デザインと翻訳
とあるイベントの開催準備でパンフレットのデザインをデザイナーさんに頼みました。案が数種類、提出されたので、まず、そのひとつを選定。選んだ案に対し、開催準備をしている人たちがいろいろと要望を提出。いわく、「ここの字体はこっちにしたい」。いわく、「この部分の形は変えたほうがいい」。いわく、「この部分はもっと大きく」。
デザインのことはわからないし、美的感覚がないことには自信があるので、私は基本的にだまって聞いていました。なんとなく、違和感を感じつつ……。
帰り道、なぜ違和感を感じたのかを考えてみました。どうも、翻訳のおかしな直しのパターンに近いと感じていたようです。
デザインも翻訳もつながりとバランスが大事なんじゃないかと思うんです。
少なくとも翻訳はそうです。ほかとのつながりやバランスを無視して決められるのは専門用語や指定用語くらい。それ以外は、前後の文章まで含めてつながりとバランスが大事。一単語だけみればいい訳でも前後とのつながりやバランスが悪ければダメですし、一文単位でベストな訳にしても前後とのつながりやバランスが悪ければダメです。そのため、どこか一個所を変更しようとすると、芋づる式にあちこち変えなければならなくなり、その結果、まったく違う文章ができあがったりします。
つまり、前後を調整せずに変えられるところは意外なほど少なかったりするわけです。ところが、後で訳文を直す人のなかに、部分だけを見て、「ここはこのほうがいい」と変えてしまう人がいます。そこを変えるなら、アッチもコッチも変えなければならないし、アッチやコッチを変えないならソコは変えちゃいけないと思うようなところを。
デザインも同じなんじゃないでしょうか。目的として、主催組織をもっと前面に出したいなどの要望は出していいと思うのですが、その具体的なやり方までは素人が下手にいじらないほうがいいんじゃないかと思うわけです。そこがたまたまどっちでもいい部分なら大丈夫ですけど、実力があるデザイナーさんであればあるほど、下手に切れば血が出る完成度になっているんじゃないでしょうか。
そうそう、しばらく前、知り合いのデザイナーさんが卵さんたちに教えている教室を見学させてもらったことがあります。そこで講師のデザイナーさんがくり返していたことがあります。「ここは検討した結果なのか?」です。ここに続く言葉は「考えてないでしょ? なんとなく置いただけでしょ? 考えていればこうはならないはずだから」。
最近、翻訳学校で教えるようになりましたが、実は、これと似た言葉をクラスでくり返しています。「ここは考えてみなければいけないポイント。考えた?」と。
考えた結果、どっちでもいいという結論に達することもあります。そういうところなら、かなりの柔軟性がありますけど、いろいろと絡んでいてぎりぎりの選択をしたところだと、ちょっと変えただけでガタガタに崩れてしまうことになるんですよね……。
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