機械翻訳ソフト利用の評価-SATILAを実例に
機械翻訳ソフトを活用する代表例としてSATILAによる訳文を細かく見てきましたが、まとめるとどうなるでしょうか。
構造がごく簡単な文なら、トライアル合格レベルくらいの訳文にはなるようです。しかし、ここからが翻訳という作業をしていないため、ちょっと複雑な文になるととたんに意味不明になります。「ちょっと複雑」というのは人間にとってはすんなり理解できるけれども文脈などさまざまな絡みを持つものを含みます。
ここからが翻訳という作業とは、(↓)のようなことの確認を言います。
- 原文は全体として何が言いたいのか。
- 翻訳対象の1文は原文の中でどういう役割を担っているのか。
- 明示的・暗示的に原文で表現されていることが、訳文で過不足なく表現されているか。
- 対象読者は誰であり、その訳文で読者に伝わるのか、誤読される可能性はないのか。
なお、この作業はワンパスで流れるものではなく、循環的です。(「機械翻訳に関する天動説と地動説、そして解釈学的循環」)
機械翻訳ソフトの利用を推進する人たちは、「訳抜け防止」と「表記統一」が一番の目的だと主張されます。質が多少落ちても訳抜け防止と表記統一のメリットのほうが大きい、と(SATILAの場合は「質もあがる」と主張されていますが)。
翻訳ソフトを使わない場合に比べて訳抜けやミスが非常に少なく、また効率的に作業できるという点が違います。(読んで得する翻訳情報マガジン No.51、「山本ゆうじの翻訳道具箱」)
翻訳者は翻訳ソフトにより品質を向上できますが、その品質の向上とは用語や表現の統一および自動入力という、機械的な部分です。(読んで得する翻訳情報マガジン No.55、「山本ゆうじの翻訳道具箱」)
今回の訳例を見てみると、たしかに、単語レベルでの訳抜けはないようです。でも、我々の仕事は、「この単語の訳はここに入っている」と主張できるようにすることではなく、原文が持つ意味をターゲット言語の読者が読み取れるようにすることです。その一番の目的が果たせない状態で訳抜けがあるのないのというのは取るに足らない問題だと思います。
なお、SATILAでは、3年程度の実務経験を持つ翻訳者でなければ使いこなせないとされています(翻訳支援システム「SATILAプロアシスト」とは)。
この程度の文書量でボロボロ訳抜けをしているようでは、プロ翻訳者として仕事を続けていられないと思います。つまり今回程度の量では、「訳抜け防止に役立つ」といううたい文句が正しいか間違っているかの判断はできません。
表記については、(↓)のようにこの程度の文書量でも問題が出ています。
- 機械翻訳ソフトによるものかどうかの確認はできないが表記がばらついていた……同系統の翻訳において、連続するカタカナ語の間に半角スペースがあるものとないものがあった
- 機械翻訳ソフトを使ったがゆえに表記がばらついた……ユーザーが「low pressure compressor→低圧圧縮機」と単語登録したが、機械翻訳ソフトが「compressor→圧縮器」という訳語を使ったため、同一記事内で圧縮機と圧縮器が混在した
翻訳に対する考え方などを聞くかぎり、山本さんは翻訳者としてそれなりに力を持っていた人だと思われるし、その彼が「高品質」と言うのだからそれなりではあるのだろうと期待していたのですが、残念ながら、品質という面では見るべきものがないと言わざるを得ません。トライアルで1~2段落を訳してもらい、この程度の訳文があがってきたら、私なら文句なく落とします。というか、アレは、翻訳学校でクラスへの参加をお断りするレベルです。
まあ、私は比較的評価が厳しいかもしれないと思いますし、ローカライズは基準が異なるという話もあります。でも、さすがに今回の訳文が「ローカライズにおける標準的な品質レベル」だとは思えません(「思いたくない」とも言う^^;)。
万が一、これが標準的な品質なのであれば、私が今まで教えてきた翻訳学校の生徒さんたち、ほとんど全員が「実務経験3年以上のプロ翻訳者」に少なくとも匹敵する力を持つことになってしまいます。
結局、手を抜けば抜いたなりのことしかないということでしょう。(↓)のように主張されているので、もう少ししっかりしているのだと思ったのですが……
翻訳者は、翻訳ソフトを使うワークフローのすべてを完全に掌握し、自分の予想通りの訳文が得られるようにする必要があります。このためには、適切なユーザー辞書の構築と設定、また翻訳ソフトの癖を補正する外部的な整形フィルタやその他のツールが必要です。このような作業を、翻訳ソフトワークフローを「プログラミングする」と表現することができます。これは単なる比喩ではなく、翻訳ソフトの問題点を補うために、実際にWSHスクリプトやVBAマクロを作成して行う自動化が必須となります。ここでは、翻訳者の意思(すなわち適切な単語や表現の選択)を可能な限り正確に反映し、最小限の修正で完全な訳文にすることを目指します。このようにして作成された高品質な訳文からは、翻訳ソフトを使ったということはまったく判断できません。ただ翻訳ソフトを使わない場合に比べて訳抜けやミスが非常に少なく、また効率的に作業できるという点が違います。逆に言えば、翻訳ソフトを使ったことが分かるような訳文では困ります。適切なユーザー辞書、正しい設定、外部フィルタ、そして翻訳者による徹底的な確認のすべてがそろって、はじめて自然な訳文を効率的に作成することができます。
ただし、翻訳ソフトをうまく使いこなすには、原文を見て頭の中だけで訳文を構築し、翻訳ソフトの誤りを完全に指摘できる、最低でもTOEIC850以上の英語能力と、翻訳ソフトより常に自然な訳文を作れる実務経験3年以上の翻訳能力、それに加えて Word、Excel、エディタを自由自在に組み合わせてユーザー辞書、マクロ、フィルタを作成できる高度なパソコン技能が求められます。
(読んで得する翻訳情報マガジン No.51、「山本ゆうじの翻訳道具箱」)
特に「原文を見て頭の中だけで訳文を構築」については「脳内翻訳」という新語を造られて前面に押し出しておられます。でも、SATILAオートからSATILAプロアシストへの書き換え状況を見ていると、とても「原文を見て頭の中だけで訳文を構築」したとは思えません。アメリアのジョーク翻訳コンテストで入賞するなどされているとのことなので、ここまで意味不明の訳文が山本ゆうじさんの頭から出てくるとは思えませんし、「頭の中だけで訳文を構築」したらあそこまで機械翻訳ソフトの出力が使えるはずがないとも思いますから。
易きに流れるのが結局のところ人間の性であり、仕方ないとは思いますが、やはり、だからこそおかしなツールを使うと悪影響が大きいなと思いました。
通訳翻訳ウエブマガジン-「良い訳」と「問題がない訳」
基本に返って、「良い訳」とは何かということを考えてみます。「良い訳」は、さまざまな要素を持っています。実務翻訳の仕事の観点からは、「クライアントが求める翻訳」が「良い訳」ともいえます。つまりクライアントを満足させられる、ということです。しかし、翻訳者自身の観点からも「良い訳とは何か」ということを考える必要があります。そのために「良い訳」と「問題がない訳」を区別して考えるのがよいでしょう。「問題がない訳」はマイナスになる要素がない訳、「良い訳」とはプラスの要素がある訳です。「問題がない訳」とは、たとえば以下のような訳です。
- スタイル ガイドと用語集に従っている(訳語、表記、文体が統一されていることが前提)
- 誤りがない(原文の解釈、誤字脱字、「てにをは」などについて)
- 訳抜けがない
- 解釈があいまいでない(修飾関係など)
と書かれていますが、結局、機械翻訳ソフトを使ったがゆえに、
- 訳語がばらついた
- 表記がばらついた
- 原文の解釈を間違った
- 修飾関係などの解釈があいまいになった
と、訳抜け以外の全項目にミスが発生したわけです。一番のユーザーである開発者本人がSATILAの販売促進用に作ったと思われる資料でこれでは、普通の人が実際の仕事で使ったらどれだけミスが発生するのか、ちょっとこわいものがあります。
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コメント
山本ゆうじさんの『「クライアントが求める翻訳」が「良い訳」ともいえます』として『実際にWSHスクリプトやVBAマクロを作成して行う自動化が必須』と考える辺りが、無批判にスタイルガイドを受け入れてしまう方々の限界なのでしょう。そのせいかどうか知りませんが、実際、半角と全角の間にスペースを入れる、などというDOS時代の悪しき慣行がいまだ守られていたりします。産業翻訳のドキュメントに関わる人々がそれほど無能だとは信じたくないのですが、ドキュメント作業の上流でつまらぬルールを止めたり、使用文字種を正規化したりするだけで、トータルのコストはかなり下がるはずです。上流で決めれば簡単にできることが行われていないのは、多分、翻訳(ドキュメント)全般が現段階で経営の改善項目の上位にリストされていないからだと想像しています。
投稿: Euascomycetes | 2009年11月11日 (水) 20時05分