんなことを話しました。

投稿: baldhatter | 2010年9月26日 (日) 11時00分

そっかぁ、あのとき、そんな話をされたんですね。

baldhatterさんなら、はっきり言えますものね。私はローカリの外にいる人間なので、下手に言うと「ローカリを下に見ている」とか思われかねなくて、それとなくしか言えずにもどかしい思いをしてきましたが(たぶん5年以上も前から「ローカリから軸足をずらす方向に動いた方がいい」とちょこちょこ話してきています)。

投稿: Buckeye | 2010年9月26日 (日) 11時21分

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