収入不安定性の低減について
もうずいぶん前のことになりますが、技術者から翻訳者へのシルクロードに「受注ルートの多様性確保による収入不安定性の削減」という記事がありました。
ある受注ルートから得られる収入の不確実さを、ここでは正規分布における標準偏差として取り扱い、各受注ルートからの発注量および誤差には相関がないものとする。すなわち、すべてランダム誤差であって、系統的な誤差は含まれないものと考える(これは現在のような大不況期には適切とはいえない仮定だが、十分高い頻度で声をかけてもらえる翻訳者にとってはある程度通用すると期待してもよかろう)。
この場合、合成誤差は、各受注ルートが持つ誤差の2乗の総和の平方根となる(注:線形組み合わせ時の誤差伝搬の法則より)。
各受注ルートから得られる収入の誤差を30%と考えると、
受注ルートが1社の場合、誤差は当然±30%。
2社から同程度の比率で請ける場合、誤差は21%に低下。
4社から同程度の比率で請ける場合、誤差は15%に低下。
8社から同程度の比率で請ける場合、誤差は8%に低下。
16社から同程度の比率で請ける場合、誤差は4%に低下。
数学的にはそうなるのですが、実務的には少し違うというかこれに加えて考えるべきことがあるように思います。それは、「自分の処理量に限界がある」という点です。この点について、まず、打診を断れるのか基本的に断れないのかでわけて考えてみます。
■条件別(断れる・断れない)の検討
●打診を基本的に断れないとき
ソースクライアントから直接受注している場合や翻訳会社経由でも指名ジョブばかりといった場合がこのケースに属します。
この場合、瞬間的なピークの高さが一番の問題となります。たとえば、ノーマルペースの1.5倍が最大処理量だとして、1社からの案件でノーマルペースの7割が埋まるとすると……受注ルートは2本が限界となります。3本にして重なると、ノーマルペースの2.1倍と、とてもじゃないけど処理できないレベルになってしまうわけです。
ピークを抑えようと受注ルートを少なくおさえれば……谷が深くなることは避けられません。ソースクライアントの直接受注に乗りだしても意外なほど売上が増えない理由のひとつです。
●打診を断れるとき
翻訳会社経由でごく普通に受注している場合がこのケースになります。
この場合は、各受注ルートから打診される案件量が大きく効いてきます。
各受注ルートから得られる収入の誤差を30%と考えると、
受注ルートが1社の場合、誤差は当然±30%。
±30%ということは、その受注ルートから打診される案件がすべて処理可能という前提を意味します。では、その受注ルートから打診される案件の量が、仮に、自分のノーマルペースの1.5倍だったとしたら? 打診量がミニマムでも150%の30%減=105%。実質的に収入減はないことになります。
もちろん、現実にそんなことはありえません。1社なら打診量も把握しているわけで、あきらかに頼めない案件を次から次へと頼むことはありえないわけです。現実には、「ときどき断られる」くらいのペースになるでしょう。その場合、たとえばノーマルペースの1.5倍が最大処理量だとすると、おおざっぱには±30%の+30%がノーマルの1.5倍となるペース、つまり、150%/1.3=115%が中心になると考えていいでしょうか(年間を通じた話と瞬間瞬間の話が混じっているのでややこしいですが……)。この場合、誤差は±30%と言ってもいいし、-20%~+50%と言うこともできます。
じゃあ、2社から同程度の比率で請ける場合はどうなるでしょうか。2社を合成した年間の受注量の変動は±21%。つまり、+21%がノーマルの1.5倍となるペース、150%/1.21=124%が中心。つまり、誤差は±21%と言ってもいいし、+3%~50%と言うこともできます。
受注ルートが1社→2社で何が変わるのかでは、変動幅が減っただけでなく、変動の中心が上に動いている点に注目すべきでしょう。これが3社になれば、変動の中心はさらに上昇するはずです。もちろん、受注ルートが増えれば重なって断ることが増えるので各社からの打診ペースに歯止めがかかり、計算ほどには平均が上昇することはないと思いますが、それでも、上昇する可能性が高いとは言えそうです。
■ノーマルペースについて
ここまで「ノーマルペース」という言葉を定義もせずに使ってきました。定義の仕方はいろいろあると思いますが、まあ、「年間を通じた平均で1日に処理する/したい量」くらいに思えばいいでしょうか。これに平均単価をかければ年商(あきーらさんの「収入」)になるわけです。
逆に、自分が望む年商を平均単価で割れば、必要となる「ノーマルペース」が出ます。これを「所要ペース」としておきましょう。
所要ペースが自分の最大連続処理量を超えていれば、当然、希望年商は得られないわけです。年商を希望レベルにしたければ、単価か処理量あるいは両方の引き上げを実現する必要があります。
所要ペースが自分の最大連続処理量に等しければ……これでも希望年商が得られないことは、前述の計算から明らかでしょう。翻訳会社は「ときどき断られるペースで打診する」と考え、あきーらさんの仮定で計算をすると(↓)のようなります。
- 受注ルートが1社……希望年商の77%を中心に、54%~100%で変動する
- 受注ルートが2社……希望年商の83%を中心に、66%~100%で変動する
- 受注ルートが4社……希望年商の87%を中心に、74%~100%で変動する
これが、自分の最大連続処理量が所要ペースの125%だとすると、(↓)のようなります。
- 受注ルートが1社……希望年商の 96%を中心に、64%~125%で変動する
- 受注ルートが2社……希望年商の103%を中心に、82%~125%で変動する
- 受注ルートが4社……希望年商の109%を中心に、92%~125%で変動する
前述の計算と同じ、自分の最大連続処理量が所要ペースの150%だとすると、(↓)のようなります。
- 受注ルートが1社……希望年商の115%を中心に、 80%~150%で変動する
- 受注ルートが2社……希望年商の124%を中心に、103%~150%で変動する
- 受注ルートが4社……希望年商の130%を中心に、111%~150%で変動する
■収入不安定性の削減方法
こうしてみると……あきーらさんが分析された「受注ルートの多様性確保」以外にも何点かポイントがあることがわかります。
●断れる受注ルートを確保すること
ソースクライアント直接で高い単価を取るとしても、断れないので受注ルートを増やせません。結局、谷が深くなり、意外なほど年商は増えません。できないときには断れる受注ルートも確保し、そちらで谷を埋めることを考える必要があります。
●受注ルートの多様性確保
これが収入不安定性を削減してくれることは、あきーらさんが分析されたとおり。
●最大連続処理量よりもかなり低いレベルが所要ペースとなる単価・スピード
「受注ルートの多様性確保」の適正レベルをあきーらさんは4社から8社と推測されています。仮に4社として、希望年商の100%を中心に変動するためには、最大連続処理量が所要ペースの15%増しでなければならない計算になります。
現実には「変動はすべてランダム誤差」という仮定は成立しない(季節変動など、それなりに共通する要因で動く部分があり、案件というのは重なるときは重なる)ので、そのあたりを考慮すると、最大連続処理量が所要ペースの20%から30%増しくらい欲しいところです。
「求めるべきは品質、スピードは結果としてついてくるもの」だと私は考えています。スピードを求めれば長期的に品質は下がり、それに伴って単価も下がってもっとスピードを上げなければならなくなる可能性に直面します。その行き着く先は、手が荒れて廃業。
■「最大連続処理量」について
最大連続処理量というのは、1週間、2週間、あるいは何カ月か、走り続けられるスピードを指しています。1日、2日なら処理できるがそのあとがくっとペースダウンせざるを得ない火事場の馬鹿力のことではありません。
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コメント
私が行ったごく単純な計算に欠けている点を詳しく考察していただき、ありがとうございます。
受注ルートを増やすことにより、予測収入の変動幅が減るだけでなく、変動の中心が上に動いている、というのは興味深い視点ですね。なんとなく実感と合っています。
ただ、現実の自分の収入ポートフォリオを見るに、直接受注の場合の「高レート、根回し・手間暇大、フォローアップ付き」と、エージェントを経由する場合の「低レート・速度最優先・打診拒否自由度大・相手多数」とで構成されており、今回のようなランダム誤差に基づく統計的分析が通用するのは後者に限られます。
前者はいつ作業の佳境期に入るかが予測しにくく、納品後も一定の余裕を見ておかないと思わぬ修羅場を余儀なくされたりします。
今後の方策としては、直接受注の成約に至るプロセスのスピードアップ、これが無理なら作業時期確定をできるだけ早め、かつ作業期間に余裕を確保することと思っています。レートアップよりも重要かと思います。
また、昨今のレート切り下げ圧力&打診頻度の低下も考慮すると、「一段低いレート・得意分野の打診頻度大・気兼ねなく断れる」相手先を最低一つ確保しておくことも案外大切かな~と思い始めています。
これが実現すれば、収入ポートフォリオは3つのグループに区分されていよいよ統計的分析が難しくなりますが、むしろそうなることが独立独歩のフリーランスになったという証でもあるのかな~~、などとも考える昨今です。
投稿: あきーら | 2010年5月15日 (土) 02時14分
いえいえ、お礼を言うのはこちらです。あきーらさんの分析があったからその先ができたわけで、いい導入をありがとうございます。
変動の中心が上に動くというのは、私も今回、こういう形で分析して初めて気づきました。あきーらさんと同じように、私も、なんとなく実感に合っていると思います。
直接受注は、ここで分析したように単純化するのは難しいですね。なんというか、いろいろな意味で変動が大きすぎて、まとめて分析するのは困難というところでしょうか。それだけに、やるならまずは控えめにして様子をみつつ、自分なりの最適ポイントを探すことが必要でしょう。私は、ソースクライアント直が95%くらいに達していた時期があるのですが、あのころはいろいろときつい思いをしました。
最終的に何をどう組み合わせるかも、単純化して分析するのは困難でしょう。でも、こうして部分を単純化して分析しておけば、組み合わせるときの目安もつけやすいし、組合せの割合を変えたときどうなりそうなのかの予想もつきやすくなります。そういう意味で、このあたりを分析しておくことには大きな意味があるんじゃないでしょうか。
投稿: Buckeye | 2010年5月15日 (土) 15時51分