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2009年11月16日 (月)

機械翻訳ソフトは自分のコピー?

先日の「機械翻訳ソフト利用による翻訳の実例」でアップロードした訳文についての検討のあと、「機械翻訳ソフトの出力訳文に引きずられる」ことについての議論が続きました。そこで言われたのが、(↓)のような趣旨のことでした。

今、工場では熟練工の動きをコピーした溶接ロボットがたくさん働いている。翻訳ソフトもそれと同じで翻訳職人の生き写しとすればいい。自分の生き写しとなった翻訳ソフトであれば、その出力訳文に引きずられることなどあり得ない。

今回も、相手の方のお名前を伏せ字にして私の返信をアップロードします。

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××さんが言われたいことはわかったような気がします。また、私の考え方とどこが違うのかも、私の中では、いくぶん、明確になったような気がします。ありがとうございます。

××さんが言われる「機械翻訳ソフトの出力訳文に引きずられることはあり得ない」ということを、私は、以下のように理解しました。

  • 機械翻訳ソフトは、自分自身のコピーである
  • その状態では(そこまで仕込めば)、「機械翻訳ソフトの出力訳文に引きずられる」=「自分自身に引きずられる」である
  • これは、機械翻訳ソフトを使わない場合と同じにすぎない

論理として上記は正しいと思いますし、また、現実の一面もうまく突いているだろうと思います。××さんの説明を読んで、今まで漠然と思っていた「かなりの実力をつけた翻訳者が、翻訳者人生の収穫期に入った時点で機械翻訳ソフトを使うという方法はありかもしれない」に根拠がありそうだという気がしてきました。

順序として、まずは××さんの論理展開について疑問に思う点を指摘した後、機械翻訳ソフトの問題点だと私が思うことを展開してみたいと思います。

◎溶接ロボットと機械翻訳ソフトの違い

溶接ロボットは、ベテラン溶接工の生き写しですよね。これに対して、機械翻訳ソフトは、各ユーザーの生き写しにしかなり得ません。そして、溶接工がそうであるように、翻訳者も熟練工は少ないのです。つまり、機械翻訳ソフトは、ほとんどの場合、非熟練工(ユーザ本人)の生き写しになってしまいます。

こう言えば、××さんは、そんなことはわかっている、だから「翻訳力を切磋琢磨して磨くしか手がありません」と書いたのだ、と言われるでしょう。そのとおりですよね。そして、ここにこそ、機械翻訳ソフト使用が持つ最大の問題があると私は思います。

機械翻訳ソフトは非熟練工であるユーザ本人の生き写しと書きましたが、もう少し正確に書くと、昨日の非熟練工に近いけど異なる、いわばボケたコピーです。そのコピーを治具に作業を進める……こんなことをしたら、悪いクセを固めるばかりで、非熟練工が熟練工になれる日はこないだろうと思うわけです。

◎翻訳力を磨くためにはどうしたらいいか

ウチの上の息子(6才)は、今、字を覚えているところです。これが何とも下手くそなんですよね(当たり前ですけど)。きれいな字を見せて、「こう書くんだよ」と教えるのは簡単です。でも、それだけでは本人が書けるようになりません。結局、繰り返し繰り返し、本人が練習するしかないんです。そのとき、きれいな字をお手本にしてなぞらせることはあります。でも、自分の字をなぞらせることはしませんよね。なぜか。悪い癖がつくからです。また、練習すればするだけ上手になるかと言えば、残念ながら、そんなこともありません。いいお手本と比べるという作業を忘れると、どんどん雑になってむしろ崩れてしまいます。

これが、ある程度までいくと、かなり固まってきます。この辺りで、ほとんどの人はお手本と比べながらきれいに書こうという努力をしなくなります。しなくても、大きくくずれることはないくらいには固まっているから、これで、まあ、一応は役に立つわけです。そして、たいていは、なるべく速く書こうとするでしょう。その結果は、私もそうですが、読めるけど人前には出したくない字を書くようになります。

ところが、ごく一部でしょうが、きれいな字を書こうと努力し続ける人がいます。毎日、学校でノートをとるとき、スピードは少し落ちるかもしれないけど、きれいな字を書こうと努力するわけです。結果、とっても読みやすいきれいな字を書く人ができあがります。大人になったとき、こういう人が字を書くスピードが遅いかというと、決してそんなことはありません。最終的には、私が書くスピードと違いを感じない速度で書いています(汚すぎる字を書いて書き直すことがない分、私より速いかも)。

書くスピードは同じなのに、書かれた文字には格段の差があります。ああいう字が書けたらいいなぁとあこがれますが、もう、自分の癖が完全に固まっており、これを直すのは至難の業。しかも、直さなくても一応は使えるので、大きな苦労をしてまで直すだけの気力がでません。というわけで、私の字は下手なままです。(私だけじゃなくて、おそらくは多くの人がそうなんですよね)

翻訳で言えば、「きれいな字を見せて、こうなのだと教える」が、翻訳学校や翻訳のノウハウ本、または、MLなどで他人から教えてもらうことに相当します。これを自分が身につけるためには、繰り返し練習(翻訳)するしかありません。そして、最初は、上手なお手本に習う必要があります(できる人をまねる、できる人に教えてもらう、など)。

ある程度固まってくると、お手本をまねることがなくなります(プロとして仕事を始める)。そして、スピードもあげたくなります。このとき、目先のスピード向上だけに目を奪われると、私の字のように下手なママになりかねません。翻訳力を切磋琢磨して磨き、駆け出しや中堅クラスからさらに上を目指したいなら、目先、多少はスピードが落ちても、上手に書けるように努力しつづける必要があります。上手になった暁には、スピードもついてきますし。

字でも翻訳でもスポーツでもいいんですが、練習していると、どうして能力が上がっていくんでしょうか? 字も翻訳も、どんなにがんばっても、今の実力以上のものはできないのに。常に、今、自分が持つ能力の最高値よりも低いレベルしか出力できないのは当たり前のことでしょう。ところが、自分の上限にできる限り近いところで繰り返しもがいていると、1年、2年、5年、10年たったとき、以前の自分の能力ではできなかったことまでできる自分になります。ここで大事なのは自分の能力の限りを尽くすことだと私は思うんです。自分の能力の6割、8割で楽をしてしまえば、自己の能力の上限が上がることはありません。

翻訳ソフトを使うと、自分の能力を高める機会が失われる、というのが、私が考える機械翻訳ソフトをツールとして使うことの最大の問題です。××さんが言われるように、翻訳ソフトを自分のコピーと言えるまで鍛え上げたとしましょう。コピーはあくまでコピーで、オリジナルよりも劣る点があるのが当然ですから、その時点における自分の力の、たとえば、95%が模倣されたとしましょう。このような翻訳ソフトを使うということは、字の練習という例でいえば、自分でできる限り上手な字を書いて、それをお手本になぞることに相当するでしょう。しかも、このお手本には、言ってみれば、注意を払わなくても鉛筆がお手本からはずれないガイドレールがついているわけです。そのため、自分の能力のごく一部を使うだけで、すばやく正確にお手本をなぞることができます。これは、自分の能力の50%くらいを使うだけで、自分の95%の出力ができると言うことができるでしょう(これが、機械翻訳ソフトをツールとして使うことを推奨されている方々のベースにあるだろうと思っています)。問題は、これでは、5年たっても10年たっても自分の能力が今以上に上がらないし、それどころか、翻訳ソフトを自分のコピーにした時点で自分が持つ悪いクセを固定してしまうということです。

逆に言えば、現状以上の翻訳力をつける必要のない段階に入った人、あるいは、加齢などにより、それ以上、質的向上が見込めない段階に入った人が、「自分のコピー」を作り、量的向上をはかるといったケースでは、機械翻訳ソフトの出番があるのかもしれないと思うわけです。これが、前述の「かなりの実力をつけた翻訳者が、翻訳者人生の収穫期に入った時点では、機械翻訳ソフトを使うという方法もありかもしれない」なわけです。

逆に言えば、もっと翻訳の力を伸ばしたい人、あるいは、もっと力をつけないといけないレベルの人は、機械翻訳ソフトに手を出してはいけないわけです。また、機械翻訳の使用を勧めるなら、そのような危険やマイナス面もきちんと説明した上で勧めるべきだとも私は思います。

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コメント

機械翻訳ソフトを利用する翻訳者は、原文をまったく見ないわけにもいかないので、原文と機械翻訳の2つの文章を比較・解釈することになります。このとき「機械翻訳に引きずられる」のは、抽象的に表現するなら、魂のこもっていない機械翻訳に魂があると錯覚するときです。もう少し技術的に言うと、機械翻訳は文章のフォーカスなど関知しないが、出力された訳文を見て我々はそこにフォーカスを感じ取ってしまいます。これが錯覚です。当然、そのフォーカスは元の英文だけを見て感ずるフォーカスよりもぼやけたものになります。水が低きに流れる如く、我々は目の前にある言葉に引き込まれ、「割といいじゃない」との思いをどんどん強化していきます。その圧力に抗って目の前の文章を客観的に見るのは案外難しいのです。たぶん、我々の意識は比較的小さなアイスパン(より正確には、短期記憶が活性化した状態での時空スパン)の中で、言葉の意味を動的に理解しているのだと思います。だから客観視が難しい。文章の推敲に空白の時間が必要なのはそのためです。機械翻訳の利用は(経済的な意味でも)そうした推敲への道を閉ざすもので、推敲の場こそが技を磨く場でもあるわけですから「非熟練工が熟練工になれる日はこない」のは、機械翻訳を利用することの当然の帰結だと思います。

英日翻訳では深層のフォーカスによって表層構造が大きく変化するので、現状の機械翻訳の構文駆動的なアプローチは無理があります。しかし、UIをどう設計するかは別として、フォーカスを指摘すると候補の文を吐き出す「翻訳ワープロ」みたいなものはアリだと考えています。

投稿: Euascomycetes | 2009年11月16日 (月) 20時37分

> 機械翻訳は文章のフォーカスなど関知しないが、出力された訳文を見て我々はそこにフォーカスを感じ取ってしまいます

「フォーカス」が、なんとなく「フォース」に見えてしまいました。

投稿: baldhatter | 2009年11月16日 (月) 20時59分

機械翻訳のそれはダークフォース?(爆)

投稿: Euascomycetes | 2009年11月16日 (月) 22時31分

刺激的な記事ですね。自分の能力を進めたいなら出来る限り繰り返して練習するしかありません。
どんな分野でも同じですね。

投稿: Alex | 2009年11月17日 (火) 08時06分

>Alexさん、

はい、私はそう思います。

「自分の能力を高める必要はない」という考え方をする人は別の道を行ってくれていいと思ってもいますけど。

私としては、「自分の能力を高めたい」と思っているのにおかしな方向に迷い込む人が減ってくれればいいなと思って、こういうことをアチコチで書いたりしゃべったりしているわけです。ダークサイドに引きずりこまれちゃいけないよって(^^;)

投稿: Buckeye | 2009年11月18日 (水) 06時55分

「工場では熟練工の動きをコピーした溶接ロボットがたくさん働いている」について、科学技術論の立場から。たしかに、FAも機械翻訳も、当時のAIブームに乗って一緒に論じられていたというのは、それはそうです。

(1)「熟練工の動きをコピー」するのはいいんですが、特定の作業工程に関してです。翻訳は、原稿がちがえば、動きはちがう。

(2)東芝等が有名ですが、熟練工は一部残して、そこにワカイモンもつけて、技術の伝承を計っています。そうしないと、ちがう作業についてエキスパートシステムを構築できないから、というのが理由だったと思います。翻訳は、こっちの方でしょう。(80年代に、さんざん耳にした議論ですが、さて、その東芝とかが今どうなっているか、実は、ちゃんとフォローできていません。)

(3)これも有名ですが、溶接ロボットは、溶接という数々の工程のうちでも、いちばん、つらい(熱い、重い、危ない等)部分をなんとかしたわけです。そこが、立場を問わず受け入れられた理由でもありました。つまり、いちばん複雑な作業をロボット化したわけではありません。翻訳作業をどこまでロボット化できるかという議論が抜けています。

とまぁ、比べるのが間違っているというか。

そもそも、この時期の機械翻訳の開発というのが、これは、実際に現場におられた/おれれる方からもおはなしを伺いにでかけてき伺っていますが(ひょんなことで、カバンモチをやって同席した^^)、熟練翻訳者のコピーを指向したものではないですから、議論の前提がまちがっています。

投稿: Sakino | 2009年11月21日 (土) 12時35分

「熟練翻訳者のコピーを指向したものではない」と書きましたけれども、じゃぁ、どういうものなのかということを、すでに出ている例に関して書いておきます。

===================

Diazepam can be administered orally, intravenously, intramuscularly, or
as a suppository.

ジアゼパムが筋肉内に、または座薬として、静脈を通して、経口的に投与されま
す。
===================

これ、文の最初は、S、次がV、最後がO、Oの前は副詞、っていうふうに形式的に解析して、訳語を置いていってるわけでしょう。

これ、熟練工(熟練翻訳者)のコピーではないです。

いってみれば、「溶接とは、溶接箇所を熱して、XX度に達したら、相手の部材をくっつけて、さらに分ぎゅっと押しつけて完了」程度の認識を、部材の素材や形状くらいは、チャチャチャっと計算くらいするんでしょうけど、それも、熟練工のコピーじゃなくって、組成比かなんかの机上の計算かなにかで出してテキトーに計算しただけ、というレベルのシロモノなのだと思います。こういうのを「仕込む」のは無理。

「仕込む」のは、機械翻訳のオオモトの技術を開発する人たちのはずで、エンドユーザーではないはずです。で、開発者たちは、80年代の方式をとっくのむかしに放棄して、全然ちがう方式の次世代開発に走っています(その評価はまた別の機会に)。今出回っている機械翻訳ソフトは、その残骸に、用語だけを足していったもの、というのが私の理解です(それはそれで、それに適した用途に使えばいいということだと思います)。

投稿: Sakino | 2009年11月21日 (土) 12時46分

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