誤解されやすい翻訳業界の常識-直訳 vs. 意訳
翻訳業界では意訳と直訳、どちらがいいかという議論がよくありますが、ほとんどの場合、議論がかみ合わずに終わります。その理由は、意訳と直訳で意味する内容が人によって異なるからです。意訳にも直訳にもいい意味と悪い意味があると言ってもいいでしょう。
- いい意味で使われるときの意訳
- 原文の「意」をくみ、それがきちんと伝わるように翻「訳」されている
- 悪い意味で使われるときの意訳
- 原文にない情報が付けくわえられていたり原文にある情報が削られていたりして、原文とは意味内容がまったく異なる訳文になっている
- いい意味で使われるときの直訳
- 原文に書かれている内容がそのまま「直」に表れた翻「訳」
- 悪い意味で使われるときの直訳
- 原文が思い浮かぶ訳文であるとともに、訳文だけを読んだのでは意味不明であり透けて見える原文を思い浮かべて初めて意味が取れる訳文
いい意味の意訳と悪い意味の直訳を比較すれば意訳がいいことになるし、悪い意味の意訳といい意味の直訳を比較すれば直訳がいいことになります。当たり前ですよね。でもそういう議論からは、仕事でどういう方針にしたらいいのかが出てきません。
私は「意訳 vs 直訳」という二項対立ではなく、以下のように3つに分けて考えるべきだと思います。
- 翻訳
- いい意味で使われるときの意訳、いい意味で使われるときの直訳。
- 字面訳
- 悪い意味で使われるときの直訳。
- 勝手訳
- 悪い意味で使われるときの意訳。
「意訳 vs 直訳」という二項対立にせよ、「翻訳 vs 字面訳 vs 勝手訳」という三項対立にせよ、いい・悪いの判断のベースになるのが、翻訳の基本としてよく挙げられる「何も足さない、何も引かない」です。
ここで問題になるのが、何をもって「何も足さない、何も引かない」というか、です。単語の並びなど、形の上で「何も足さない、何も引かない」ようにすれば、それは字面訳にしかなりません。翻訳では内容レベルにおいて「何も足さない、何も引かない」ようにしなければならないのです。
以下の式を実現するのが翻訳だ、と言ってもいいでしょう。
原文を読んだ読者が受けとる情報(=著者が伝えたいと思った情報)
= 訳文を読んだ読者が受けとる情報
"fly ash"がボイラー技術者向けの文書に出てきたとき「フライアッシュ」と訳すのは翻訳です。専門用語としてこれが定訳ですからね。これが小学生向けの文書に出てきたとき「フライアッシュ」と訳すのは、定訳で思考停止した字面訳と言っていいでしょう。何年生以上が対象読者であるかにもよりますが、「(えんとつに向けて)とんで行くはい」くらいにはしておくべきだと思います(「煙突」は中学、「灰」は小6、「飛ぶ」は小4で習う漢字)。これをたとえば「飛び散る遺骨」などとしたら勝手訳です(かなり苦しい例ですが……)。
"fly ash"より身近な例として、こういう話でよく引き合いに出されるのが"boiling water"です。
字面では「沸騰している水」ということになりますが、違和感、ありませんか? 普通の日本語では、沸騰させたらもう水ではなく、お湯です。カップ麺の作り方で「沸騰している水を注ぐ」としても食べられないものができてしまうおそれはないと思いますが、「沸騰しているお湯を注ぐ」くらいにはしたいところです。印字面積が限られているカップ麺の表面に印刷する文章なら「熱湯を注ぐ」あたりがベストでしょう。
ついでなので、「沸騰している水(お湯)」の「している」という部分をいろいろに言い換えてみましょう。
- 沸騰している水(お湯)
- 沸騰した水(お湯)
- 沸騰させた水(お湯)
間違ってはいないという低レベルの話ではありますが、パッと見たところ、どれも同じくらいには使える気がしませんか?
「沸騰している水(お湯)」「沸騰したお湯」「沸騰させたお湯」なら、実際的な損害が出ない程度には大丈夫だと思いますが、これ以外は危ない訳になります。特に危ないのが「沸騰させた水」。「湯冷まし」と取られる可能性があるからです。湯冷ましで作ったカップ麺なんて、食べたくないですよね。「沸騰した水」も若干、危ないですが、「沸騰させた水」ほどではないでしょう。
なお、"boiling water"は常に「お湯」系の訳し方をすべきかというとそうではありません。"boiling water"が化学系や産業系の話で出てきたら、逆に、「沸騰しているお湯」は変であり、「沸騰している水」などとすべきです。"boiling-water reactor"は「沸騰水型原子炉」ですし、ビーカーに用意するのは「沸騰している水(純水)」であってお湯ではありません。「ビーカーに沸騰しているお湯を用意して」としても実験が失敗するおそれはないと思いますが、実験の説明書を書いた人のレベルを読む人が思わず疑ってしまう=原文を読んだ読者が受けとらない情報まで訳文を読んだ読者が受けとることになり、「何も足さない、何も引かない」の原則から外れることになります。
蛇足ながら……実験後の様子までが描かれていて、ビーカーでお茶を入れるなんて展開であれば、「ビーカーで沸かしたお湯」など「お湯」になりますね。ビーカーでお茶なんて有り得ないと思う人もいるでしょう。もちろんヤカンがあればそっちを使うんですが、たまにやったりするんですよ。自分でやったことも、そうやっていれたお茶をもらったこともあります。
このあたり、「誤解されやすい翻訳業界の常識-訳文に、翻訳者の解釈を入れてはならない」と「誤訳とは?」でも少し触れています。
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コメント
思い出したので。
「逐語訳」というのも、よく使われますね。
これの意味も、文脈依存的ですが。
また、思い出したら書きます。
投稿: Sakino | 2010年8月18日 (水) 22時10分
昨日、発見したブログ。楽しく読んでいます。たくさん参考になる情報をありがとうございます。
これ:
「普通の日本語では、沸騰させたらもう水ではなく、お湯です。カップ麺の作り方で「沸騰している水を注ぐ」としても食べられないものができてしまうおそれはないと思いますが、「沸騰しているお湯を注ぐ」くらいにはしたいところです。」
問題は、水とお湯の違いではない。お湯とお湯なのです。
40度Cのお湯もあれば、99度C のお湯もある。すなわち、「沸騰している水(又は湯)」という翻訳は妥当だと思います。
REQ
投稿: Real Estate Queen | 2016年8月 4日 (木) 15時59分
最後まで読まないでコメントをあわてて書きました。あとでもう一回読んだら、
カップ麺の表面に印刷する文章なら「熱湯を注ぐ」あたりがベストでしょう。
これが勿論一番正しい表現です。
最後まで読むべきですね。。。
REQ
投稿: Real Estate Queen | 2016年8月 6日 (土) 21時07分
とても素敵なお話をありがとうございました。
内容を読んでいる間に、おなかがぐぅぅーとなりました。
カップラーメン「が」たべたいなぁ!
顔文字のキーボードの使い方が、、田舎者にはITはむずかしいでぇす。
投稿: yoko matsunami | 2016年11月 9日 (水) 15時16分
誘惑に負けて、つい、カップラーメンに手を(笑)。
おなかがすいていたので、「お湯が沸騰する」のが待ちきれずポットの中の50度くらいの「お湯」を注いでしまいました。
結果、何分待っても、100度のお湯の時のようには出来上がらず、硬いような味のないような「なんだかなあ」のカップラーメンをおなかの中にしまい込むことになりました。(笑っちゃいました。)
やっぱり、取説はとっても大事やし、取説どーりに作業しないとあかんし、取説の翻訳をやっているときは、その先の多くのお客様のことを想って(「思って」ではなく)仕事をせなあかんのやな、と、田舎なまりで、かんがえながら、次にカップラーメンを作るときは、やっぱりじっくりお湯をわかしてから(水を100度に達するまで沸騰させてから、笑)作ってやるぞ!と、固い決意を胸に秘めた週末の夜の出来事でした(そんなことでか!)。
井口先生の奥様のお支えがとっても素敵なんだから、素敵なおしごとなんやろな、ということは、想像に難くありません。
素敵な文章をありがとうございます!
山岡先生の翻訳通信の文章と高橋先生の文章と井口先生の文章と、どれほど多くの先達の先生方の文章があって、現代日本語の礎が築かれたのかを考えると気が遠くなりそうな気がします。
逐語訳の問題と意訳の問題は中国語を含めたインドヨーロッパ語属と日本語と(ハングルもでしょうか)の文法構造であったり論理構成の問題であったり、突き詰めて考えれば、その文明や文化の構造や成立過程、人類学やその国固有の精神構造の問題までの考察が本来は必要だったりするかもしれないので、とてもむずかしいなあと思います。
答えが存在するように見えて、実はないような気もします。文章には一人一人の個性がにじみ出ているので、そこのところもちゃんと訳そうとすると、難しい問題もあったりします。
そこのところに機械翻訳が実現可能かどうかの問題も絡んでくると思うので考え込むと眠れなくなります。
でも、「I love you」を「月がきれいですね」とは絶対に機械翻訳では訳しますまい!
ぼおっとしているばかな私では、そんなこと言われても、なんにもわかりません!
はっきり「大好き」って言ってほしいかも。
(口下手な主人は「絶対そんなこと、言えれん。恥ずかしいわい」と言っていました。笑)
再度にはなりますが、まことにありがとうございました。
(次に、カップラーメンを作るときは、絶対おいしく作って見せる!
とワンピースのルフィー風に宣言してみるぅっ!笑)
投稿: yoko matsunami | 2016年11月13日 (日) 05時34分
長文失礼いたしました!
(ぐつぐつ煮え詰まった、名古屋名物、赤みその味噌煮込みうどん状態なのです(えへへ!!!)
英語の元文Aからトラドスに乗っかっている英語の原文Bに文章をそのまま複製コピーすれば、誰もが楽なのに、英文同士で書き換えられている理由がまったくわからず、煮え詰まっています。そんな先例もあるのかもしれないし、著作権の問題なのかしら、ともおもいますが、テクニカルな文章なので、文章を変更しないほうが正解なのではないかと、個人的(素人考えかもしれないけれど、、)には思ってしまいます。
研究開発の現場に実際にいらっしゃった方のお立場からはどのようにお考えなのでしょうか、、。原文がすべてですから、原文に即して訳せばよいのでしょうが、実際に設備を動かしたり整備するときに現場の方の使いやすい取説でないと、結局意味がないように思います。
ただ、独りよがり文章になるのが一番いけないことだと思います。
文書をを最終的にお使いいただくお客様にとって正確な情報が読みやすい形で提供できたら最高なのですが、いまだ迷い道の中、霧の中を迷いながら歩いている感じの駆け出し人間の世迷言です。
長文、失礼いたしました(ぺこり)。
投稿: yoko matsunami | 2016年11月13日 (日) 11時04分