書くと安心する
今年2月、翻訳ミステリーの読書会というものに参加しました。友だちがときどき寄稿していると聞いて「翻訳ミステリー大賞シンジケート」というサイトにアクセスしたら、ちょうど、誰でも歓迎の読書会をするという告知があったので。
読書会自体は……翻訳ミステリーって私が読むものじゃないなと改めて確認したような次第で、まあ、なんというか、要するに場違いなところへ出てしまったわけで、なんともはやでした。ただ、途中でどなたか(こっち系では有名な翻訳家らしいのですが、名前、覚えられなかった^^;)からいい一言があったので、「ああ、出てよかったな」と思いました。
その一言が、表題の「書くと安心する」です。
第二部冒頭、メインキャラのひとりとして刑事が登場します。
ロサンジェルス市警察パシフィック署所属の部長刑事、レジー・ブルックスは今年四十二歳になるアフリカ系アメリカ人で、身長六フィート三インチ、体重二百二十ポンド、妻とのあいだに九歳と十二歳になる息子がふたり、勤務時間外にパートタイムで護身術のクラスのインストラクターを務め、また信仰に目覚めてからまだ日は浅いものの熱心なカトリック教徒でもある。
ここに対し、(↓)のコメントがありました(言葉は私の記憶によります)。
どういう人なのか最初に列挙してしまう。へたな作家によくあるパターンだ。書くと作者が安心するからね。
続けて(↓)とも。
うまい人はこんなことをしない。話の中で少しずつ、人物が見えてくるような作り方をする。宮部みゆきなど、どういう人物なのかがなかなか出てこない。あちこちに散っていて、最後までわかったようなわからないようなだったりする。そういう見せ方は、作者に自信がないとできない。
「書くと安心する」……ああそれ、耳が痛いと思ってしまいました。
訳文を書くとき、原文にこの単語があるからこの訳語、原文にこの表現があるからこの表現とついついあれもこれも書きたくなるわけです。そういうやり方で作った訳文は、訳語や表現が意味するものが部分的に重なり、二重、三重になっていたりします。(↓)のようなイメージです(って、わかるかなぁ……)
――― ――――― ――
―――― ―――
― ―― ―― ―――
これだけ重ねておけば訳抜けにはならないはずだし間違うこともないはず……って意識することはないと思うのですが、実質的にそういう訳文になってしまいます。その効用は「翻訳者が安心する」でしょう。
一方それでは、読む人にとって、回りくどくて何が言いたいのかわかりにくくなってしまいます。
簡素化というのは、不要なものを削り、必要なものの言葉が聞こえるようにすることだ。
先日、私が翻訳し、もうすぐ日本語版が出る書籍に紹介されていた、ハンス・ホフマンという画家の言葉です。必要なものがそこにあればいい、どこかにはいっていればいいわけじゃありせん。不要なものを削らないと必要なものの言葉が聞こえるようにはならないのです。でも、あるものを不要だと判断するのは怖い。何か抜けているのではないか、抜けていると指摘されるのではないかと思ってしまう。だから、「念のため入れておこう」となりがち。まさしく、「書くと安心する」です。
でも、我々の仕事は「読者に読んで理解してもらってナンボ」です。自分が安心するために仕事をしているわけじゃありません。自分が安心するために言葉を重ねていないか、常に自問しながら仕事をしないといけないなと思います。この単語の意味はこちらの単語に包含される、この単語の意味は語尾のちょっとしたニュアンスで表現されるなど、重なっているものを削りおとし、すっきりさせたほうが、さらっと理解できる文章になって読者のためになるわけですから。
| 固定リンク
「翻訳-スキルアップ(各論-品質)」カテゴリの記事
- テトリス(2018.06.08)
- 翻訳フォーラムシンポジウム2018――アンケートから(2018.06.06)
- 翻訳フォーラムシンポジウム2018の矢印図――話の流れ、文脈について(2018.05.31)
- 翻訳フォーラムシンポジウム&大オフ2018(2018.05.30)
- 翻訳メモリー環境を利用している側からの考察について(2018.05.09)
コメント
こんにちは。
―*― ―*――― ―*
*――― ―*―
― ―― ―― ―*―
重複していないところを*にしましたが(合ってるかな)、そういうことですよね。原文の内容を日本語で一から書き起こしたとしたら不要な表現が混じっていないか、原文言語を母国語とする読者が原文を読んで受け取る情報量を訳文が超えていないかということですね。それができるようになるには、しっかりとした、人に説明できるだけの根拠と自信が必要です。もっと勉強しなくっちゃ。
投稿: safkin | 2010年6月23日 (水) 08時05分
はい、そんな感じです。
>原文言語を母国語とする読者が原文を読んで
>受け取る情報量を訳文が超えていないか
そういう側面もあります。あと、言葉というのは下手に情報量を増やすと実質的に伝わる情報量が低下するという問題があるわけです。そのあたりも勘案すると、「翻訳の場合、原文と違うことを言わない範囲で簡にして要がいい」とでも言えばいいでしょうか。
投稿: Buckeye | 2010年6月23日 (水) 08時30分
そうだ。うっかりしてました。いろいろ重複といえば有名なの(↓)がありました。
“いにしえの昔の武士のさむらいが 山の中なる山中で 馬から落ちて落馬して 女の婦人に笑われて 赤い顔して赤面し うちへ帰って帰宅して 仏の前の仏前で 短い刀の短刀で 腹を切って切腹し 死んであの世へ行っちゃった”
これなんか、重なっている部分が並んでいるからおかしいだけで言いたいことはわかりますが、重なる部分を線で結んだらその線があっちもこっちもクロスするとか、1個所から複数個所に線が引けるとか、そんな重なり方をしていたらとても読みにくくなるはずです。そうでなくても、分厚い文書、全部がこんな書き方されていたら、読む気、なくなりますよねぇ。
投稿: Buckeye | 2010年6月23日 (水) 08時38分