日本語はあいまいで非論理的か
翻訳者の話では、よく、日本語はあいまいで非論理的、英語のほうが明快で論理的といった議論があります。特に日英翻訳のとき、日本語はあいまいでそのままでは英語にならない、いろいろと補わないといけない、日英翻訳の日本語原稿は99%悪文だとまで言った人もいます。
本当にそうなのでしょうか。
どういう仕事をしているのかによっていろいろなので、99%悪文だと言われた翻訳者のところに来る日英の原稿は本当に99%が悪文なのかもしれませんが……でも、世の中、翻訳の原稿となる日本語の99%が悪文ということはまず考えられません。産業翻訳の原稿となるのは基本的には他人とやりとりするために書かれた文章のはずです。その99%が意味不明の悪文なのであれば、それは文書が書かれた目的を達成できないということであり、それはとりもなおさず、日本経済も日本社会も立ちゆかないことを意味します。
ひるがえって現実を見れば、日本経済も日本社会もそれなりにきちんと動いています。つまり、日本語の文書もそれなりにきちんとしているということでしょう。
●日本語は「状況依存性・文脈依存性が高い」「柔軟性が高い」
日本語はあいまいなのではなく、文脈依存性が高いのだと私は考えています。
ついでに付けくわえれば、文脈に支えられた状況であれば少ない言葉数で必要な情報を伝えることができる……つまり、伝達効率が高いのだとも思います。
さらに付けくわえれば、日本語は柔軟性が高いので、文脈依存性を引き下げる書き方も可能です。ただし、それを突き詰めればくどくどしくて何が言いたいのかわからない、読みにくい日本語となります。文脈依存性を引き下げるための言葉がノイズとなるからです。もちろん逆に、文脈依存性を高めすぎても理解されにくくなります。文脈が把握できない人には理解できないからです。
●悪文
ところで「悪文」ってなんでしょう。
言語としての悪文は、コミュニケーションがとれない、あるいはコミュニケーションに障害がでるものを言うのだと私は思います。日本語の場合、やりとりする双方が文脈を理解していれば少ない言葉数で必要な情報を伝えることができます。文脈を理解できない人には意味不明であっても、それは悪文ではありません。
こういう話でよく出てくるのが「どさ」「ゆさ」というやりとりです。「どちらへお出かけですか?」「ちょっとお風呂へ」という感じの東北弁とのこと。まあ、これは極端というかジャーゴンの世界で例としてはまずいかもしれませんね。
では(↓)などは?
「こっちは私が途中でなんしてきたものだからアレだけど……まあ、そんなものなので……よろしく」
「わかりました。ありがとうございます」
前半など、何がどうなっているのかわからないと言えばわからないわけですが、でも、やりとりをしている本人たちには理解できるわけです。ちなみにこれはウチに来た80過ぎの義父と私の会話。どういう話かわかったからお礼を言っているわけです。
我々が目にする日英の原稿も、ある意味、この世界です。技術者同士では通じるけど、その分野のことをよく知らない翻訳者、社外の人間には細かい文脈がわからなくて理解しづらい。それだけのことが多いはずです。
たしかに、その日本語を文脈依存性が低い英語に置き換えたければ文脈を推測して補う必要があり、頭フル回転で大変なことになります。
でも、それだけのことであり、日本語原稿がみんな悪文というわけでもなければ、日本語があいまいだという話でもありません。
●英語の特徴は日本語と逆
ちなみに英語は日本語の逆。文脈依存性が低く、柔軟性も低い。だから伝達効率が極端に高くなることはないが、逆に極端に低くなることもない。そういう言語だと思います。
英語は基本的にくどいと言ってもいいでしょう。だから、英日翻訳のときには、英語で表に出ているものをかなり削ってあげないと自然な日本語になりません。原文に書いてあるからと何でも訳文側に出してしまうと、わかっていて書かないはずのことがわざわざ書かれている→そこに何かの含意があるという感じがしてしまいます。ところが産業系の翻訳では、そんな含意などないことが明らかなことが多い。そうすると、読者は、「含意がある」という言語からのメッセージと「含意がない」という内容からのメッセージにはさまれてとても居心地の悪い思いをすることになります。間違ってはいないけど……という翻訳によくあるパターンかもしれません。
なお、英語は文脈依存性が低いわけですが、文脈依存性がないわけではありません。言葉だけからでは2種類の異なる意味にとれてしまい、どちらなのか判断がつかない。そういうことは英語でも珍しくありません。
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コメント
こんにちは。
社内文書、投資家向け文書など日英翻訳(金融関係を中心に)をやっていますが、「何を誰に伝えたいのか」さえ、読み込むことが出来れば、「足し算・引き算」しながら、訳してゆくことは可能だと思いますし、実際やっています。
全く文脈が分からないような社内文書でも、書かれている分野に関する知識があれば、行間を読むことは出来ます。不足している処をリサーチして埋めることも比較的短時間で出来ます。
最近、技術系の日英翻訳を知り合いに頼まれて行いましたが、ストレスがもの凄く溜まりました。日本語はちゃんとしているのですが、書いてある内容が十分理解できないため、単語の寄せ集めのような翻訳(翻訳と言えるのかどうか?)となったからです。これは私にとっては「悪文」だと思います。
投稿: takey | 2010年6月20日 (日) 10時55分
takeyさん、
もともと書いた人、それを読む人にとっては悪文でなくても、それを訳そうとする人にとっては、周辺知識がなくて悪文になるということはありますね。翻訳者としては、そういう悪文の仕事は避ける、つまり自分が専門とする範囲に絞って仕事をすることが大事なんだと思います。
知り合いからとかだったりすると、ある程度、仕方がないところがありますが。
投稿: Buckeye | 2010年6月22日 (火) 07時48分
日本語は構造的にあいまいな文だらけですよね。
「ネコが人間にゆっくりまばたきを返したら愛されている証拠」というネットで見かけたありふれた日本文を翻訳ソフトにかけると次のようになりました。
◆The evidence that a cat is loved if a blink is returned to man slowly(Excite翻訳),
◆Evidence that cats are loved If you return the blink slowly to human(Google翻訳)◆The evidence that is loved if a cat returns a blink to a human being slowly(Yahoo翻訳)
上二つではa cat is lovedという意味に解釈されています。主語は「ネコが」しかないからでしょう。Yahooなんか愛されてるのは証拠だと分析している。それも構造的にはありえます。だって「愛されている証拠」なんだから。これを見ていると,ふつうの日本語が他言語にちゃんと機械翻訳できる日は遠そうです。なにせ翻訳しようにも肝心な情報が欠けているんですから。
投稿: 彦根正人 | 2015年5月13日 (水) 01時10分
例示1文で「構造的にあいまいな文『だらけ』」と言えるのかとか、例示された1文がそもそも典型的な、あるいはまっとうな日本語と言っていいのかとか(英語からの翻訳というプロセスの影響を受けている可能性が否定できないと思います)、構造的にあいまいかどうかの判定を翻訳ソフトでやるのがいいのかどうかとか、疑問な点が山のようにありますが、とりあえず、そのあたりは全部横に置いておきましょう。
「肝心な情報が欠けている」とのことですが、具体的に、どの情報が欠けているとお考えでしょうか。「主語は「ネコが」しかないからでしょう」というあたりと関係がありそうだと思いますが、いかがでしょうか。
投稿: Buckeye | 2015年5月13日 (水) 09時51分
お返事ありがとうございます。
「肝心な情報」とは「愛されている」の主語です。それが明示されていないので,構造的には「猫」なのか「人間」なのか「証拠」なのか不明です。英語ならIf your cat blinks back at you, it means "it" loves you.のように言うでしょうから,lovesの主語も目的語も義務的に表現され,構造的あいまい性はありません。
私は例1つで日本語があいまいな文だらけと言っているのではなく,日本語があいまいな文だらけであることの例を1つあげたのです。また(これは私の直観にすぎませんが)この文を普通の日本人が読んでも「まっとうな文ではない」とはあまり言わないだろうと思われます。
投稿: 彦根正人 | 2015年5月13日 (水) 11時23分
ブログ本文にも書いていますが、英語が明示するものをしていないからといって、日本語があいまいということにはならないと思います。
彦根さんは、元サイトのページ全体(↓)を読まれても、なにが「愛されている」のか、おわかりにならないのでしょうか?
http://news.livedoor.com/article/detail/10104375/
投稿: Buckeye | 2015年5月13日 (水) 11時48分
お返事ありがとうございます。
私は「日本語は構造的にあいまいな『文(=sentenceのつもりです)』だらけですよね。」と書きました。ページ(=text)全体の話をしているのではありません。syntaxのことを言っているのです。syntactic ambiguity(Wiki参照)の話です。もっとも「文」という語自体があいまいだったかもしれません。英語でsentenceと書いていれば誤解はなかったでしょう。
投稿: 彦根正人 | 2015年5月13日 (水) 20時27分
そういうお話ですか。であれば、たしかに、彦根さんがおっしゃるようなことにしかなりませんね。なんというか、男性が女性服専門店に行けば体に合う服がないとなげかざるをえないようなもので。
投稿: Buckeye | 2015年5月13日 (水) 22時11分
ずいぶん前の記事ですが、ふと見返して気になったので。
「男性が女性服専門店に行けば体に合う服がないとなげかざるをえない」というのは、「英語の文法で日本語を解釈したらおかしくなるのは当然」という意味です。突然の例でなにが言いたいのかよくわからんと思う方もおられるかなと思うので、念のため、補足しときます。
投稿: Buckeye | 2018年1月21日 (日) 07時59分