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2009年11月11日 (水)

ツールとしての機械翻訳

機械翻訳をツールに使うという人たちと、過去、いろいろな場所で何度も議論してきました。自分が使うものではないとは思うけれども、たとえば翻訳メモリのように翻訳業界内で一定の位置を占めてゆくものなのか、その価値があるものなのか、あるとしたらどの程度の価値があるものなのかなどを確認したいと思うからです。

議論していていつも困るのが、機械翻訳ソフトをツールとして使ったとき、最終的にどの程度の訳文が出てくるのか、また、そこまで持ってゆくのにどの程度の手間がかかるのかの関係がまったく明らかにされないという点でした。

複数の人と議論してきましたが、みなさん、大まかには(↓)のような主張をされます。

  1. 機械翻訳ソフトが使えないのはカスタマイズをしていないから。カスタマイズをして「自分のコピー」とすれば使える。
  2. 機械翻訳ソフトの導入によって効率は格段にアップする。
  3. 機械翻訳ソフトを使っても訳文は翻訳者が考える。だから品質が落ちることはない
  4. 機械翻訳ソフトを使って文芸作品でも訳せる。徹底的に訳文を見直せばいいのだから。

4は論外ですよね。それを言ったら紙と鉛筆でも同じって話になります。議論の本筋は、不要な手間を省いて効率を上げつつ、優れた訳文を産出するにはどうするのがいいかっていう話なわけですから。

何をもって「優れた」と言うかがいろいろとある点にも注意が必要です。

機械翻訳ソフトを使わずに訳すときと同レベルに訳文を保ちつつ効率が格段にアップするのであれば、機械翻訳ソフトを使わない法はないでしょう。

訳文の質は多少低下するけど十分に合格点の訳文を高い効率で産出できるのであれば、そのようなニーズには使えるということになります。少なくとも、これでコストダウンと納期短縮ができるなら発注側にはメリットがあります。翻訳者にとっても、単価2割減でスピード3割アップ、4割アップなら金銭的にはメリットがあります(単価2割減でスピード2割アップは、0.8x1.2=0.96で金銭的に4%減となることに注意)。

翻訳者という立場からは、お金だけでなく、(↓)についても注意が必要です。というか、私はこちらのほう、特に後者が大事だと思っています。

  • そういう仕事を続けて翻訳の実力アップが可能であるのか
  • そういう仕事を続けて自分は幸せになれるのか

効率は高くなるけど使えない訳文しか出てこないのであれば、そもそも使い物になりません。

こういう話をすると、機械翻訳ソフトを使っている人たちから「使い物にならなければ買い手がつかない。継続的に仕事が続くということは、使い物になっている」と言われます。たしかに、それはそれで一つの指標です。でも、ですね、「この値段ならこの程度でも仕方がない」という我慢の限界なら、少しでもいい人が出てきたら明日にも切られる運命であり、その状態を「使い物になっている」と少なくとも私は表現したくありません。

そもそも翻訳とは、手間をかければ品質があがる(上限は翻訳者の実力)、手間を省けば品質は下がる、そういうものです。通常の翻訳方法なら、手間を省いても実力がある人が訳せばそれなりのものが出てきますが(下限も翻訳者の実力によって決まる)、機械翻訳ソフトを使って手間を極限まで省けば機械翻訳ソフトの出力文そのままとなります(下限は機械翻訳ソフトの能力)。

つまり、機械翻訳ソフトを使うときはどこまでどう手抜きするか、そのさじ加減が問題になるのです。文芸作品でも訳せるといった極論レベルまで訳文を書き換えていたら、どう考えてもスピードアップなんかしませんし、逆に手を抜きすぎれば機械翻訳ソフト並みの訳文で意味不明にしかなりませんから。

そんなわけで、どのくらいの手間をかけたらどのくらいの訳文が完成するのか、その関係を見たいと常々思っていました。そして今回、ようやく、それがある程度はわかるはずのウェブページを見つけました。

機械翻訳ソフトの使用を推進している人としておそらく一番有名な山本ゆうじさんが作られたページです。翻訳メモリと機械翻訳を組み合わせたSATILAというワークフローのマーケティング用として作られたものだと思われます。つまり普通に考えれば品質高めまで訳文は作り込まれている可能性が高いと思いますが、それでも、ある程度の感触がつかめるはずです。

以下のページごとに、訳文に検討を加えてみます。

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翻訳はどうしても属人的になるので、背景などを確認したい方はこちらからどうぞ。

私のプロフィール
山本ゆうじさんのプロフィール

最終学歴はともに海外で取った修士。留学期間は山本ゆうじさんが私の倍ですし、私より若いときに行かれていますから、外国語の素養としては山本ゆうじさんのほうが上である可能性が高いでしょう。

学校で学んだ内容は、私が工学部でプラント関係、山本ゆうじさんは人文学で美学、比較文学、芸術学、文章技法他とのことです。バッググラウンドの違いに加えて山本ゆうじさんは文芸系の活動もされており最終的に小説家が目標とのことですから、日本語の素養としても山本ゆうじさんのほうが上である可能性が高いでしょう。

翻訳者としては、専業となったのが山本ゆうじさんは1999年、私は1998年とほぼ同時期です。分野は、山本ゆうじさんがIT(ローカライズ)、私は工学全般雑多(コンピューターのハードウェア、ソフトウェアは含むがローカライズはやらない)です。ただ、私はそれからずっと専業翻訳者として歩いてきていますが、山本ゆうじさんは2005年9月にMixiの翻訳者コミュニティにおける議論で「最近は翻訳そのものはあまりしない」と書かれており、専業翻訳者として大量に翻訳をしていた期間は5年前後だと思われます。

翻訳に対する考え方などは、抽象化した形で書くかぎり、山本ゆうじさんと私はよく似ています。山本ゆうじさんはあちこちに記事を書かれていますし、私も記事やこのブログなどでいろいろと書いていますから、それを見比べていただければ似ていることがわかると思います。

ただ産業翻訳という仕事への対応においては、山本ゆうじさんは「文芸翻訳とマニュアル翻訳は違う。マニュアル用途では必要十分な訳を出せばいい」、私は「文芸も産業も、それこそマニュアルも、翻訳としては同じものだ。力の配分が異なるので雰囲気は違うが、アウトプットのレベルは変わらない」と大きく異なります。

なお、山本ゆうじさんと私は、過去、個人メールやメーリングリスト、翻訳者コミュニティなどで機械翻訳の利用について何度か議論をしていますが、いつも議論がかみ合わず、平行線で終わっています。

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>> 山本ゆうじさんと私は、過去、個人メールやメーリングリスト、
>> 翻訳者コミュニティなどで機械翻訳の利用について何度か議論を
>> していますが、いつも議論がかみ合わず、平行線で終わっています

たとえばどういう議論だったのか、興味がある方はこちらをどうぞ(↓)。ただしmixiのアカウントが必要です。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=1915995&comm_id=8529&page=all
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2080380&comm_id=8529&page=all

投稿: Buckeye | 2009年11月13日 (金) 11時31分

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