中国人による英日翻訳・日英翻訳
ちょいちょい読みにいってる「技術者から翻訳者へのシルクロード」に「日英・英日翻訳を中国人に外注(ビジネス最新事情?)」というエントリーがありました。
日本の翻訳会社が中国事務所で中国人に英日・日英の翻訳もさせていることについての所感です。
上記エントリーが参照している元記事はこちら。通訳翻訳ジャーナル2008年2月に掲載された記事のようです。紹介されているのは広島にある翻訳会社、トランスワード(上記サイトはトランスワードさんのサイト)。取材を受けた社長の仲谷さんは一緒に飲みに行ったこともあったりして、知らないわけではない人だったりします。
「技術者から翻訳者へのシルクロード」に書かれた感想が翻訳者に一般的かなと思う半面、私はちょっと違う感想を抱いたのでメモしておきます。
翻訳というのはあくまで結果だけで評価されるものなので、「できればいい」んだと思うのです。そういう意味では、誰がやったかに価値はありません。
いや、できるったって、レベルってものがあるでしょうって思いますよね? でもその点は、トランスワードさんもわかってやっているようです。
「大連でやっている翻訳業務の半分以上は、英日/日英翻訳です。そのため中国人スタッフは日本語も英語もできる優秀な人材を採用している。大連には21以上も大学があるし、日系企業に就職したいという人も多いので採用には困らないんです。簡単なものから始めて、1年経つと日本の新人翻訳者並みにはできるようになります」
「日本の新人翻訳者並みにはできる」なら、たしかにあり得るだろうなと思います。「日本の新人翻訳者」のレベルをどの程度と想定するかにもよりますし、新人のあいだで実力が大きく違っており、十把一絡げにできないとかもありますが……ともかく、「できがいいとは言えない日本の新人翻訳者と同等のレベル」なら、優秀な中国人が1年間、一生懸命がんばれば到達できる可能性はあるでしょう。
というわけで、記事に書かれていることはそのまま理解してもいいのかなと思いますが、記事に書かれていない部分はどうなのでしょう。
まず、その中国人は最終的にどのレベルまで到達できるのでしょうか。突然変異的に優秀な個人は横において、一般的なレベルとして、「英日翻訳/日英翻訳」について日本人翻訳者と中国人翻訳者、どちらが上手になるのでしょうか。
これが中国人なのであれば、我々は全員が廃業するしか道がないってことになります。ま、母語の強みをきちんと生かせれば、そんな話にはならないだろうと私は思いますけど。ただ、駆け出し翻訳者や品質のよくない日本人翻訳者は、こういう中国系の翻訳者に食われて行く可能性も否定できません。少なくともトランスワードさんの仕事においては、おそらく、とっくに食われてしまっているでしょう。
品質が似たようなものなら、安い方がいいのは当たり前ですからね。
もう一点。この仕組みには問題があるなぁと私は思います。
「質と量-翻訳会社のメッセージ」や「JTF翻訳祭2009-『今こそ、脱皮のとき!』」でも書いたように昔から訴えていることなんですが……下手な新人がステップアップしてゆく道が細くなることです。もし仮に、下手な新人の仕事がぜんぶ中国人に回ってしまったら、始めるときから新人離れした力を持つ日本人しか翻訳業界に参入できなくなってしまいます。
「頂は高くなければならない。すそ野は広いほうがいい。」で(↓)と書きましたが……
業界全体として考えるなら……高い頂に向けて進むという道がなくならない、わかりにくくならない方法で、すそ野を広げることはどんどん進めた方がいい。逆に、頂が低くなってしまうような方法ですそ野を広げるのはやめるべきだ。それくらいなら、すそ野なんか広くならないほうがいいと私は思う。
それも程度次第。というか、すそ野を狭めれば、将来的に必ず頂が低くなります。
この記事にあるような流れがもし主流になれば、10年後、20年後、30年後、翻訳業界の頂はいったいどうなっているのか、そのころ、「上手な翻訳者」が育っているのか、とても心配です。
| 固定リンク
「翻訳-業界」カテゴリの記事
- 私が日本翻訳連盟の会員になっている訳(2019.02.27)
- 河野弘毅さんの「機械翻訳の時代に活躍できる人材になるために」について(2019.02.22)
- 産業系の新規開拓で訳書は武器になるのか(2019.02.21)
- 『道を拓く』(通訳翻訳ジャーナル特別寄稿)(2019.02.15)
- 翻訳者視点で機械翻訳を語る会(2019.01.23)
コメント
こんにちは。
非常に興味深いテーマですね。
元のブログの方にもコメントしたので、
ここでは違う考え方をしてみたいと思います。
私は二胡を習っています。師匠は日本人です。
中国人の二胡の奏者で日本に住んでいる人は
結構います。
私の師匠のような存在は、ある意味脅威だろうと思います。
でも、「二胡は中国のものだから日本人に理解できるわけはない」とか、「日本人は二胡を弾くな」とはいえない。
あくまで同じ土俵で、演奏技術を競うだけです。
翻訳も同じことだろうと思います。
レベルと料金の兼ね合いで、各人にふさわしい仕事が行く。
ただ、後半に書かれた「裾野と頂」の問題は、
翻訳に関係なく、非常に心配しています。
中国人、インド人など、日本語ができて優秀な人材が
たくさんいる中、日本の若者はまともな就職ができるのか。
入社したあと、組織の中で能力を高めるような
機会が与えられるのか。
自分の就職の時は、単純な仕組みだったと思いつつ、
自分の子どもの就職を今から心配しています。
投稿: たえ | 2010年7月 7日 (水) 18時50分
たえさん、
>中国人、インド人など、日本語ができて優秀な人材が
>たくさんいる中、日本の若者はまともな就職ができるのか。
>
>入社したあと、組織の中で能力を高めるような
>機会が与えられるのか。
そうなんですよねぇ……
ウチも上の子が中学生になってそろそろ大人の仲間入りをして欲しい段階にはいってきたんですが……これがなんとも。勉強とか努力とか、自分が自分のためにやるものであり、だからこそその成果も自分に戻ってくるものだと思うのですが、どうにも「やらされている」であり、うまくできなければ「やらせた人が悪い」であり……なんか、翻訳学校悪者論と近い雰囲気を感じて困っております。ウチの子だけが特殊というわけではなく、どうもほかのお家も同様の状況らしくて。
こういう考えのまま大人になっちゃった人が翻訳者の世界にはいってきたら、自分で努力する意欲のある中国人やインド人に食われるのも当たり前だろうなぁとか思うんです。ダイヤも磨かなければただの石ですし、自分という原石を磨けるのは自分だけですからね。
>自分の就職の時は、単純な仕組みだったと思いつつ、
>自分の子どもの就職を今から心配しています。
同感です。そういう意味では、自分は幸せだったというか、昔はよかったというか(←年寄りの愚痴?^^;)
投稿: Buckeye | 2010年7月 8日 (木) 10時32分
たえさん、Buckeyeさん、
お二人のやりとりを読んでいて、「坂の上の雲」のモチーフとバブル期前後での日本人の意識変化をふと思い出しましたwww。
'80年代前半頃までに成人した人なら共有できる感覚かも?
>自分の就職の時は、単純な仕組みだったと思いつつ、
>自分の子どもの就職を今から心配しています。
>> 同感です。そういう意味では、自分は幸せだったというか、昔はよかったというか(←年寄りの愚痴?^^;)
投稿: あきーら | 2010年7月10日 (土) 09時40分
あきーらさん、
日本人にハングリー精神がなくなった、ということでしょうか。
そういう面はあるかもしれませんね。ただ、それならそれで、その中でしっかりがんばる人には、昔よりも上にゆける可能性が出てきたってことを意味するとも思うんですけどねぇ。いや、まあ、それも、各人それぞれの価値観なので、横からどうこう言っても始まらないのですが。
投稿: Buckeye | 2010年7月11日 (日) 10時22分
大連富田翻訳通訳事務所のブログです。
http://www.tomita-dl.com/j_index.asp
中国人による英語学習熱は、ガッツやハングリー精神で努力するので、過小評価できないと。(千元・イーアクセス会長ほか)
投稿: snowbees | 2010年7月26日 (月) 19時38分
伊和翻訳の亮介@Montottoneです。おひさしぶりです。
翻訳フォーラムなどでもこうした話題の中心がどうして英日・日英だけに、これまでは他人ごとのように聞いてきましたが、きっと既に、伊英<>英日、という英語仲介リレー式も中国をベースに始まっているんでしょうね。
自分の仕事を含め、将来について少し考えてみたいと思いました。
投稿: 亮介 | 2010年7月27日 (火) 17時06分
独和などは、独英までで、英語で読む、という流れは、以前から出てきていましたね。欧州言語同士だと、機械翻訳で様子をみて、本当に必要そうなものだけ発注ということもよくあるようですよ。英語以外から日本語にする場合、分野に特化した翻訳者を見つけにくい、というのが理由としてあがっていたのを覚えています。
投稿: Sakino | 2010年7月27日 (火) 18時50分
snowbeesさん、
私は根が体育会系で、トレーニングなしには何も身につかないって思うので、「ガッツやハングリー精神で努力する」のはとても大事だと思います。ひるがえって日本を見ると、自分でなんとかしようと努力する人の割合が減っているような気がして……って、なんか、典型的な「年寄りの愚痴」みたいっすね(^^;)
投稿: Buckeye | 2010年7月29日 (木) 07時00分
亮介さん、
日本の翻訳市場は英語と日本語の間がダントツの最大規模なので、どうしても話が英日・日英に片寄ってしまいますね。エッセンスとしては他言語でも同じように考えられることもあるとは思うのですが。
投稿: Buckeye | 2010年7月29日 (木) 07時03分