長い訳文・短い訳文
「IT翻訳者の疑問」の2009/02/27のエントリー、『[Linguistic Reviewerの疑問]ひらがなの連続』ですっきりした英語を書くためのヒントを紹介する英文記事の翻訳がなんとも冗長という話が出ていました。
ここは興味深い例を探して紹介してくれることが多いブログなので、ときどき読みに行くようにしています。私がコメントを書くといつもどうにもおかしな方向に進むので、あちらでコメントを書くことはやめてしまいましたが。
◎原文
When you streamline your wording, your message becomes more powerful and clear. Calvin Sun looks at how eliminating just a few superfluous phrases can tighten up your writing and give it more punch.
Do you use too many words when you write? If so, you waste your time and your readers’ time. You also make your writing less effective and impressive. Below are 10 examples of wordiness, with recommendations on reducing it.
文章を簡素化することで、伝えたい内容をより明確かつ説得力のあるものにすることができる。本記事では、回りくどい表現を避けることで、文章をすっきりとさせ、読み手により強く訴えかけられるようにする方法を、実例を交えて紹介する。
あなたの書く文章は冗長なものとなってはいないだろうか?もしそうであれば、あなたは自らの時間と、読み手の時間を無駄にしてしまっていることになる。また、自らの文章を説得力に欠けた、印象の薄いものにしてしまっていることにもなる。以下に、冗長な文章と、その改善例を挙げているので、参考にしてほしい。
ちなみに上記引用部分、英語記事は74ワード、日本語は全角255文字。原文と訳文の長さの比を取ると、116ワード/400字となります。日本語仕上がり400字になる英語の長さは一般に100~180ワードですし、100~120ワード/400字あたりはどうしても長くなるカタカナ語が多い場合の数字。今回の日本語記事はカタカナを使っていない上に、元記事を書いた人の名前や実例が10個であることなど、元原稿にあった情報の一部が削られています(削ったこと自体は問題ないと思います。最終的に日本語の記事に仕上げるなどの場合、よくあることです)。つまり日本語400字になる英単語数がかなり大きくなっていいはずなのにカタカナだらけの翻訳と同じレンジに入っているわけで、上記日本語が冗長である可能性が高いことを示していると言えるでしょう。
っていうか、そんな数字なんか見なくても、この日本語が冗長だというのは明らかですよね。文章の切れをよくしようねって話なのに冗長な書き方をしたのでは、記事自体のインパクトがなくなってしまいます。原文の意図が実現できない訳文と言ってもいいでしょう。
ただし、長くなった理由は「IT翻訳者の疑問」で指摘されている「英語の文章を日本語にきっちり訳すと長ったらしくなりがち」だからでは、本来、ありません。キレのいい英語をきっちり訳したら、キレのいい日本語ができるはず、です。というか、そう訳せて初めて、「きっちり」訳したと言えるのだと思います。
余談ながら、現実の仕事では、「英語の文章を日本語にきっちり訳すと長ったらしくなりがち」が成立しています。必要な情報をすべて詰め込んで短くキレよく訳せれば上級者。人数が圧倒的に多い駆けだしクラスの人が訳せばどうしても長くなりますし、そういう人が無理に短く訳すといろいろ落っことしたりします。理由が言語ではなく人間だということは……「日本語の文章を英語にきっちり訳すと長ったらしくなりがち」も成立します。長々しくなりがちというのは、翻訳という作業に伴う宿命と言ってもいいと思いますけどね。
長くなった理由を乱暴にまとめれば、キーワードの選定とキーワードをつなぐ「トッピング」の選定がまずかったから。キーワードとトッピングの関係も「循環的」です(「機械翻訳に関する天動説と地動説、そして解釈学的循環」参照)。キーワードとする訳語を変えたりトッピングを変えたりするとその影響が波及して全体が変化し、全体が変化するとキーワードやトッピングを変えなければならなくなったりします。その循環を無視し、まず部分部分でキーワード的なものを決め打ちし、それぞれのキーワードにつながるトッピングを決め、「キーワード+トッピング」のセットを所与のパーツとしてそれをまた別のトッピングでつないでゆくという積み上げ方式にすると、ウェブに出ている訳文のようなものができあがります。
今回の例で文末がすごいことになってしまったのは、そこまでの無理を文末だけでなんとか吸収しようとした結果。根本的な原因から対処すれば自然に短くなるものなので、長ったらしくなってしまった部分を削るというのは考える向きが反対です。削るのではなく、そこが不要になるようにほかの部分(前のほうであることが多い)を変更するわけです。
観念的なことばかり書いていても分かりにくいと思うので、短めにすることを念頭に、訳文に使われていたパーツをなるべく残す形で日本語の記事を書きなおしてみました。
文章はすっきりさせたほうが、伝えたいことが明確にもなるし効果も高い。本記事では回りくどい表現を避けて文章をすっきりとさせ、訴える力を高める方法を紹介する。
あなたはいらない単語を書いていないだろうか。不要な言葉まで書けば、あなたも読者も時間が無駄になるし、文章は印象が薄くなり説得力も落ちてしまう。文章の切れをよくする実例を以下に示すので参考にしてほしい。
日本語の改善方法を検討することが目的なので、ウェブの日本語記事でカットしてある情報(元記事を書いた人の名前や実例が10個であることなど)は、私の訳文でもカットしてあります。
これで訳文は177文字。3割くらい縮みました。英語と日本語の比は167ワード/400字。このくらいに訳せば悪くないはずだと思います。原文にある情報をすべて入れても、140ワード/400字前後にはなるでしょう。
短くすることを至上命題とするなら、漢語系の言葉を増やす手があります。
文章は簡素化したほうが伝達内容が明確になり、効果も高まる。本記事では冗長表現を避けて文章を簡素化し、訴求力を高める方法を紹介する。
あなたは不要な単語を書いていないだろうか。不要な言葉は書き手にも読み手にも時間の無駄である。文章も印象が薄くなり、説得力が低下する。冗長な文の改善例を挙げるので参考にして欲しい。
154文字、192ワード/400字。元記事の4割減まできました。といってもこれはやりすぎでしょう。論文ならこのくらいもアリですが、今回はウェブ記事ですからね。
せっかくなので、ウェブの訳文と私が書きなおした訳文と、共通するパーツに色をつけてみました。
◎ウェブに出ている訳文
文章を簡素化することで、伝えたい内容をより明確かつ説得力のあるものにすることができる。本記事では、回りくどい表現を避けることで、文章をすっきりとさせ、読み手により強く訴えかけられるようにする方法を、実例を交えて紹介する。
あなたの書く文章は冗長なものとなってはいないだろうか?もしそうであれば、あなたは自らの時間と、読み手の時間を無駄にしてしまっていることになる。また、自らの文章を説得力に欠けた、印象の薄いものにしてしまっていることにもなる。以下に、冗長な文章と、その改善を挙げているので、参考にしてほしい。
◎上記を書きなおしたもの
文章はすっきりさせたほうが、伝えたいことが明確にもなるし効果も高い。本記事では回りくどい表現を避けて文章をすっきりとさせ、訴える力を高める方法を紹介する。
あなたはいらない単語を書いていないだろうか。不要な言葉まで書けば、あなたも読者も時間が無駄になるし、文章は印象が薄くなり説得力も落ちてしまう。文章の切れをよくする実例を以下に示すので参考にしてほしい。
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コメント
ここであえて異論。もちろん、Buckeyeさんに対してではないのです。
翻訳の基本とされることはいろいろあると思うのだけれど、悪く言われがちな直訳や逐語訳。実は、スタートラインとしては悪くないと思うのです。その意味で基本。直訳や逐語訳で行けるところまで行ったらどうなるかを踏まえていることは常に大切だし、その意味でも基本。1文目だって、↓くらいまでは、そのかたちで行けるわけです。
When you streamline your wording, your message becomes more powerful and clear.
文章表現を簡素化すると、伝えたい内容が力を持ち明確になる。
文単位で「絵」を描いて、描いた「絵」を日本語化するという方法を、こういう論理的な文章でとる必要は、実はないのではなかろうか、というはなしです。構造を動かさずに、語彙の方を選ぶギリギリの努力をすることには、論理的な文章の場合には、かなりの意味があると思います。構造を、ぐじゅぐじゅ^^;にしてしまって、文末だけで格好をつけると、文章の長さ以前に、ロジックが、ゆるゆる^^;になってしまい、すごく不明瞭な文章になってしまうのではないでしょうか。
冗長かつクドイ文章しか書けない当方がこういうことを言っても説得力がありませんけれども……^^;。
投稿: Sakino | 2009年3月 3日 (火) 23時37分
直訳や逐語訳って、基本として大事だと私も思います。一般に(特に直訳)は字面訳の意味で使われることが多いから悪いイメージが生まれてますけど。一方、直訳や逐語訳がいいって文脈では、対比として勝手訳が出されていて、まるで直訳や逐語訳だけで翻訳するのがいいみたいに取られかねなかったりと、それはそれでうまくない展開になってたりします。
>構造を動かさずに、語彙の方を選ぶギリギリの努力をすることには、
>論理的な文章の場合には、かなりの意味があると思います
私もそれは思います。そういう意味から、辻谷さんが検討を進めておられる情報量理論の行く末に注目してもいます。誤解を覚悟で乱暴にまとめれば、情報量理論というのは、語彙選択に情報量という新しい尺度を導入し、語彙選択の精度を高めるとともに精度が不足する場所、つまり、言葉を補う必要がある場所を特定しようというものですから。
>文単位で「絵」を描いて、描いた「絵」を日本語化するという方法を、
>こういう論理的な文章でとる必要は、実はないのではなかろうか
これもそうだと思います。思い返してみれば、実際、自動運転ですむ部分って、語彙の選択で大半をすませてしまっているように感じます。
同時に、一般的な話をするとき、上記のような言い方はまずかろうという気もします。こう言ったら、多くの人が「ああ、論理的な文章では『絵』を思い描く必要はないんだ」と思っちゃうはずなので。
Sakinoさんには言うまでもないことですが、現実の作業として、「絵」は必ず描くわけです。できあがった訳文が翻訳対象の原文の訳文として成立するかどうか、最終的な確認は絵がないとできませんから。というより、原文を読んで「絵」を描いておけば、逐語的に訳していく途中で行けそうかダメそうかの判断がつく、つまり逐語的に行くか構造から離れるかを決められるわけで。まず「絵」を描いておかないと、「絵」を表現するというやり方を取るべきかどうかも判断できなくなっちゃいます。
目指すべき形は、「構造を動かさずに語彙をギリギリまで選ぶ」と「描いた絵を日本語化する」を表裏一体として動かす、でしょうね。で、たぶん、「構造を動かさずに語彙をギリギリまで選ぶ」ほうが基本技能であり、それを身につけてから「描いた絵を日本語化する」という技能を上乗せしないといけない。そんな感じなのかもしれません。
翻訳を教えている友人たちが口を揃えたように、「最初は逐語訳を愚直にすることを覚えないといけない。早い段階で意訳(構造変化を伴う翻訳)をやろうとすると収拾がつかなくなる」って言いますけど、それって、前段落のような話なのかもしれませんね。
>冗長かつクドイ文章しか書けない当方がこういうことを
>言っても説得力がありませんけれども……^^;。
そ、それは……言わないお約束では。Sakinoさんと私は、長さでは優劣付けがたいっすからね(^^;)
投稿: Buckeye | 2009年3月 4日 (水) 06時48分
> ああ、論理的な文章では『絵』を思い描く必要はないんだ
今回俎上にのった訳文の場合、「絵を思い描く」という行程も実は経ていないと言う気もします。あるいは、デッサンが思い切り狂ってる、みたいな。
投稿: baldhatter | 2009年3月 4日 (水) 09時03分
私もそう思います。絵がきちんと描けていれば、少なくとも最後にコレじゃダメだとフィードバックがかかるはずですから。まあ、翻訳した人のレベルによっては、ダメだけどほかにやりようがないとあきらめるケースもあったりしますけど。
絵がきちんと描ければ、Sakinoさんがやったみたいに、描いた「絵」を日本語化するという方法をとらなくてもそれなりの訳文になったりするわけです。でも、絵を経由しなくてもいい文なら絵が描けない人にも訳せるかというと、それは基本的にないわけです。もちろん、たまたまできちゃったというケースはあり得ますが、そんな再現性がない話、プロとしては失格ですからね。
ホントは、絵を描くところまで原文の解釈に含まれると思うんですよ。逆に言えば、きちんと絵が描けなかったということは原文解釈で落としちゃったものがあるということで、それはとってもまずい。最初に拾えなかったものがいつの間にかどこからか出てくるなんてことはないんですから。
そうそう、トラックバック、ありがとうございます。おっしゃるとおりです。
上のトラックバック先、ぜひ読みに行ってくださいませ>読みに来られた方々
投稿: Buckeye | 2009年3月 4日 (水) 09時59分
■Buckeye さん
そうそう、「自動運転」で行われることの多い「構造を動かさずに語彙をギリギリまで選ぶ」という基層の方に問題があるという……。でもって、別の悪い予感がしてきました。以下に書きますね。
■baldhatter さん
>あるいは、デッサンが思い切り狂ってる、みたいな。
あちゃ、もっと前段階ですか。
うぅん、全体的意味内容が30度狂っていても90度は狂っていないので、読んだ段階での構文のとりまちがいでないとすると、まさかと思うけれども、下の2つのどちらか、というケースなのかもしれませんね。下の(2)も困るのだけれど、(1)だとすると、これは、ある種のトレンドみたいなところもあるので、少し深刻かも。
(1)もしかして、原文の節単位でぶったぎってパーツごとに処理して、文単位になったときの後半で処理しているとか。これも、構造ぐじゅぐじゅ^^;ロジックゆるゆる^^;になりますね。
When you streamline your wording,→日本語へ(定型処理)→our message becomes more powerful and clear.→日本語へ(辻褄)→Calvin Sun looks at →日本語へ(定型処理)→how eliminating just a few superfluous phrases→日本語へ(定型処理)→can tighten up your writing and give it more punch.→日本語へ(辻褄)
★で、ここからが悪い予感なんですが、これって、今はやりの「頭からの翻訳」を表層的に受け止めて、書きことばでやったときにおきる典型的パターンのように思うんです。処理スピードは上がるし、仕事した気にはなれるのだけれど、できたものはロジックが半壊していて、何言ってんだか隔靴掻痒になっちゃうという……。
情報を提示する順番についても考慮することは大切ですが、「ぶった切り」というかたちで実現しちゃだめなんだと思います。
(2)あるいは雑段階の訳を、あとから日本語内部だけで推敲して辻褄を合わせているとか。(語彙選択部分に手をつけず、文末表現で辻褄あわせということ)
なんか、すべての文が同じパターンで処理されてるみたいなので(構造ぐじゅぐじゅ^^;とか)、上記のようなことを考えました。
投稿: Sakino | 2009年3月 4日 (水) 10時19分
ちなみに、「頭からの翻訳」をやる一番簡単な方法って、
コドモ版話しことば編なら「~ね」「~たわけ」「なんだけど」みたいなのをはさんで、どんどん文章を流していくことなんだけど(英語の絵本の直接対峙読み聞かせで鍛えたぞ^^;)。
これのオトナが書きことば編のひとつのパターンが、「することで、」と、「することができる」「ようにする」「ものとする」「ことになる」「しまっている」で処理していくかたち……なのではないのかしら。
投稿: Sakino | 2009年3月 4日 (水) 10時30分
私のエントリーで書いたキーワードとトッピングの話が、まさしく(1)。たぶん、そういう流れで訳出されたんだと思います。
これが「頭からの翻訳」の表層的実現かぁ……そこには思い至っていなかったけど、あり得ますね。
現実の作業は、ある程度「ぶった切って」部分的に作業をしたりもします。でも最後は必ず、文として成立するかという全体的な確認と調整が必要ですし、さらには、その文が段落の中、文書の中で適切に位置づけられるものとなっているかという(文脈の)確認と調整が必要になるわけで。ま、それが分かっているから、全部をぶった切りで処理なんて遠回りはせず、ぶった切っていいところしかぶった切らないようにするわけで。あるいは、ぶった切ったらぶった切ったで、他との整合性も都度、確認しつつ進めるというか。
うーん、うーん、まとめちゃうと、結局、マニュアル的なやり方じゃ無理っていうしごく当たり前の結論になっちゃうのかな。あ、マニュアル的っていうのはマニュアルの翻訳でやるような、じゃなくて、アレをこうしてコレをこうすりゃいいのよっていうほうのマニュアル的ね。
部分と全体に目配りして収まるように調整って言ったのでは、もう分かっちゃってる人にしか分からないかもって気がします。
投稿: Buckeye | 2009年3月 4日 (水) 11時08分
いや、正しいマニュアルが必要なのかも^^;
でも、そのマニュアルには「べからず集」も必要かも。「頭からの翻訳」の表層的実現も、入ることになるなぁ……
というか、「べからず集」なんていうつまんないこといってないで、訓練法として、上記の
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コドモ版話しことば編なら「~ね」「~たわけ」「なんだけど」みたいなのをはさんで、どんどん文章を流していくことなんだけど(英語の絵本の直接対峙読み聞かせで鍛えたぞ^^;)。
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だけじゃなくって(これは、たぶん、出版翻訳ネットワークなんかではやってそう。昔からの小野仙内氏の持論ですから)、これのオトナ版書きことば編の「することで、」と、「することができる」「ようにする」「ものとする」「ことになる」「しまっている」で処理していくかたち……
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の部分もやってみるといいのでしょうね。オトナ版は、もっといろいろあるわけで、隔靴掻痒感をちゃんと味わっておくとともに、日本語の「することができる」「ようにする」「ものとする」「ことになる」「しまっている」などのコピュラ系表現の威力も実感できますし。どんなときに、どのコピュラ系表現が候補になるかを集めることもできるし、それぞれを峻別して考えることもできる。やりかたとしては、↓でオッケーかな^^;。
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原文の前半だけ見る→とりあえず日本語にして、しかも一息入れて休めるかたちにする→原文の後半もみる→前半の日本語に手を加えずに、後半をくっつける
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手持ちの文末表現を増やして、普段から文末にも目を向けられるようにするいいエクソサイズになりそう^^;。
上級編で、2文、3文で文のつながりを確認しながら訳してみるエクソサイズも組めそうです(この場合には、初級編でゲットした文末表現を2文目以降で使ってみることになる。)
投稿: Sakino | 2009年3月 4日 (水) 12時32分
言われてみれば、なんだかんだとそんな経緯をたどったような気がします。
>原文の前半だけ見る
>→とりあえず日本語にして、しかも一息入れて休めるかたちにする
>→原文の後半もみる
>→前半の日本語に手を加えずに、後半をくっつける
たしかに。コレって、自動運転でガンガン飛ばして訳していく(いける)ときのパターンっす。私を含め、同時通訳型翻訳でスピードを出すタイプって、このパターンで処理できるものはやっちゃうから文章最後まで読まずに訳文を作りはじめちゃうわけで。文章って前から流れてきてるから、流れが読めればこれでたいがいなんとかなっちゃうんですよね。
もちろんなんともならないケースっていうのもいっぱいあって、そのときはうんうんうなって訳文をひねり出すわけですが。
投稿: Buckeye | 2009年3月 4日 (水) 16時29分
>Buckeyeさん
おそらく、Buckeyeさんが「自動運転でガンガン飛ばして訳していく(いける)ときのパターン」のときには、
>原文の前半だけ見る
>→とりあえず日本語にして、★しかも一息入れて休めるかたちにする★
>→原文の後半もみる
>→前半の日本語に手を加えずに、後半をくっつける
の二行目の★~★の「しかも一息入れて休めるかたちにする」は、文章の流れが内容的にほんとにそこで切れてるときは別として、メンドクサクナルダケダカラ^^;絶対にやらないか、やっても、絶対文章上に形跡を残さないように処理してるということなんでしょうね。
投稿: Sakino | 2009年3月 4日 (水) 21時16分
あっと、そうきますか。ということは、たぶん、「一息」の大きさの下限がSakinoさんのマニュアルと私とで違ってて、私のほうがかなり小さいってことなんじゃないかと思います。
投稿: Buckeye | 2009年3月 4日 (水) 21時22分
「一息」を意図的に置いてみる、というはなしで、私の場合は、普段は、一息は入れないようにしているのだと思います。
投稿: Sakino | 2009年3月 7日 (土) 21時33分