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2009年11月 3日 (火)

分からなくても分かっているように訳せる?

知り合いの翻訳者のブログ、「技術者から翻訳者へのシルクロード」に「わからなくてもわかっているように訳せる資料が多いのは確かだが、訳者が本当はわかっていないことが読者にわかってしまう資料も結構多い」というエントリーがあがりました。

これに対する翻訳者の反応は、(↓)に大別されそうです。

  • うん、自分もそう思う。
  • 分からなくて訳せるはずがない。

私は基本的に後者の立場であり、このブログでも「中身が理解できなくて訳せるはずがない」とくり返し書いています。でも、ですね、このエントリーを読んでまっさきに思ったのは「そうなんだよなぁ」でした。実はこれ、矛盾していないんです。

「『分からなくても分かっているように訳せた』なんて翻訳者の自己満足であり、その道の専門家から見たらバレバレだろ」って思います? はい、私もそう思います。っていうか、そんなの当たり前ですよ。でも私、「分からなくても分かっているように訳せた」実例を見たこと、あるんですよ。

会社員時代、私は石炭燃焼を専門としていました。この分野では何本も論文を書きましたし、学界の重鎮先生方にも顔と名前くらいは覚えてもらっていたし、小さなものとはいえ国際会議で議長を務めたこともあるしで、いわゆるその世界の専門家の一人と言える状態でした。

その石炭燃焼に関する技術レポートの翻訳を、自分がプロとして翻訳でお金をもらうようになったあとに発注したことがあります。あがってきた翻訳は、一読して、この分野の素人が訳したものだと分かるものでした。ごく基礎的な専門用語が一般用語で訳されていたのです。でも、論理の流れには破たんがなく、用語さえ置換すればそのまま誰の前にでも出せるレベルでした。おどろきましたね。書かれている内容の分野のことなどまったく知らなくてもここまで訳せるのか、と。専門用語のリストさえ渡しておけば完ぺきな翻訳をあげてくれていたことでしょう。

今なら「専門用語も調べなかったのか」と言われそうですが、当時はインターネットがまだ普及しておらず、専門用語の調査が難しかったため、専門用語が分からないのは仕方ない面がありました。

逆に最近のように用語の調べがついてしまったら……この人なら、本当は分かっていないことが読者に分からない訳文が作れたのかも、と思います。

この翻訳者に、石炭燃焼に関する知識はありません。それは断言できます。でもこの人、技術的な素養というか、そのあたりはしっかりしていたのだと思います。だから論理の流れはきっちりと理解して訳してあった、そういうことなのでしょう。もちろん、専門分野の知識がなければ論理の流れを理解するのは大変だったはずです。

これと対照的なのが、「専門用語だけは正しいけど論理がまるで追えていない翻訳」です。これにプラスして、「一般用語まで専門用語になってしまっている」という属性がつくこともあります。

この手の翻訳、ときどき見かけますよね。「言語の運用能力???」で紹介した「近所が自転車盗まれたても、相当離れてるけどジュース置いたら逮捕w」の「組み合わせ、トッピング自由」って感じのやつです。

結局、何をもって「分かる」というのか次第というところでしょうか。

ベストは「当該分野が分かる」なわけですが、最低限「論理の流れが分かる」ならそれなりになんとかならないことはない。そんな感じなのではないかと思います。

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コメント

きわめて荒削りな段階での私のエントリーに対し、感想を含め、より本質に迫る考察を示していただき、ありがとうございます。

おっしゃる通り、「わかる」ということばによって、かなり解釈が分かれるテーマです。また、話を何につなぐかによって、いろんな展開があり得るだろうな、とも思います。

和訳文のユーザーが当該分野の専門家である場合、外注翻訳作業に最も期待することは、英文資料の記載内容(話の流れ、図表の説明、文/段落/章節間の相互関係など:Buckeyeさんの表現では「論理の流れ」)を素直に、かつ簡明な日本語に置き換えることかと思います。

これは、(担当した資料の記載内容に矛盾点や誤情報が含まれていないことが前提ですが)、専門用語のピッタシカンカンな訳が見出せなかったり、設備・ソフト等に対する背景知識が不足していたとしても、ある程度(いや、かなりのところまで)可能である、というのが私の実感です。

この「程度」について正確な議論をすることは困難だし、それは本意ではありません。

専門技術者で今後翻訳をやってみようという人の中には、「記載内容をわかった上で翻訳する」ということを厳密にとらえすぎて、「ちょっとでも自分の得意分野から外れると、自分の翻訳能力を過小評価されてしまうのではないか」と懸念し、他分野の仕事を受注することを怖れたり、翻訳会社に提示するレジュメの対応可能分野にごく限定的な分野しか記載しないという方もいるんじゃなかろうか、と推測し、そういう方(いや、状況によっては自分でもあります)への問題提起を試みたのが、あのエントリーを書いた動機でした。

将来、「技術翻訳において「分かる」とはどういうことを指すのか?」のようなテーマでも書いてみたいと思っていますが、まだ考えがまとまらない状況です。気長にやっていきますので、今後もよろしくお願いします。

投稿: あきーら | 2009年11月 3日 (火) 17時52分

そっか、(↓)あたりでちょっと触れている点に関してだったんですね。

「翻訳者としての」専門分野
http://buckeye.way-nifty.com/translator/2005/06/post_18d6.html

こちらのエントリーでも書いていますが、私も翻訳者になって数年は専門を厳密に考えすぎていたと思います。

投稿: Buckeye | 2009年11月 3日 (火) 21時53分

以前どこかで「分からなくても訳せる」と書いたら、「そのような人に私だったら仕事は出さない」と非難されたことがあります。そのときは、「分かる」ことに実は幅があって、「分かった」と簡単に言ってはいけないと逆説的に述べたつもりだったのですが、舌足らずだったせいか、こちらの意図が伝わらなかったようです。翻訳者は当事者でないのだから、完全に「分かる」ことは原理的にあり得ません。結局、翻訳のために最低限、何が分からなければならないかが問題になります。「論理の流れが分かる」ことは最低必要ですよね。それに1つ付け加えるなら、これはとても抽象的な話なのですが、「語り手の意識を感じる」ことではないかと思います。語り手と意識がつながっている間は、大きく踏み外していない。そう期待できます。無論、これは論理の固い地盤と対になっていて、互いに相手を補完する関係にある。このつながりが途絶えたとき、アラームが鳴る。これって、翻訳中に誰もが無意識にやっていることではないでしょうか。

投稿: Euascomycetes | 2009年11月 5日 (木) 15時18分

いつも面白くブログを読んでいます。

確かに、わからなくても、「正しく」訳せる可能性はあります。ただし、翻訳者には内容がわかっていなければ、必然的に「正しいかどうか」わからないということになってしまいます。つまり、自分の翻訳が正しいか、正しくないかわからないまま納品しなければなりません。私的にはとてもいやなことに加えて、こんな状態では、品質保証はもちろん無理です。

投稿: Ryan Ginstrom | 2009年11月 6日 (金) 19時16分

Ryan Ginstromさん

翻訳の「品質保証」とはどんなイメージですか?
工業製品でないから品質を統計的にコントロール
するのは難しいですよね。

投稿: Euascomycetes | 2009年11月 6日 (金) 22時15分

昔、仕事をはじめたころお客さんに言われたことがあるのは、「ちゃんとした翻訳はは直せる」ということ。

なるほどなー、と思いました。

投稿: Sakino | 2009年11月 6日 (金) 22時58分

Sakinoさん

「ちゃんとした翻訳は直せる」とは、「ちゃんとした翻訳はそれほど悪くない」ということですよね。これ殆どトートロジーのように聞こえますが、翻訳品質の特性をよく表しています。もし品質をグラフにプロットしたとすると(まあ、厳密な話ではないのでX軸の変数は何でもよい...)、グラフは「ちゃんとした翻訳」の近傍(かなり範囲が狭い)でわずかに変化し、そこから先で急に落下する。これを普通の言葉で表現すると、「よいものは大体よくて、それ以外は箸にも棒にもかからない」となる。「中くらいによい翻訳」は(なかなか)ないのです。翻訳品質をコントロールするパラメータは多くない(翻訳会社は人を選ぶことぐらいしかできない...)。だからこそ(強引かしら?)、あきーら さんの「専門用語のピッタシカンカンな訳が見出せなかったり、設備・ソフト等に対する背景知識が不足していたとしても、ある程度(いや、かなりのところまで)可能である」と実感できる領域が、「ちゃんとした翻訳」の近傍にあっても不思議でない。分かる、分からないが問題なのではなく、どの程度分かったコントロールすることが大切なのだと思います。

投稿: Euascomycetes | 2009年11月 7日 (土) 01時48分

そうですね、化学の滴定曲線みたいにS字を描くイメージを私は持っています>翻訳の質をグラフにしたもの

「機械翻訳に関する天動説と地動説、そして解釈学的循環」( http://buckeye.way-nifty.com/translator/2009/02/post-4f0b.html )で紹介したように、翻訳というのは「循環的な作業」なので、分からないときは全体がどうにもならないし、分かってくるとぱぁ~っと視界が開けるように全体が見えてくるものです。パズルであちこちが急にかみ合い始めるみたいに。

それから、これも持論なんですが、「だいたいまで持ってゆく手間とそこからほぼ完ぺきまで持ってゆく手間は同じくらい」だと思っています。滴定曲線が急上昇するあたりまでは、「分からなくても持ってゆける」。そのレベルまで翻訳の力をつけるのはとても大変ですけどね。で、そこから、その道の専門家が細かくチェックしても間違いやおかしなところがまず見つからない、かつ、当然ながら言葉的にはその道の専門家よりも自然な日本語になっているというレベルまで持ってゆくのは、滴定曲線急上昇までと同じくらいの手間暇やトレーニング、勉強が必要なんだと思います。

プロとしては、S字カーブの上側をアウトプットするというのが、最低限、守るべき条件でしょう。

投稿: Buckeye | 2009年11月 7日 (土) 04時49分

Buckeyeさん

「だいたいまで持ってゆく手間とそこからほぼ完ぺきまで持ってゆく手間は同じくらい」は、その通りだと思います。そして、翻訳が面白いと思えるのはこの部分です。ここは「さあ、自慢の料理が出来たので、召し上がってください。きっとおいしいですよ」と言える領域で、翻訳者に自由があるから面白いのかもしれません。「保証」というよりも自己満足に近いかな?

投稿: Euascomycetes | 2009年11月 7日 (土) 13時17分

ちゃんと文脈とロジックが読めるかという《読み》の部分であらかたが決するという単純なはなしなんだろうと思っています。そのことに、いろんな表現の仕方がある。

投稿: Sakino | 2009年11月 8日 (日) 22時52分

そうなんですよねぇ……読みで落っことしちゃったものは絶対に回復できないわけで。万が一回復しちゃうなら、それは読み取っていないことを勝手に付けくわえていることに等しく、大きな問題なわけで。

ただ、この点が意外なほど議論されないという印象、あります。

投稿: Buckeye | 2009年11月 9日 (月) 11時56分

<ただ、この点が意外なほど議論されないという印象、あります。

翻訳者が、自分のやってる作業を、きちんと分解して把握できていないからだと思います。

-----------------------------------------------------------
《原文or読み》の側
「ちゃんと読み取れてる」
「あぁここはわかってないなと意識しつつ、大筋は把握している」
    ×
《訳文or書き》の側
「もともと、そのジャンルの文章なら書けちゃう(かも)」
「まぁ、ボロがでない程度にマネだけさせていただきます」
-----------------------------------------------------------

翻訳と呼べるシロモノがが成立するのは、上記の場合だけなわけで、そのなかで、「おぉ、これは手放しですばらしい」というもの以外に関して、「分からなくても分かっているように訳してある」とか、「ちゃんとした翻訳は直せる」とか、いろんなことが言われる。

そういう構図ではないでしょうか。

投稿: Sakino | 2009年11月 9日 (月) 14時22分

論理とは局所的な拘束条件であって、いわば大洋に浮かぶ島のようなものです。島嶼の周りに広がる大洋を埋めるのが文脈や論理の流れと呼ばれるもので、このとき知識が十分あって演繹的に隙間を埋めることができれば万歳なわけですが、翻訳では所与の事実から帰納的に間を埋めることが多い。そこで変な思い込みをすると全体の島嶼配置そのものが崩れて誤訳に陥る。翻訳者の態度として簡単に分かってしまうのは寧ろ問題ありなわけで、誤解を恐れずに言えば、(理解することに努力を尽くした上で)「分かった」と断言できないことを尤もらしく表現するところに翻訳技術の経験値の集積点みたいなものがある。それ以外の「読んで理解したことを書く」という幹の部分は、だいたい単純なことなのだと思います。

投稿: Euascomycetes | 2009年11月 9日 (月) 19時49分

そうですね。で、単純な部分のほうが楽なので、単純にできる領域を広げる努力というのも必要、っと。まあ、仕事で知識を蓄積した結果、演繹的に隙間を埋められる領域も広がってくるわけですが。

投稿: Buckeye | 2009年11月10日 (火) 15時00分

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