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2010年5月14日 (金)

ワークライフバランスの3本柱化

このサイトのテーマ、仕事としての技術・実務翻訳と直接には関係がない記事ですが、仕事というものに対する考え方、立ち位置といったことになるので、趣味のサイトではなく、どちらかと言えばこちらに書くべきものだろうと思いました。

我が家ではワークライフバランスという言葉、不評です。「ワークライフバランスの言葉の意味について」でも紹介されていますが、この言葉、人によって定義が違います。というか、みんな、自分に都合のいい定義で語る、語れてしまう言葉です。それはスローガンとしてまずいでしょう。

もうだいぶ前のことになりますが、女性の再就職支援を行なうNPO法人、NOW for Empowermentというところが開催した「パートナーと考える-再チャレンジとワークライフバランス」にパネリストとして参加しました。主催団体に知り合いがいて出て欲しいと頼まれたものですから。

パネルディスカッションの打ち合わせを兼ね、お昼を食べながら雑談していたときにお話ししたことなのですが……本来取るべきは、「ワーク」と「ライフ」のバランスではなく、「カネになる仕事」と「カネにならない仕事」と「余暇」のバランスでしょう。

「カネになる仕事」というのは、一般に会社で仕事をするとか、ワークライフバランスにおいて一般的に「ワーク」で表される部分。

「余暇」はワークライフバランスにおいて誰もが「ライフ」に入れる部分。

「カネにならない仕事」は、ワークライフバランスにおいて、「ワーク」側に入れる人や「ライフ」側に入れる人がいる部分。いや、はっきり言えば、「そういうものがあると意識していない人が大半」で、「基本的にワークライフバランスの外にある部分」。そして、ごく少数、バランスに組みこもうとする人も意見が分かれている部分。具体的には、暮らしてゆくのに必要な作業がここにあたります。いわゆる家事・育児はここに含まれるし、今後大きな問題になってゆくであろう介護もここにはいります。

つまり、「ペイドワーク」と「アンペイドワーク」と「ライフ」、3本柱のバランスが取れなければならないというわけです。椅子だって3本足のバランスが取れていなければ自立せず、その上に乗ってる人はこけるしかありません。

実は昔、少子化の懸賞論文に夫婦で応募し、思いがけず最優秀賞をいただいたことがあります。

そのとき訴えたのも、ある意味、3本柱化でした。3本目の柱を社会が認めないから、建前はともかく本音では認めていないから、3本目の柱がいやおうなく大きくなる結婚や出産をためらう人が増えている、つまり少子化が進行しているというのが我々の主張でした。

もちろん、3本目の柱なんて、企業社会としては認めたくないわけです。現実にも認めていません。積極的にせよ消極的にせよ、3本目の柱がないと思っていなければ、「子育てのために残業が出来ないという女性は、プロになれない」という価値観なんて出てくるはずがありません。

目先は、3本目の柱など認めず、滅私奉公的働き方を求めるほうが、企業として、あるいは日本経済としては得だと言えるでしょう。というか、今までは得だったと言えます。しかしそろそろそのツケが回ってきた。先進国随一の少子化という形で働ける人を減らし、日本経済の競争力を削ごうとしている……そういうツケが回ってきた。そういうことだと我が家では考えています。

『ワークライフバランス』は決して福利厚生ではない!」をはじめ、少子化とワークライフバランスって、少子化だからワークライフバランスを取るべきって文脈で語られることが多いのですが、ホントは、ワークライフバランスが崩れている結果が少子化なんだと思います。

さてさて、今後も労働人口を減らしてゆくのか、それとも国全体として長期的な競争力を保つのか、どちらになるんでしょうね。

私は3本柱のバランスで立つことが許されない企業社会から逃げだし、フリーランスに転じることで3本柱のバランスを可能にしちゃったわけで。私個人にとってはもうどうでもいい話になってしまいましたけど、嫁さんにとってはまだ関係がありますし、子どもたちが大きくなったときの社会という意味もありますから、いろいろと気になってしまいます。

そう言えば……翻訳者の収入が一般に少ないという話のとき、「ワークライフバランスがとれることに価値があるから」という趣旨の反論をうけることがよくあります。いろいろな意味でなんだかなぁ、です。

ともあれ、最後に、我々が書いた少子化懸賞論文、「『弱さ』を受け入れる社会を目指して」から結論部分のみを紹介しておきます。この前の部分で統計面から、また、日常生活における経験面からさまざまな分析を行うとともに、最後には政策提言のような部分がくっついています。一応、提出した論文の著作権は主催の財団法人公共政策調査会に帰属することになっているので、図表を含む全文を紹介するわけにもいかず、結論部分のみにしておきます。

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5. 「弱さ」を受け入れる社会を目指して

上記の3つの事項(1家庭あたりの子どもの数の減少、子どもを持たない夫婦の増加、結婚しない人の増加)は、まるでバラバラに見えるが、一つの同じ原理から生じているという意味で、同じ事の3つの側面である。それは「効率優先社会の弊害」である。

日本は第二次大戦敗戦後、健常な働き手を生産の場に集め、彼らに一切の家庭責任を負わせずに仕事に従事させ、ひたすら効率を追求して、経済的な復興を目指してきた。そしてそれは幸い成功した。現代の国民はその成果のおかげで、経済的に豊かな生活を享受している。ところが、このシステムは思いがけないところで欠陥を露呈した。それが「少子化」である。

日本の社会は効率を何にもまして優先し、効率よく生産に従事できる人間を厚遇し、その妨げとなる者は邪魔にならないようにできるだけ生産の場から遠ざけてきた。また、生産に携わる人間には家庭責任を持たせないようにし、使いにくい家庭責任を持つ者は生産の場には参加させないようにした。その結果、働き手は120%の力と時間を仕事に注ぎ込むことになり、生活の場である家庭は残された者で維持することになった。これはほぼ完璧な分業主義であり、とても効率のよいシステムだった。

しかし、これは強者の論理を優先させる社会でもあった。生産に参加できない子ども、老人、障害者などの存在を組み込まない社会であった。車の付いた乗り物に乗らなければならないような子どもや老人、障害者は町中を動き回る必要はなく、混雑電車に耐えられない弱者は電車に乗る必要がない、とされた。社会的弱者への支援はあったが、それは一面では彼らを一定の場所に囲い込んでゆく働きでもあった。それ故に彼らにはとても生きにくい世の中となった。彼らの世話をする人間にも社会的支援は行われず、社会的弱者と同じ場で生きることが強いられた。

その結果、そうして社会の片隅に押しやられているのを拒否する人が増え始めた。「子どもがいると片隅に追いやられるのなら、子どもは産まない」ということだ。生産の場で効率よく働けるよう、合理的判断の訓練を積み重ねた結果、このような判断が生まれるようになったのだ。

家庭と生産を二分し、健常者とそれ以外を分けるやり方は、少子化という形で健常者を減らし、システム自体の存立を危うくしている。企業や政府は、このやり方が結局は自己破壊してゆくことにいい加減気づくべきだ。

これからは、生産の場と生活の場を近づける努力が必要になる。すなわち「弱さを受け入れる社会」の構築である。

世の中は、多様な世代で成り立っている。子どももいれば、老人もいるのが当たり前である。生まれつき障害を持った人も一定の割合で存在する。生きてゆく上では病気にもなり、病気の期間が短いときも長いときもある。そのような、生活の場に当然存在する効率の悪い部分、すなわち子ども、高齢者、病者、障害者などの存在を、「一時的な存在、例外的な存在」として社会的生産の枠組みから除外するのではなく、「人生の中で当然起こることであり、社会に当然存在する存在」と認め、その存在を前提とした社会を築くことだ。世の中の一部にすぎない健常な大人のための社会を守るのはもう止めよう。

結婚した夫婦が子どもを持つのは当然のことだから、出産・子育てと両立しうる働き方を、人は病気をするのが当たり前だから病気への対応を、人は年をとるものでそれを介護する一時期が人生にはあるのだから、それを可能にする制度が必要だ。

「健康で働き続けるのが当たり前、そうでない例外的存在となったら、社会参加はできない」という硬直化した効率のみを追求する生き方はもうやめよう。それくらい大幅に社会システムを変更しなければ、少子化の進行は止められない。出産祝い金といった小手先の施策や、保育園の増設だけでは十分な効果は上がらないのだ。

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コメント

そう言えば……私も、勤めていた石油元売会社を辞めるとき、専務から「仕事を続けたいのなら、子どもを作ったことが間違いだったな」と言われました。まあ、そういう体質の会社というか、いろんな意味で古き良き時代を引きずっていた会社であり、また、そういうところで専務(後に副社長。創業者一族以外では最高位)にまでなった人なのだから、そういう言葉が出てくるのは当たり前でしたけど。

「そしたら、あなたの年金、誰が払うの?」って思うと嫁さんは言ってましたが。

ああ、念のため申し添えておきますと、私は勤めていた会社、いいところだったと思ってます。いろんな意味で大きく世話にもなったし、あそこに勤めたおかげで成長して今があるのだし、受けた恩を返しきれずに辞めてしまったし、それを快く円満退社扱いにしてくれたし。あの時代、あの会社でなくても私が勤め続けられたとは思わないし。だからいまだにガソリンはその会社系のスタンドでしか入れないし、クレジットカードもその会社系のカード会社のものをメインにしているし。そうすれば、昔の仲間の食い扶持に少しでもなりますからね。

投稿: Buckeye | 2010年5月15日 (土) 14時16分

さすがBackeyeさんご夫婦、ものの見事に分析されていますね。
今日は本当に久しぶりの体調不良による半休で、薬飲んでも頭痛が止みません。3月頃から、特殊事情もあり夜9時10時の帰宅が続いていましたので、無理は止めました。

私が子どもを生んだのは、会社での上昇志向を持つのを止めたからです。
当時私は会社(既に転職後の中規模企業)初の女性課長の内辞を受けており、子どもを生んで働いている女性は皆無でした。私が生むことを決めて産休の話になった頃、その後の処遇をどうするかの会議まで開かれたそうです。
当時(約14年前)の大手以外の会社の制度とその後の処遇は、現在とは雲泥の差があり、泣ける程お粗末なものでした。当時の仕事が外株・外債のセールストレーダーという夜討ち朝駆け仕事だったこともあり、上層部が混乱している姿を見て出産後のその会社での鬱陶しい問題を色々想像し、妊娠8ヶ月で退職しました。

まあ、人生は良く出来たもので、Backeyeさんの元上司のようなタイプの方も、ご自分がある日突然倒れたり、交通事故にあったり、身内に色々なことが発生し、人生の遅い時期にやっと、自分もその立場になり、初めて解る方も多いようです。


で、出産後は、大学受験も失敗し、円高不況(古!)中の大変な就職活動も経験し、会社も辞めた普通の私こそが、何とかならないものかとやってきたわけです。つまり、優秀なほんの一握りの女性以外しか叶えられないと思われてきた事に対し、自分自身をアンチテーゼにし、子どもや人生を諦めて鬱々と家庭に篭ったしない社会こそ健全なのだ、と思い聞かせてやってきた実験が今の状態です。

傍から見たら、あの人どーなのよ?ときっと思われている私でも、何とか生息できています。体調悪い場合は限界まで我慢して体引き摺って会社行かず、休んでも大丈夫そうな日には半休か休みを取ります。今の古い会社の体質ではこれ以上女性は昇進できないことが解っていても、私よりかなりの高給貰っているはずの親会社からの出向者の上司に色々な仕事をお教えしながら(笑)、それなりに質の良いパフォーマンスを挙げて、ちょい自嘲気味になりますが自画自賛し、楽しくやってます。

投稿: メゾフォルテ | 2010年6月15日 (火) 10時56分

これはどうもm(_ _)m>メゾフォルテさん

いや、このあたりは嫁さんが特に……でして。まあ、夫婦ともこういう議論は好きなので、ふたりしていろいろなことについて議論していたりもしますけど。

それにしても、ホント、このあたりは配慮というか、おっしゃるとおり、いつか自分にも降りかかることだと思ってなんとかして欲しいですよねぇ。

投稿: Buckeye | 2010年6月16日 (水) 11時35分

ああやっちまいました、人の事言えない。頭痛でガンガンしながらコメントするものではありませんでした。

(誤)Backeyeさん→(正)Buckeyeさん
(誤)一握りの女性以外しか→(正)一握りの女性しか(若しくは)一握りの女性以外

まだありますがキリ無いので・・・大変失礼いたしました。

投稿: メゾフォルテ | 2010年6月16日 (水) 22時24分

そんなに気にすることじゃありませんよ。

仕事の最終成果物に残しちゃまずいですけど、ここはそういうところじゃありませんから。気軽に思ったことをやりとりするときに打ち間違いがあるのは当たり前というか、タイポに神経すり減らしてやりとりを減らすより書き流してやりとりを増やしたほうがいいと思います。

投稿: Buckeye | 2010年6月17日 (木) 06時29分

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