実力があれば機械翻訳ソフトを使いこなせるのか?
私は、職業翻訳者が機械翻訳ソフトをツールとして使うのはよくないと考えていますし、ことあるごとに、この立場から書いたり話したりしています。
これに対し、機械翻訳ソフトをツールとして使うことを推奨される人たちは、「実力がなければ引きずられる」、逆に言えば、「実力があれば大丈夫」と言われます。翻訳ワークフロー、SATILAのPRページもこのパターンです。
前回のエントリー、「機械翻訳ソフトは自分のコピー?」では、機械翻訳ソフトを使っていると実力の涵養が難しいという話を紹介しました。こちらは、すでに実力をつけた人なら使えるのか、という点を検討します。
本当でしょうか。
◎専門用語や決まり文句の変換
機械翻訳ソフトを利用しようとされている人たちの主張で、私も心から同意する点があります。
●とあるMLで機械翻訳ソフトの利用を推奨されている方が書かれたこと
機械翻訳ソフトを活用する趣旨は、機械翻訳で出力された訳文を翻訳会社に納品することではなく、機械翻訳ソフトで専門用語や決まり文句を自動的に画面表示させて、辞書引きの手間と同じ訳語の反復入力の手間を長期的な観点で今後とも永久的に削減することです。
このような部分、特に専門用語のように揺れない部分は、機械翻訳ソフトに限らず、何らかのツールによって人間の手間を省くべきです。この部分は、いわば、単純作業ですから。そういう部分はコンピューターに任せ、人間は、内容など、もっと高度な部分に集中したほうが、効率も品質も上がるはずです。
ただ、「専門用語や決まり文句を置き換え、辞書引きの手間と同じ訳語の反復入力の手間を長期的に省く」ためだけであれば、別に、機械翻訳ソフトでなくてもできてしまいます。単純に、用語集で一括置換をかけてしまえばいいだけの話ですから。必要なツールやノウハウも、何人もの人が公開しています。私が公開しているSimplyTermsもそうですし、水野麻子さんが提供されているシステムも基本的にそうです。ハラパンメディアテックの宇野さんご夫妻も、何年も前からそのためのノウハウを公開されています。このような簡単なツールでできず機械翻訳ソフトでないとできないことは構文の訳例登録くらいでしょう。
つまり、機械翻訳ソフトをまともに使おうとされている人たちが目的としていることは、ほとんどが、機械翻訳ソフトを使わなくても実現できてしまうわけです。翻訳関係のセミナーで機械翻訳ソフトの活用を勧められた複数の講師にこの疑問をぶつけてみました。その結果、「他の方法で訳語の置き換えが可能なら、機械翻訳ソフトを使う必要はない。ただ、機械翻訳ソフトでもできることだから自分は機械翻訳ソフトを使っている」という趣旨の回答をもらいました。
これで、ツールが機械翻訳ソフトである必要性はなくなったことになります。あとは、単純な置換以外の部分で、機械翻訳ソフトに余録があるのか、弊害があるのか、あるいは、そのどちらもないのかが問題になります。余録があれば、導入するのもいいでしょう。弊害があるなら、その弊害を避けたい人は導入すべきではないでしょう。どちらもなければ、機械翻訳ソフトを導入しても他の方法を導入しても同じなので好みでやればいいということになります。
◎余録・弊害
余録と言えるモノがあるのかないのかは、私にはわかりません。なので、この点については「あるかもしれない」ということに留めます。
弊害は「ある」と私は考えています。
機械翻訳ソフトの利用を推奨される人々は、だいたい、(↓)のようなことを言われます。
●上記引用を書かれた方が書かれたもの
機械翻訳ソフトを活用するには、まず優秀な翻訳者でなければなりません。英語も読めない、英語も書けないようでは、機械翻訳ソフトを使いこなすことは出来ません。“機械翻訳に使われる”のではなく、その逆に“機械翻訳を使いこなす”のです。その辺の所のニュアンスの違いがお分かりいただければ、大いに機械翻訳ソフトをご利用ください。
それはそのとおりなのかもしれません。少なくとも私に全否定することはできません。自分にできないからといって誰にもできないことにはなりませんから。
しかし、「機械翻訳ソフトを活用できるほど優秀な翻訳者」がかなり多いと思うか(機械翻訳ソフトを勧められる人たちはこの立場なのでしょう)、そこまでできる翻訳者はごく少数だと考えるか(私はこの考えです)という違いはあります(根本認識が違うから、この数字に違いが出るとも言えるので、やはり、違いは大きいのかもしれませんけど)。どのくらいいるかと聞かれたら……明確な根拠なんてあるわけないのでえいやぁと数字をあげることにして、まあ、多く見積もって5%、少なく見積もればこの1/10というところでしょうか。少なくとも、現時点における私自身の実力が、機械翻訳ソフトに振り回されてしまうレベルなのは確かです。振り回されてしまうから、私が使えば、
>機械翻訳ソフト活用の翻訳者が作成した訳文 = 品質不良の訳文
となってしまうか、効率アップしないか(入力効率アップ-振り回されたことになる効率ダウン=効率アップなし)、いずれかの結果に終わるだけでしょう。
なぜ、振り回されてしまうのかを考えてみました。
機械翻訳ソフトの利用を推奨される方々は、だいたい、以下のような手順で作業を進めると言われます。何人もの方から話を聞いていますが、みなさん、だいたい同じです。その中でもよくまとまっているものを引用します。
●上記引用を書かれた方が書かれた手順
(1)英文を機械翻訳ソフトにかけて訳文を出力します。
(2)Word画面上で、上半分に英文を表示し、下半分に機械翻訳訳文を表示します。
(3)上半部の英文の一文(one sentence)をちらっと眺めて、専門用語や決まり 文句らしき英単語の連語(複数英単語の文字列)を見つけます。
(4)上記で見つけた英単語に該当する訳語を下半分の訳文の一文から見つけます。
(5)見つけた英単語と訳語を比較し、適正な訳語が画面表示されていないならば、辞書で調べた後、適正な訳語を機械翻訳ソフトのユーザ辞書に登録します。
(6)下半分に表示された不適切な訳語(◆)を適正な訳語(■)に書き換えます。
(7)その次いでに、訳文全体の残余部分にある不適切な訳語をWordで一括変換します。
(8)下半分に表示された訳文の残余部分の“てにをは”(□)を訂正します。
(9)上記の手順をone sentence毎に繰り返します。上記の手順を図示しますと・・
◆不適切な訳語 ■適正な訳語 □てにをは
手順(4) 不適切な訳語を見つける。
□□□□□◆◆◆◆◆□□□□□□□□□□◆◆◆□□□□□□□
◆◆◆◆◆◆□□□□□□□□□◆◆□□□□□□□□□◆◆◆◆手順(5)-(7) 適正な訳語を登録・残り一括変換する。
□□□□□■■■■■□□□□□□□□□□■■■□□□□□□□
■■■■■■□□□□□□□□□■■□□□□□□□□□■■■■手順(8) 残余部分を校正する。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■(手入力)+(削除)+(画面表示)= 訳文の完成
(画面表示)-(手入力+削除)= タイプ打ちの効率向上
私自身のイメージとしては、この手順の(1)~(7)というのは、翻訳の準備作業的な部分であり、翻訳作業全体で見れば、全労力のせいぜい1割くらいにしかあたらないと感じています。残りは、原文を読み取るのに必要な関連情報を調べて勉強するのが3割(ここは既に身についていて、改めてやる必要がないケースもある)、原文から内容や著者の意図などをできる限り大量・正確に読み取る作業が3割、読み取った内容以外には取れない訳文の構築が3割というところでしょうか。このうち、「原文から内容や著者の意図などをできる限り大量・正確に読み取る作業」と「読み取った内容以外には取れない訳文の構築」の部分について、機械翻訳ソフトから出力される訳文が大きなマイナスとなるのです。原文と平行して、それと似て非なる訳文を読んで、おかしな訳文の影響を受けないというのは、よほどの力がないと無理だろうと私は感じます。
この悪影響を避ける方法は、実は簡単です。機械翻訳ソフトが出力する訳文は読まず、原文だけを読んで訳文を構築すればいいんです。その上で、機械翻訳ソフトが出力した訳文から使える部分(入力代行的な訳語や、それ以外に機械翻訳ソフトの翻訳エンジンが訳してくれた文章で使える部分)をコピーしながら訳文を入力すればいいでしょう。
問題は、文章一つの訳文を、部分部分を目に見える形にする(入力する)ことなく、頭の中だけで完璧に構築できることが少ないということです。よっぽど簡単な文章ならできますが、ちょっとややこしくなると、書けるところから書いてみては書き直すという作業が必要になります(翻訳ではなく、自分の言葉で書くときだってそうなんですから、当たり前の話ですけど)。ところが、機械翻訳ソフトが出力した訳文が目に入らないように書けるところから書こうとすると、入力代行的な機能が利用できないことになります。それでは意味がないので、機械翻訳ソフトが出力した訳文から用語をコピーしようとすると、訳文が目にはいってしまい、その訳文に足元を揺さぶられます。結局、悪影響を避けるための前提が崩れてしまうわけです。
SATILAでも「頭の中で訳文をイメージし、翻訳ソフトが出す訳文で使える部分を活用する」と山本ゆうじさんが言われているのですが(mixiコミュニティにおける投稿から)、現実がどうなってしまうのかは先日来、細かく見てきたとおりです。
私としては、高品質の訳文を作るために一番大切にしたい部分が揺さぶられてしまうので、このような事態は一番避けたいことです。どれほどの力があれば、機械翻訳ソフトが出力する訳文を読んでも影響を受けなくなるのか、私にはよくわかりません。分かるのは、自分よりもはるかに高い力を持った人でないと無理だろうということまでです。もう一つ、力が不足している人が使えば、翻訳の力を伸ばす大きな阻害要因になってしまうことも間違いないと思います(いわゆる「機械翻訳に使われる」に堕ちてしまう)。
◎じゃあ、どうすればいいのか
このように、余録があるかないかはわかりませんが、弊害については、少なくとも私にとっては大きな弊害があると思っています。しかも、自分が一番大事にしたい部分に悪影響が出るというぜひとも避けたい弊害です。
このため、私自身は、パソコンにやらせるのは、辞書引きや変化しようのない専門用語の置換までにとどめ、内容把握と訳文の構築という翻訳作業の中核は、自分の頭でやることにしています。そうして、原文を読んでは訳文を考える作業を何度も何度もくり返し、自分の頭をトレーニングしていくしか、翻訳者としての能力を高める方法はないと思いますから。
■機械翻訳ソフトを使っている方から昔いただいたコメント
機械翻訳ソフト利用の是非について議論していたとき、機械翻訳ソフトを使っている方から、以下のコメントをもらったことがあります。
このMTというツールは私にとって、適切な単語を探し、文字を入力する作業を代替してくれるのが最大の機能なのです。
だから、原文から頭に浮かんでくる訳文を入力する代わりにマウスを使って文字を並べ替えていくことによって、思考の流れを阻止しないのが現在私が期待する機能なのです。
ですから、数年前に
> 日頃やらない分野では、私の場合、機械翻訳に引きずられる可能性大です
とは、なっていないと、私も思っていたのですが、コーディネータさんから、そう指摘され、そんなことはないと反論したのですが、やはり、そうだったのだろうと今では思っています。そして、今の訳文はその時とは少しは変わっていると思っています。そして、本来自分でできる訳文以上の翻訳を機械翻訳で創造することは決してできないと思っています。
「そんなことはないと思っていたけど、実際にはなっていたらしい」という言葉が機械翻訳ソフト利用の危険性を如実に物語っていると思います。翻訳においては、アウトプットのレベルは翻訳を評価する力に比例します。どのようなやり方にせよ、アウトプットのレベルが落ちてきたとき、翻訳を評価する力も落ちています。つまり、自分の力が落ちたことは分からないのです。
この方は業界有名人の一人なのですが、どこかで変化に気づけたあたり、有名になるべくしてなった人、それだけの力がある人だと言えるでしょう。
この方は、その後軌道修正をして、注意しながら機械翻訳ソフトを使っているとのことでしたが、それを言い換えれば、マイナスの影響を受けつつ、それを補正してマイナスを小さくする(できればなくす)努力をしているということになるでしょう(→これによって、影響を受ける前の実力レベルまで訳文を戻す)。
ご本人は元に戻されたと言われているし、戻ったかどうかの判断を客観的にできるだけのデータは見られないのでこれ以上のコメントはしませんでしたが……正直なところ、元に戻ってはいないだろうと私は思います。「スキルダウンは速く、スキルアップは遅い」に書いたように、一度落ちた力を戻すのは、落とすのに要した期間の何倍もの時間、スキルアップに倍する努力が必要になるからです。
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コメント
ダークサイドに落ちてしまった michel です(^^;)。早くダークサイドから抜け出したい…。ま、それは置いといて…。
以前、機械翻訳から出力された訳文を直す、という作業をしたことがあります。そのとき、「文を読んでぎりぎり理解できるレベルでよい」、「できるだけ手を入れない」という指示を受けました。その指示にも驚きましたが、機械翻訳のレベルにも驚きました。かなり短い文でなければ使えません。それに、英文を読み、ある程度理解して機械翻訳を読むと、あまりの訳文のひどさに英文の理解内容がふっとんでしまうのです。でまた、英文を読み、なぜ機械翻訳がこのように訳しているのかを理解してから修正するか、一から訳文を作り直すという感じでした。
トラドスなどの支援ツールにしても、タグだらけで、タグが正しく配置されているかどうかにばかり労力が費やされることもあります。
なぜ、もっと翻訳そのものに集中できるようにならないのですかね。やはり、お金をかけたくないんでしょうか。
投稿: michel | 2009年11月18日 (水) 12時38分
> どれほどの力があれば、機械翻訳ソフトが出力する
> 訳文を読んでも影響を受けなくなるのか
影響を受けなくなることはまずないでしょう。寧ろ、能力の高い人(書かれたものから意味を読み取る力が大きい人)ほど影響を受けると思います。簡単な例をひとつ。
(A)彼は高い本を買った。
(B)彼が買った本は高い。
この2つの文は同じ事実関係を表しており、原文の構造次第で機械翻訳はどちらも出力します。問題は、最初に(A)を見せられたとき言語的な感受性の高い人はそれを(B)の意味で受容するかもしれない(たぶん受容しちゃう)というところにあります(無論、逆もありです)。機械は意識の流れなど関知しないけれど、我々は文の表層的な構造から勝手に意識を感じ取ってしまう。たぶん、これは本能みたいなもので、抗うことはできないでしょう。原文だけの世界にいるときはいいのですが、原文と訳文の間のふわふわとした世界にいるとき機械に茶々を入れられると、原文を読むリズムと訳文を書くリズムが崩されてしまう。ここが一番の問題だと思います。
投稿: Euascomycetes | 2009年11月18日 (水) 14時27分
>michelさん、
「文を読んでぎりぎり理解できるレベルでよい」、「できるだけ手を入れない」という指示は、機械翻訳ソフトを使うなら「正しい」指示だと思います。品質よりコストを優先する、あるいは、品質をぎりぎりまで落とすことでコストを圧縮するということですから。このあたりはトレードオフになることを正しく理解した指示だと言えるでしょう。
それが翻訳者にとって幸せかどうかは……実際にやられた方が一番よく感じておられますよね。
お金をかけたくないモノ、あまりかけられないモノがあるのは、ある程度は仕方がないと思うんですよね。であれば、自分がやりたい仕事を選ぶ、選べる力をつける、選ばせてくれる取引先を探すというのが、我々の取るべき道ではないかと。
投稿: Buckeye | 2009年11月18日 (水) 18時03分
>Euascomycetesさん、
「能力の高い人ほど影響を受ける」ですか……そうだ、そうですよね。なんか変だと思いつつ、よく言われる「力がある人なら使える」が現実とは正反対の関係なんだって明確に意識したこと、ありませんでした。この点、今まできちんと考えたことなかったんだなぁ、きっと(^^;)
投稿: Buckeye | 2009年11月18日 (水) 18時08分
機械翻訳は実は「機械的な翻訳」とも近い関係にあります。その自戒も込め、機械翻訳の問題を考えることは、機械と人間の関係だけでなく、人間と人間(もちろん、自己も含む)のコミュニケーションの問題につながる裾野の広いテーマを扱うことだと捉えるべきです。ルーウェリン反応(Llewelyn reaction)などという科学的根拠のないいかがわしい概念は排除しなければなりません。これに対抗して、問題の全体像を的確に表現し、翻訳セクタ以外の人々とも共通の理解を得られるようなキーワードが必要だと考えています。別に「フォース」でも何でもいいのですが... ^^;
投稿: Euascomycetes | 2009年11月18日 (水) 20時01分
誰と一緒に作業するのか、どんな機械と一体化するのかは、自分で選ぶべきです。先日の翻訳フォーラムの勉強会でもダナ・ハラウェイのテーゼの現代版ということで言及しましたけれども、「どんなサイボーグになるのかは、自分で決める」の一言につきていると思います。
開発者が、80年代末という時期に、なだれをうって撤退したようなものと組むのが得策とは、まったく思えません。
ルーウェリン反応、ラダイト等について議論するなら、機械翻訳の開発の前線をちゃんとチェックすべきです。開発者がすでに捨てて久しい開発路線の産物に対してユーザーが冷たい視線を送るのは、むしろ、正確な技術評価を行っていることになるはず、と思います。
投稿: Sakino | 2009年11月21日 (土) 13時03分
すみません、ことばが走りました。
「ルーウェリン反応、ラダイト等について議論するなら」と書いたのは、Euascomycetesさんに対してでなく、Euascomycetesのご言及のもとになった議論についてです。
投稿: Sakino | 2009年11月21日 (土) 13時07分
Sakinoさん、
ツールは手の延長です。それだけのことですよね ^^;
投稿: Euascomycetes | 2009年11月21日 (土) 20時40分
頭の延長はまずいわけで。
ツールにやってもらえるのは、頭よりも手がものをいう部分になりますね。
投稿: Buckeye | 2009年11月21日 (土) 20時49分
「手」のはずのところで、ポカをやりまくる当方としては、とても「手」とは言い切れませぬ。このごろ「手」も痛かったりするんですが^^;。
ツールは、「神経系」として^^;^^;、働いてくれているような気がします。
投稿: Sakino | 2009年11月21日 (土) 21時12分
手がツールに延長するとは、Sakinoさんが仰るように「機械と一体化する」ということです。それとともに当然、身体図式も更新されるわけです。翻訳関連の知的ツールでも脳のどこかで高次のスキームが更新されると考えるのが自然です。それにしても手に馴染まぬツールの多いことよ。開発サイドは、ルーウェリン反応のような言い訳を用意するだけじゃなく、使いにくさを逆手に取って「認定マスターコース」みたいなものを捏ねくり出したりするので注意せねば ^^;
投稿: Euascomycetes | 2009年11月22日 (日) 03時32分
自分がやっている翻訳作業の中身と、身体状況と、その双方に関して自覚的でないといけないということですね。
ルーウェリン。実は、ついつい検索してしまったら、こんなのが^^;
http://aitech.ac.jp/~yoshiga/WALES/beddgel.html
投稿: Sakino | 2009年11月22日 (日) 12時37分