高すぎる時給?
「翻訳のチェック・リライトにどう対処すべきか」で(換算)時給について触れましたが、我々の時給というのはいくらが妥当なのでしょうか。
「なるはや」(なるべく早くあげて欲しい)という仕事を請け、クライアントのためにと休憩も取らずにがんばって早くに納品した結果、時給に換算したら2万、3万といった料金になってしまい、「ぼったくりだ」みたいなことを言われた人がいるのです。
その話を聞いたとき、私は思わず、(↓)のように返信してしまいました。
我々が得る報酬は時給ではなくあくまでアウトプットに対するもの。時給換算で2万、3万がまともじゃないっていうなら、時給換算で法定最低賃金を下回るような単価で発注するのもまともじゃないってことになるでしょう。「お宅は、手が遅い人には高く支払うんですか?」って聞いてみたいですね。時給が安くなるのは翻訳者の自己責任、高くなるのはぼったくりって、そんなの、単なるダブルスタンダードです。
そう、我々の仕事はあくまでアウトプットに対して料金を受けとるものです。品質が悪くて単価が安く、かつ、時間がかかるから時給換算で法定最低賃金を下回っても、それは自分の責任でしかありません。逆に、翻訳の技術を磨き、環境を整え、専門分野の勉強をして高い単価をもらい、かつ、ごく短時間で仕上げられるようになれば、それは自分の成果であり、どうどうと請求していいのです。
さらに言うなら、ごく短時間で高い品質の成果物を出せるというのは、それだけですごい価値であり、割増料金をもらってもいいくらいでしょう。その時間でその品質を出せる翻訳者がほかにいないなら、かつ、その時間でその品質が欲しいなら、市場原理で値段はあがるのが道理です。
■翻訳者の手間と報酬
あちこちでのやりとりを見ていると、このあたり、わかっているようでわかっていない人が多いように感じられます。
いわく、「慣れない分野で調べ物が多くて大変だったから割増料金が欲しい」
いわく、「手慣れた得意分野ならさっとできるから安くてもいい」
前者は言語道断でしょう。「慣れない分野で調べ物が多くて大変だった」ということは、言い換えれば、アウトプットの質は比較的低いはずです。アウトプットに対する料金という意味では、割増どころか割引にすべき話です。普通は、高い品質が出せるものに割増がないかわり、そういうときの割引もないという形になりますけどね。というか、単価というのは、そういう、いいとき・悪いときを平均してえいやっと決めるものですから。
後者は……まあ、そう感じる気持ちもわからないではないし、クライアントにとっては高い品質のものが安く手にはいるので文句があるはずもないしで、構わないと言えば構わない話ですが。ただ、同じ翻訳者としてもったいないなぁと思います。得意なものほど高い品質のアウトプットを短時間で行えるわけで、それこそ、自分の価値が一番高い部分なわけです。そこを安売りするなんて……もったいないですよねぇ。いや、自分は十二分に稼いでいるから社会貢献として安くするんだっていうことなら、それはまたそれで第三者がどうこう言うことではないんですが。
「報酬はアウトプットに対するものだ」ということは、言い換えると、目の前の案件についてかけた手間に対するものではなく、「その案件を処理するまでに積み重ねてきたものすべて+目の前の案件についてかけた手間」に対するものなのです。
報酬(価値) = 今まで積み重ねてきたもの + 目の前の案件についてかけた手間
「我々の時給というのはいくらが妥当なのでしょうか」という問題に対する解答は……つまり、「妥当な数字があると考えることが間違い」だと言えるでしょう。換算時給はあくまで結果なので、驚くほど安くても驚くほど高くても、それが現実ということなのです。
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